江戸時代、高宮宿は近江商人が商品を全国へ流通させる拠点地として賑わい、周囲で作られていた麻布は高宮布として全国的にも有名だった。明治時代になると、産業構造の変化で麻織物が衰退し、看板を下ろす店が増える中、小堀卯之助(明治9年~昭和20年)が麻織物の店を開店した。卯之助の孫にあたる小堀善一さん(83)=大阪府寝屋川市=や愛荘町立歴史文化博物館の職員によると、昭和に入って商売が縮小したものの、卯之助の死後も長男の卯三郎(明治33年~昭和52年)が昭和35年ごろまで商売を続け、大阪の心斎橋にも卯三郎の弟が小堀卯之助商店を営んでいたという。
高宮の建物は約290平方㍍の敷地に建てられた中二階の町家で、建物内には五右衛門風呂やかまどなどが残っており、庭園や蔵もある。視察した滋賀県立大学の濱崎一志教授によると、構造の特徴から江戸時代後期から明治時代初期の建物だという。このことから、元々あった町家を卯之助が明治中期に購入する形で入り、商売をしていたとみられる。
6年前までは善一さんの姉の良子さん(87)が住んでいたが、現在は空き家になっており、その管理が難しくなってきた。そのため、善一さんの長女の清水文栄さん(55)=神戸市=が中心になって、古民家を有効活用する団体などに相談したが、良い返事はもらえていないという。
麻織物の商売時代に使われていた天秤や風呂敷などの道具、帳簿や文書は愛荘町立歴史文化博物館に寄贈。今月6日には専門業者に依頼し、建物内にあったほとんどの日用品を撤去した。清水さんは「このまま解体するのは寂しく、高宮の街並み保存からしてももったいないと思う。建物を購入してもらって、食事処や憩いの場など何らかの形で残してほしい」と話している。近く彦根市空き家バンクに登録する予定。問い合わせは小堀善一さん☎072(822)7280。
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