彦根で8歳から13年間過ごした詩人・高祖保(1910~45)について研究している国立呉工業高等専門学校の外村彰教授が7日、彦根市立図書館で講演=写真。「高祖保の精神性を育てたのが彦根だった」と解説した上で、顕彰するための詩碑の建設を求めた。
外村教授は保が詩などで彦根について「精神故郷」「青春の墳墓の地」と表現していたことを明かし「若い10代を彦根で過ごし、自身の思想信条を培った地だった」と述べた。
保は県立彦根中学校(彦根東高)時代、同級生らと回覧雑誌を発行したり、短歌・俳句誌に作品を投稿したりするなど文学の才能を発揮。保の詩について、外村教授は「神秘性を探ろうとする作品が多い」とした上で、初期のころは幼少期から不幸が続いたため孤独という意味の「孤愁」的な作品が多かったが、晩年は幸福の意味の「浄福」に変化していったと紹介した。
保は17歳の時に、締め付けが厳しかった当時の校長の辞職を求めるストライキに参加。彦根城にろう城し、校長糾弾の集会を開くなどした。この影響で卒業後の進路が閉ざされたが、自らが編集発行人となって雑誌を発刊するなどして文学界で活躍した。その後、昭和19年にビルマ(ミャンマー)で亡くなった。
外村教授は昭和35年に彦根市内で保の詩碑が建立される計画があったとした上で「保は大変才能があり、選ばれた人だった。人生は思いがけないことばかりが起こり、自身ではどうしようもない宿命がある。保は自身の宿命と向き合って、すばらしい詩を残した」と話し、保を顕彰するため彦根市内への詩碑の建立を求めた。
外村教授の講演会は市立図書館創立100周年記念で開かれ、県内外から45人が参加した。
※【高祖保(こうそ・たもつ)】明治43年(1910)5月4日、岡山県邑久郡牛窓町(瀬戸内市)生まれ。8歳の時に父親・金次郎が死去し、母親・富士の実家の彦根町外馬場町(京町2)に移住。彦根尋常高等小学校(城東小)、県立彦根中学校を経て、昭和5年(1930)12月に金沢の第九連隊第一中隊に幹部候補生として入隊。同7年に國學院大学附属高等師範部に入学し、同11年に卒業。同19年1月8日にビルマで34歳の若さで戦病死した。
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