2014年1月31日金曜日

特別養子縁組の仲介開始 県内初、神野レディースクリニック

 彦根市中央町の神野レディースクリニックは30日から、医療機関としては県内初の特別養子縁組の仲介事業を始める。
 子の誕生を望まずに出産した実母と、不妊治療をしても子どもができない夫婦の仲介に立ち、新生児を養親となる夫婦に引き渡す役割を務める。仲介役としては、県内に県彦根子ども家庭相談センターなど行政の施設はあるが、医療機関としては全国20施設による「あんしん母と子の産婦人科連絡協議会」内で4施設目となり、近畿でも初めてだという。
 児童虐待が社会問題化しているほか、市によると、今年度中に乳児院などに一時保護されている1歳未満の子は市内で2人(入所は1人)いる。また同クリニックで不妊治療をしている夫婦は年々、増えているという。同クリニックは、実の親からの同意(虐待の場合は同意不要)後、その子どもを院内で保護。養親となる夫婦については、院内に設置した特別養子縁組審議委員会で審査・面接をした後、この事業を平成元年から取り組んでいる同協議会本部のさめじまボンディングクリニック(埼玉県熊谷市)での二次面接を経て、正式登録となる。
 神野佳樹院長(57)は「育てられない親や子ができない夫婦、両方の思いを身にしみて感じており、さめじまクリニックさんの取り組みを彦根でも行うことにした」と話している。
 実の親や養親となる夫婦からの謝礼や寄付金は受け取らずに、医療の一環としてボランティアで行う。
 院内に設置のホットラインは☎0120(038)414。

映画 偉大なる、しゅららぼんの舞台あいさつに200人

 彦根を中心にロケが行われ、3月8日に公開する映画「偉大なる、しゅららぼん」の舞台あいさつが24日、ビバシティシネマで開かれ、関係者約200人が参加した。
 作家・万城目学さん原作の彦根城と竹生島を舞台にした映画。濱田岳さん、岡田将生さんらが出演し、昨年4月から約1カ月間、彦根や長浜などほとんど県内でロケが行われた。舞台あいさつには、水落豊監督、嘉田由紀子知事、大久保貴市長、長浜観光協会の岸本一郎会長らが参加。
 水落監督は「滋賀ではないと成立しない映画。色んな人に協力してもらったが、自分たちの映画だと思って県外にアピールしてほしい」と話していた。
 嘉田知事は「映画公開に合わせて、滋賀は『しゅららぼん県』になる」と宣言した上で「滋賀を改めて売りに出したい」と述べた。
 舞台あいさつ後には、ひこにゃんと長浜の観光キャラクター・ひでよしくんも登壇し、記念撮影会が行われた。
ロケ地スタンプラリー
 映画「偉大なる、しゅららぼん」の公開を記念し、ロケ地&スタンプラリーのガイドブックが発刊された。
 出演者の関係図、ストーリー、ロケ地、琵琶湖を取り巻く19のパワースポットなどを掲載している。B5判6ページ、全カラー。
 ガイドブックの裏面にはスタンプラリーの押印欄もあり、彦根と長浜の計12カ所に置かれているスタンプを集めて、景品交換場所に行くと、3カ所以上でクリアファイル、7カ所以上で賞品が当たる抽選応募券をプレゼント。竹生島で押印後に彦根港か長浜港で「神の水」の進呈も。5月6日まで。
 ガイドブックは彦根市観光案内所、彦根観光協会、市観光振興課などに置いている。

