独自技術を考案した鋳込工
同社は昭和24年(1949年)9月に設立。松林さんは関西大学工学部鋳造工学科を卒業した後、機械部品業の大手会社に入社。父親の体調不良のため24歳で帰郷してマツバヤシに勤務したが、その約5年後にバブルが崩壊した。
40年以上前の当時は9割以上が水道用バルブの部品製造だったが、松林さんは機械やポンプ、電気など各業界を営業で駆け回り、業種ごとに異なる形状の鋳物を独自で作るようになった。現在の取引先約40社のうちほとんどが加工品だ。
鋳込工は溶かした金属を鋳型に流し込んで鋳物を作る技術者。松林さんは、鋳物の材料として一般的に使われる珪砂(けいしゃ)だけでなく、金属を溶かした熔湯(ようとう)を急速に冷やし、人口砂などを要所に使う手法を生み出した。この技術は消防自動車などのポンプの部品に採用されており、ポンプ性能の向上化に貢献している。
「創造と挑戦」「後継者育成も」
同社には松林さんのほか、長男の松林克蔵社長(39)や三男の松林正樹専務(36)ら7人の技能検定1級技能士がいて、レベルの高いニーズに応える設備や技術を有している。平成21年10月には、関西大学や県東北部工業技術センター、同社などが鉛を使わない銅合金の鋳物「ビワライト」を産官学の連携で開発。現在も国内外から注目を集めている。
技術力を後世に伝えるため、これまで作ってきた図面や設計などすべてをデータ化で残している。同社には企業や団体が技術を見学しに訪れているほか、松林さんにはものづくりマイスターへの就任依頼もあるという。
松林さんは「オファーがあれば、技術について教えていきたい。会社としても社是の『創造と挑戦』の通り、これからも新たに創造しながら、何事にもトライしていきたい」と抱負を語った。
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