「未来の子どもたちを笑顔にしたい」―。27歳の若さでそう語る、彦根市議に最年少で当選した北川元気氏=写真=に、これまでの人生や議員を志したきっかけなどを聞いた。
北川氏は10歳のころ、父親を病気で亡くした。「あんなに強くて大きな存在だった父が死に、数時間で『無』になった」と振り返り、以降「死」について考えるようになり「死ぬまで強く生きよう」との思いが芽生えたという。
彦根南中卒業後は進学せず、飲食店や舗装工事などのアルバイトをし、18歳の時には東京での生活も経験。帰郷後は、飲食店を経営していたが、24歳の時に「自由人」として知られる高橋歩さんに出会い、それを契機に単身インドへ旅立ち、ギターとナップサックだけでタイやカンボジアなども旅した。
海外では子どもたちに歌を歌ってあげたり、日本語を教えたりした。貧しい中でも楽しそうに生きている人たちと交流をしてカルチャーショックを受け、「豊かな生活をしている日本人として、今まで何をしてきたのか」「日本人としてかっこよく生きよう」と気づかされたという。
帰国後は日本を旅しながら歴史を学び、その中でも知覧特攻平和会館(鹿児島)で20歳前後の隊員たちの遺書を読んだ時には涙が止まることなく、1通1通を読むたびに日本人としての誇りや大和魂を感じた。国内外の旅により「未来の子どもたちのために生きよう」という思いが強くなったという。
その後は、夢を語り合うイベントを企画したり、自律型人材育成や相互支援などをテーマにした研修会にも参加し、研さんを積んだ。「人って変わらないと思う人がいるが、変わると思う」「自分がどう考えるかで夢を実現に持っていける」と話す。
政治家を志したのは25歳のころ。テレビ番組の「朝まで生テレビ」で政治家たちが討論しているのを見、「お互いに悪口を言っているのが日本の代表なんて、かっこ悪い」「画面に文句を言っても始まらないなら、出よう」と決意したという。
今の彦根市議会に対しては「ほかの市議23人の方は敵ではなく、彦根を良くしたいという共通の思いがある」「意見をつぶし合うのではなく、みんなのアイデアを出し合って最善の提案をしていければ良い」と提案する。
最後に市民に対して「多くの票をいただいた重みを感じる。市議の立場として自分にしかできない仕事をやりたい。次の世代の子どもたちが、どのようなまちを残せば『ありがとう』と言ってくれるのか。色んな問題を抱えているが、あきらめなければ、最後は乗り越えられると思う」と、熱く語った。
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