2014年1月28日火曜日

中川啓子さん 小説・東京駅物語を刊行

 彦根市芹川町の作家・中川啓子さん(73)がこのほど、東京駅の保存活動の様子をえがいた小説「東京駅物語」を刊行した。次作は彦根藩が登場する幕末から明治時代にかけた作品で、年内に完成させる。
 中川さんは第二次世界大戦中に上海で生まれ、戦後は新潟や大阪などに住み、結婚を機に29歳で東京へ移住。約10年後に始まった東京駅の保存運動にも25年間携わった。東京在住時から小説を書き始め、これまでに短編13作と中川さんが幼年期を過ごした上海をえがいた長編「上海ぎほり」を刊行している。
 「東京駅物語」は、東京駅との出会いから、あこがれの東京ステーションホテルでの結婚、東京駅解体の危機、保存運動、存続決定までを自叙伝風に書き上げた作品。
 中川さんは「東京駅はつぶされて高層ビルになるところだった。元の姿に復元されて本当に良かったという思いを込めて書いた」と解説。昨年1月には、幕末から明治にかけての小説を書くため、歴史的文献が多く残る彦根に移住。「彦根の古い町並みも取り壊されていると聞いている。昔の彦根のままでいてほしい」とも話していた。
 「東京駅物語」は155ページ、1050円。問い合わせは中川さんの自宅兼出版社・ぎほり舎☎(47)6062

本・西郷と左内と「正気の歌」 大阪の吉岡司郎さん「真の井伊直弼えがく」

 歴史史料を参考に十三代藩主・直弼の姿などをまとめた本「西郷と左内と『正気の歌』」を、大阪市の吉岡司郎さん(83)が発刊した。
 吉岡さんは昭和25年に金沢大学に入学し、在学時に幕末の政治に関心をもって以降、歴史史料を集めてきた。本では黒船が来航した嘉永6年(1853)から安政の大獄(1858~59年)までを、史料を抜粋しながら年ごとの動向を紹介。
 第1分冊から第5分冊までと別冊の計6冊で構成。そのうち彦根藩に関しては井伊家史料のほか、彦根藩公用方秘録や長野義言の日記・秘中要記などを活用し、第2分冊の第4編からは直弼の動きをたどっている。
 吉岡さんは、直弼が休んでいた安政5年6月19日に日米通商条約の仮条約の調印が済んでしまい、また安政の大獄は直弼がたまたま大老職にいた時の幕府がやったことだとし「直弼を憎まれ者にして歴史を語ることに疑問をもつ。歴史は非情だと思わざるを得ない」と説明。現在は次作の発刊に向けて、桜田門外の変から明治政府樹立までの史料もまとめている。
 吉岡さんは「彦根市民の皆さまには直弼の本当の姿を知ってほしい。この本を読んで頂ければ、直弼の人となりや大老職に就いてからの苦悩をわかって頂けるのでは」としている。本は1セット1万円。申し込みは吉岡さんファクス06(6575)3100のみで。

尾木直樹さんと乙武洋匡さんが講演、ひこね市民大学講座で

 教育評論家の尾木直樹さんと作家の乙武洋匡さんを招いたひこね市民大学講座「今、日本の子どもたちに何が起きているのか」が、19日に文化プラザで開かれた。
 子どもたちを取り巻く環境について、尾木さんはスマートフォンやラインで友だち関係を築いていると指摘した上で「私たちの時代はリアルな中で生きてきたが、今の子どもたちは教師や保護者が見えない別世界(ネット内)にいる」「友だちに依存せざるを得ないため、必ずそこでトラブルが起こる」と述べた。
 乙武さんは「昔の先生は子どもと向き合っていたが、今は訴訟が増えており、そのアリバイ作りのため書類と向き合っている」と嘆いた上で「学校と家庭の信頼関係を取り戻すことが必要だ」と解説。尾木さんも「教師は防衛にまわり、信頼関係が壊れている。この悪循環の犠牲者は子どもたちだ」と付け加えた。
 教育の仕方として、尾木さんは「子どもが失敗しても、その過程の中で素晴らしさを見つけ、声を出してほめることが大事」「認められることはうれしいもので、自己肯定感を養うことができる」と説明。また子どもをしつける際には「叱らずに『どうしたの?』と声をかけ、あいづちを打ちながら、エンパワーメント(自律性を促す)仕方が良い親子関係をつくれる」とアドバイスした。
 乙武さんは教師時代に授業で親から子どもに手紙を読んでもらった際、多くの子どもがうれし泣きをしていたエピソードを明かし「親は誰もが子を愛しているが、それが伝わっていない。大人は子どもにストレートに伝えていかなければならない」と話した。
 日本の教育の問題について、尾木さんはOECD(経済協力開発機構)25カ国の15歳に「孤独を感じるか」と質問した調査で、日本が29・8%と最悪で、2位のアイスランドが10・3%、最高のオランダが2・9%だったとの数値を示しながら「4歳から小学校が始まるオランダでは子どもたちに自由に時間割を決めさせている。人は100人いれば、100通りある」と、日本の画一的な教育体制を批判した。

