2008年12月2日火曜日

教師は「体罰」を恐れるな 

 滋賀県教委はこのほど、昨年度の県内小中学生の暴力件数を発表し、その3割が対教師暴力であったとの結果を示した。彦根市内では、教師がけがをして病院で治療を受けるケースもあった。
 この事案からは、「子どもたちは教師をあがめる存在とは見ておらず、一方の教師も子どもたちの指導方法に悩んでいる」と推察できるのではないか。そして、その背景には教師側の「体罰」という「教育」の欠如が原因にあるといえよう。
 学校現場において、いわゆる「体罰」は、学校教育基本法第11条で「校長および教員は、懲戒として体罰を加えることはできない」―と定められており、「一応に」禁止されている。ここでの体罰とは、「げんこつでこつく」、「廊下に立たせる」、「平手で頬を殴る」、「尻を竹刀などで打つ」、「正座をさせる」―も入っているようだ。
 しかし、我々の少年時代は学校には厳格な先生、近所には「カミナリ親父」が必ずいて、前記の体罰を日常的に受けていたものだ。あれから数十年経ったが、体罰を受けた厳しい先生たちの存在は忘れておらず、感謝さえしている。
 子どもは、身体面が成長したとしても、精神面は絶対的に未熟であり、「人間」に成り切れていないともいえよう。子どもは、その精神的弱さを自身でも気づいており、教師など大人たちに「何とかして欲しい」と求めているのではないか。
 また子どもは、弱さから逃避する習性があり、現代の精神的不安定な子どもの増加の要因は、逃避からくる戸惑いや悩み、または孤独感にあるのではないだろうか。その逃避を抑えるのが教師(大人)の厳格さであり、その手段として体罰があげられる。
 子どもが悪いことをすれば、大人は本能的に「正しくしてあげよう」という感情を抱き、叱るという行為に移すはずだ。その叱る手段の1つが体罰であっても良いのではないか。
 体罰=暴力だと、短絡的に結び付けるのではなく、しつけの一環として用いることに、小生は賛意を示したい。
 ただし、体罰は子どもの健全な成長を願っての愛情表現のことであり、暴力教師や虐待をする保護者が、自身の感情を発散させるためにする「暴行」との区別をつけるべきことは忠告しておきたい。【山田貴之】

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