宅地造成工事に伴い昭和56年に稲部遺跡の約500平方㍍で第1次調査が始まって以降、市道芹橋彦富線・稲部本庄線の道路改良工事に伴って、平成25年7月から現在まで、稲部遺跡で第6次まで、稲部西遺跡で第2次まで調査が実施。これまでの調査面積は稲部遺跡が約4230平方㍍、稲部西遺跡が約2215平方㍍。今月末~年度内には稲部遺跡の約430平方㍍で第7次調査が行われる。
稲部遺跡の第2次では弥生時代末~古墳時代前期における、地中に掘った穴に柱を立てて建設した掘立(ほったて)柱建物7棟(うち祭祀や政治に使われたとみられる独立棟持柱付建物が2棟)、青銅器鋳造の工房跡とみられる竪穴建物1棟、桃の種が入った井戸などが、第3次では弥生時代末から古墳時代前期の掘立柱建物5棟以上、周溝付建物3棟以上などが確認。また稲部の第2次~第6次と稲部西の第1次では弥生時代後期後半から末にかけての竪穴建物が延べ105棟見つかった。
今年6月23日から行われている稲部遺跡の第6次では、古墳時代初頭から前期にかけて数回建て替えられた掘立柱建物跡が見つかっており、柱を立てた跡の穴が数カ所空いた直径1・5㍍の巨大な穴もある。柱の穴の上層部や付近のくぼ地からは計12個の桃の種が出土。桃は弥生時代に中国大陸からもたらされ、古代中国では不老長寿や魔除けなどの力を持つ神聖な果実だったとされるため、何らかの祭祀が行われていたと考えられる。
居住空間、祭祀スペース、工房跡の「3点セット」が出土したのは県内初で、近畿でも珍しいという。また第3次で確認された溝の東側には祭祀に対応する首長の居住域が存在する可能性もあり、「4点セット」となれば全国初になるといい、第7次でその場所の発掘調査を行う。文化財課では「居住域の展開、祭祀域と工房域の様子がわかり、集落内の階層、社会構造の変化の様子を知ることができる集落遺跡だといえる」としている。
奈良県立橿原考古学研究所共同研究員の森岡秀人さんは「弥生時代後期から古墳時代前期にかけて、近畿北部、近江湖南・湖東エリアが要の場所と考えていたが、稲部遺跡・稲部西遺跡はまさにその鍵を握る物証が重層的に見つかった遺跡群と考えられ、大変驚いている」とコメントしている。
現地説明会の集合はみづほ保育園の駐車場に午後1時半までに。駐車はみづほ保育園と稲枝東小学校に。小雨決行。
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