2014年1月27日月曜日

マサーヤンこと、志水昌幸さん リヤカーひいて日本1周の旅「彦根の人 温かい」

 シンガーソングライターのマサーヤンこと、志水昌幸さん(42)=山口県下関市=が、リヤカーをひきながら日本1周の旅に挑戦している。
 志水さんは昨年4月15日に千葉県鴨川市をスタートし、東日本大震災の被災地を巡った後、北海道を3カ月間かけて1周。その後、日本海岸沿いを進み、京都市内に入り、今月10日に大津市を出て、草津、守山、近江八幡などを経て、21日の夕方に彦根入り。24日に米原に向かった。今後は大垣、三重、紀伊半島を経て、最終的には鹿児島を目指す。
 旅をしながら販売しているCD(6曲・1000円)などの売り上げを生活費にあてて、公園や道の駅でテントを張って野宿する生活で、駅前などで路上ライブもしている。
 旅の目的について志水さんは、オリジナルソングの「希望の唄」を紹介しながら「震災があって、できることがしたいなと思い、希望の火を灯すために歌いながら、歩きながら旅をしています」と説明。彦根の印象については「多くの人から声をかけてもらって、人が温かい」と話していた。
 ゴール後には1万人ライブも計画している。CDの購入や志水さんの動向はブログ「マサーヤン」で。

ひこにゃんへの年賀状過去最多更新

 ひこにゃんに届いた年賀状が23日時点で1万3802通となり、最終的に過去最多だった昨年の1万3795通を超えた。
 市は住所がわかる相手先にはすべて返信をしている。返信用の裏面には、鏡もちが置かれた座敷で、ひこにゃんが筆を手に絵を描いている様子が掲載。彦根城の招待券が付いているほか、10月1日から11月30日まで開催される彦根城フェスも案内している。

2014年1月22日水曜日

野田山の林道沿いに大量の不法投棄ごみ

 彦根市野田山町から笹尾町にかけての林道沿いに大量の大型ごみが不法投棄されており、ボランティア団体のメンバーや滋賀大・県立大の学生たちが昨年末から撤去作業をしている。今月は26日にも作業を行う。
 不法投棄されている場所は林道「滝谷・武奈線」の約5・7㌔㍍の区間。16カ所の林道脇の高さ約3㍍から約20㍍の谷に、冷蔵庫やテレビなど家電、いすやタンスなど家具、タイヤ、ドラム缶などが投棄。中には引っ越しの時に不要になった物品と見られる一式もまとめて捨てられているといい、県では全エリアで計約10㌧に上ると見ている。
 野田山のエリアは市内で最も不法投棄が多い場所で、県は地元の自治会と協力し、監視パトロールや撤去作業をしてきた。しかし不法投棄が後を絶たず、景観を損なう上、便乗投棄が相次ぐおそれもあるため、県は今年度、投棄物の一掃を行うことにし、湖岸の清掃活動をしているボランティア団体・サラン彦根の十河勇一さん(51)に協力を依頼。
 十河さんの仲間や滋賀大、県立大の学生たち計約20人が昨年12月8日から撤去作業を開始。今月13日までの計5回の作業で、不法投棄されているエリアの3分の1ほどで約3㌧のごみを収集。26日も午前9時から作業を行う。県は年度内に完了させたい考え。
 十河さんは「棄てられているごみは、一般の家庭にある不要となった廃棄物。一つのゴミは、さらにごみを増やします。だから私たちの手で元に戻したい」と話している。問い合わせは十河さん☎090(1675)7839。

