國松さんは小学1年生の時に父親を戦争で亡くし、戦争遺児としてほかの戦没者の家族と慰霊の活動をしてきた。
75歳の時の平成24年9月に、慰霊と平和祈願のため、神奈川県を除く全国各地にある護国神社と靖国神社を参拝しようと滋賀県護国神社をスタート。趣味にしている自転車で移動しながら、今年1月の飛騨護国神社を最後に計53カ所訪れた。走行距離は約4800㌔だったという。
当初はノートにまとめる形だったが、奉納するのに合わせて日本列島の形に朱印状を高さ1㍍70㌢・幅3㍍40㌢の屏風に貼り合わせた。
國松さんは「全国的に護国神社の存在を知らない日本人が増えており、それでは祀られている英霊は報われない。この屏風を見学して、1人でも多くの人が護国神社を参拝してもらえれば幸いに思う」と話していた。
奉納式には大久保市長、細江正人県議、西村久子県議らを含め約50人が出席した。
なお、國松さんが納めた朱印状の屏風は護国神社内に完成した滋賀県英霊顕彰館に展示されている。
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