2015年7月30日木曜日

楽々園の修理現場で見学会

 彦根市金亀町で修理中の楽々園で20日、建物の説明会があり、市民ら48人が参加した。
 楽々園は彦根藩四代当主・井伊直興によって延宝5年(1677)から2年間かけて作られた下屋敷で、江戸時代は槻御殿と呼ばれた。文化10年(1813)に十一代・直中が隠居した際に大規模な増改築を行い、御書院棟や翌年に御茶屋敷として建てられた地震の間、雀(すずめ)の間、おかるの間、雷の間、楽々の間、紅葉の間などが数寄屋建築で増築された。以降縮小され、現存する建物の規模は当時の10分の1以下になっており、明治14年から平成6年までは旅館として営業。また昭和22年以降は井伊家から彦根市の所有になっている。
 説明会では市教委文化財課の職員が平成25年度から修理工事をしている地震の間、雀(すずめ)の間、おかるの間、雷の間、紅葉の間の状況を解説。特に地震の間については礎石の上に土台を築き、足固めと呼ばれる横木を用いながら根元で倒れることを防ぐ耐震構造が紹介された。また各棟の一部の木材には、旅館として使われていた昭和30年に火災があった際のこげ跡も見られた。
 御書院棟の修理は終えほかの棟の修理は平成28年度までに終わる計画。以降、楽々の間の修理、現存しない茶室「虎鋸(こきょ)」や長屋門の復元が行われ、全体の整備完了は平成37年度の予定。

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