岸博幸さん 地域経済再生へ「文化・自然生かし創意工夫を」、ねっと湖東の新春講演会

 テレビなどでおなじみの慶応大学大学院教授・岸博幸さんが12日、愛荘町立ハーティセンター秦荘で「混迷する政治と経済を斬る」をテーマに講演。今年の日本経済の動向と地方経済の再生法を話した。
 岸さんは日本経済の問題として、15年間続いているデフレと成長しないことをあげた上で「昨年のアベノミクスはこの2つの問題を解決しようとした点で正しい。ただ、3本の矢のうち金融政策と財政出動は勝利したが、成長戦略は負けで2勝1敗だと言える」と説明。
 成長戦略の手法について、規制緩和など構造改革を行って企業や産業の競争力を強化するか、補助金や交付税、税制優遇などを行うかの2つあると紹介しながら、日本航空(JAL)や東京電力の企業名をあげ「企業は(補助金などで)甘やかすとダメになる。省庁も予算がほしいため構造改革を嫌うが、構造改革をしないと競争力が強くならない」と述べた。
 地方を含めた今年の経済状況としては、昨年の金融政策と財政出動の効果が徐々に波及すると予想。「消費税がアップした4月から6月にかけてはマイナス成長になるが、全体の成長率は2・6%を少し下がる程度でまあまあだと言える」と解説。来年に地方統一選(4月)や自民党総裁選(9月)、消費税10%(10月)など政治的動きがあることにふれ「景気をもっと良くするため、今年は金融緩和と財政出動の第2弾があるのでは」と予測した。
 地方経済を回復させる方法として、日本は大企業や官僚らエリートが弱い国で、米国はエリートが強い国だとした上で「日本のエリートは前例に無い事をしないが、地方の零細企業はイノベーション(技術革新・創意工夫)をしている」「ヨーロッパでは地域の歴史や文化、自然を生かしたイノベーションをしており、若者を活用して人が訪れたいと思わせるまちにしている」と語り、地域にしかできない創意工夫による経済振興を求めた。
 岸さんの講演会は稲枝と犬上3町、愛荘町の商工会によるねっと湖東が主催し、彦愛犬から約350人が来場した。

対談・彦根の観光の総括

 彦根商工会議所の小出会頭と彦根観光協会の一圓会長との対談では今後の彦根または湖東、そして県全体を含めた観光戦略のヒントが示された。
 まず一圓会長からは、東京ディズニーランドやユニバーサルスタジオジャパンなどのように「彦根城をテーマパーク化にしては」との提案があった。具体的には江戸時代の衣装で観光客を迎えたり、開門式など国内外の有名観光地で行われている儀式を開催したり、ひこにゃんと触れ合う機会を設けたりという内容だ。
 そして、小出会頭は観光施策で手本になる長浜市に対し「競争相手ではなく、組むべき相手と捉えるべきだ」と指摘。その一例として、近江八幡を含めた県北部に残る城跡など戦国、安土桃山から江戸時代にかけての豊富な歴史遺産の活用をあげた。
 いずれも観光施策におけるリピーターと宿泊客を増加させるための手法であり、彦根市としても他市町と連携しながら進めていくべきだ。
 また対談では「あぐらをかいていてはいけない」「行政、団体、市民が一体となって、観光客をおもてなしする美しいまちにしなければ」という、極めてごもっともな意見も出ていたが、観光に携わる者はもちろん、市民や圏内住民は常に「おもてなしの精神」を頭に置いておくべきだ。
 小生がこれまでに何度も指摘してきたが、観光において「殿様文化」の精神は不要である。
 彦根城築城400年祭、井伊直弼と開国150年祭、そして「ゆるキャラまつり(昨年からご当地キャラ博に変更)により、少しずつであるが、良い方向に進んでいるが、一圓会長から「あぐらをかいている」との言葉が出るのだから、まだまだ根強く殿様文化が残っているのであろう。
 市民・町民一人ひとりが、おもてなしのできるまちを目指したい。【山田貴之】

