2012年3月11日日曜日

3・11に考える—被災地を思うとは何か—

 私たちはこの1年、何度、感傷に浸ったことだろう。忍び泣きを含めると数え切れぬのではなかろうか。
 泥まみれになって死んだ我が子を抱く泣きじゃくる母親の写真、兄弟や親を亡くし祖母と共に暮らす小学生の新聞記事、夫や友人を亡くし仮設住宅で孤独に生きる高齢女性の映像―などを見る度に、私たちは遺族の方々のどうしようもない無念さに共感する。もちろん遺族の方々に比べると、私たちのその無念さはしれており、勝手な情念だともいえる。
 震災後にテレビや広告・ポスターなどで頻繁に見聞した「がんばろう」というあまりにも無責任で、配慮のかけらも感じられない言葉が、最近ようやく消えつつあるのは幸いだと思うのは小生だけではあるまい。
 遺族や被災者の方々へ何をがんばれ、と言うのか―。人間は弱い存在である。悲しくつらい時には悲しむことしかできない。突然に我が子や親・兄弟を亡くした遺族や被災者の方々に、「がんばろう」という言葉は酷であり、残酷でもある。
 3月7日付の朝日新聞に、児童108人のうち74人が死亡・行方不明になった大川小学校(宮城)の6年生で、津波にのみ込まれながらも助かった只野哲也君(12)の記事が載っていた。
 只野君は、津波で母親と妹、祖父を亡くし、現在は父親と祖母とで暮らしている。記事では、父親の「俺に心配かけないようにって思っているみたいだけど、もっと泣いていいんだぞ。ばぁばには心配事を話しているみたいだけど、俺にも言ってほしい」などという息子・只野君へのコメントが載っていた。
 まさにこの只野君の自身を強く見せようとする姿勢こそが、「がんばろう」という無責任な言葉の犠牲になっているといえるのではなかろうか。
 3月11日は只野君の母親の誕生日でもあったという。記事の中で只野君はこうコメントしている。「今年もおっとうたちと、ママの写真の前でいつものように『お祝い』がしたい。これからもずっと、家族の誕生日は大事な日だから」。
 私たちは、東日本大震災を決して忘れてはならないのは言わずもがなだが、遺族や被災者の方々が何を思い、伝えようとしているのか。そして私たちにできる事は何なのか。3月11日、一人一人がもう一度、自省する一日にしたい。【山田貴之】

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