2014年1月20日月曜日

(元日号)これからの彦根の観光 彦根商工会議所・小出英樹会頭×彦根観光協会・一圓泰成会長

 全国の自治体が観光客の誘致に向け、さまざまな戦略を打ち出している中、彦根を中心にした湖東地域がその都市間競争をいかにして勝ち抜けるか。滋賀彦根新聞は地域産業を含めた「これからの彦根の観光と産業」をテーマに、彦根商工会議所の小出英樹会頭と彦根観光協会の一圓泰成会長との対談を行った。コーディネーターは本紙編集長の山田貴之が務めた。
彦根城内をテーマパークに
観光都市へ長浜との連携重要
 ―まずは今の彦根の観光についてご意見を
 一圓 子どものころから彦根城の前で育ったため、多くの観光客に来ていただいていたことに、子どもながらにうれしく感じていました。世界古城博覧会(1987年)以降、観光はバス観光主体で、一時低迷しました。これは全国的にバス依存から個人へとシフトする期間であり、彦根城を取り巻く観光も同様の感がありましたが、彦根城だけではなく、夢京橋キャッスルロード、四番町スクエアと、観光客が求めるポイントは十分に魅力的に進化して来ました。しかし、はたして私たちは「美しい彦根」を演出できているだろうか、という疑問点もあります。例えば、東京からの帰りの新幹線ではディズニーランドから帰る人たちの「また連れて行ってね!」「また行きたい!」という言葉が連呼されている雰囲気を感じます。一方で、彦根から帰る電車や自動車の中で同じような雰囲気になっているかなと疑問を持ちます。道路渋滞や駐車場が少ないなどの不満があるだろうし、人が行っているサービスへの物足りなさもあるように感じます。そう考えると、ちょっと彦根城にあぐらをかいていてはいけないな、というのが私の気持ちです。ただ、ここ1、2年、城内や市内で映画のロケが頻繁に行われるようになり、市にもフィルムコミッション室ができました。また市民有志がNPO団体を設立して屋形船や人力車を活用していることは、いわゆるアトラクションの一つであり、今後は彦根城が江戸時代にタイムスリップしたようなテーマパークに近い形に向かっていくのが一番、必要な事だと思います
 小出 基本的には一圓さんのお考えと同じです。短期的と中長期的に分けて考えないと彦根を成長させることはできません。その中で観光は短期的な部分が必要とされており、足らない物を作るとか、伸びているものを更に伸ばしていくなど、それを実現できる体制を行政と観光協会と一緒に作りたいと思います。現在はイベント開催のたびに実行委員会はできますが、イベント終了後はおしまいになっています。先ほど一圓さんがおっしゃったテーマパーク化を実現させるには、絶え間ない継続と努力が必要です。長浜を見ると、その仕組みがしっかりできていて、長期的な視点も立てています
 ―長浜の観光への取り組みと彦根とを比べると、どのような違いがあるのでしょう
 一圓 長浜は民衆の結束力が強いので、その上での観光、まちづくりが成功していると思います。一方で彦根は城依存が強く、長浜に見習うべきことがたくさんあるはずです。また、長浜と一緒になって観光を育てていかないと、お客さまから見ると、不自然な姿に映ってしまいます。行政区が分かれているため、互いの予算でそれぞれ別の事業をやっていますが、観光客にとってはどちらに宿泊しても良いわけで、絶対に一緒に進めていくべきです
 ―長浜は町衆文化、彦根は殿様文化であり、彦根の場合は少しずつ良い方向に進んでいるものの、根強く殿様文化の悪い面が残っているようですが
 小出 長浜とは競争相手ではなく、組むべき相手の一つとして捉えることに大賛成です。会議所としては、国や県への要望などにおいて長浜と一緒にやっていくべきだと考えています。観光においては互いに優れた面、足らない面があって、競合しないように思います。戦国、安土桃山から江戸にかけての豊富な歴史遺産が残っていて、それを網羅すると、観光客にも楽しんでいただけます
 ―彦根や長浜などの行政、各種団体によるびわ湖・近江路観光圏協議会という組織がすでにありますが
 小出 それはそれで進めて頂いても良いと思いますが、私は観光に対しては、数字を残すことにしか関心がありません。こちらがプランを立てて、県や国に動いてもらうというのが本来のビジネスのあり方だと思います
 ―ただ、彦根の場合は出る杭を打つ体質がまだあるようですが
 小出 基本的には話し合いが一番、大切です。後は数字を持ってきて、論理的に納得していただくことです
 ―観光協会としては独立した機関ですが、上には行政があります
 一圓 予算の問題もありますが、現実ばかりを見ていると、そこから脱出出来ないと思います。もちろん彦根市と二人三脚ですので、市との関係を保ったままで、夢を描き続けたいと思います
(続きは本紙元日号で)

滋賀大学空手道部、松原水泳場で寒稽古

 滋賀大学(彦根市馬場1)空手道部は15日、松原水泳場で恒例の寒稽古を行った。この日の市内の朝は最低気温が氷点下0・9℃の寒さで、部員たちは水中に入って震えながらも懸命に形を披露していた。
 幹部の交代を兼ねて50年以上続けているという伝統行事で、今年は女子学生3人を含む部員11人とマネージャー2人が参加。滋賀大から約1㌔走って浜辺に到着し、見学に訪れたOBや滋賀大の運動部員ら約30人が見守る中、準備運動。
 その後、男子が上半身裸、女子がTシャツ姿になり、横一列に並んで「エイッ、エイッ」と掛け声に合わせて突きをしながら約30㍍沖合まで進み、円になって正拳突きを100回した後、再び突きをしながら岸に戻った。
 休憩を挟み2回目を終えた後には、新成人となった葛城武(たける)さん(20)ら3人が「全国大会で全勝する」「彼女をつくる」など二十歳の誓いを叫びながら、水中に飛び込んでいた。
 主将の中山直人さん(22)は「今年は天気が良くてやりやすかった。根性が鍛えられて、よろしい」と話していた。

防災への取り組みを教職員に助言、福島県富岡町の前教育長・庄野冨士男さん

 東日本大震災での福島第一原発の事故により多くの住民が避難している福島県富岡町の前教育長・庄野冨士男さん(65)を招いた講演会が10日、彦根市立城南小学校であった。
 文科省では防災教育を広める事業を進めており、滋賀県内では今年度、彦根市の城南、若葉、南の3小中学校と近江八幡市の1校で重点的に行われきた。今回はその総括として市教委が庄野さんを招き、城南小など3校の教職員ら86人が受講した。
 庄野さんは震災後の5日間、国や県、東京電力から情報が何一つなかったことや、半年後に小中学校を開設したこと、12月に小中学生の再会の集いを開き、毎年継続していることなどを紹介。
 防災への取り組みとして▽保護者や地域の人たちと連携しながら実効性のある訓練を計画的に行う▽学校が避難所になるという意識とそのマニュアルを作る▽情報収集や連絡の取り方を行政と整備する―ことなどをアドバイスした。

忍者姿になってギネス挑戦 寺村邦子さん「リベンジ」

 忍者姿になってギネス記録に挑戦する2度目のイベントが、来月11日にひこね燦ぱれすで開かれる。市内で8つのギネス記録を樹立している寺村邦子さん(58)=尾末町=が企画し、昨年11月14日に彦根城の二の丸駐車場で最初の挑戦をしたが、不認可となったため、リベンジとなる。
 イベント内容は忍者姿になって参加者全員で並び、5分間ポーズをとるというもの。参加条件は、いずれも黒色の長そで・長ズボン、帯、ふくらはぎに脚はん、目以外を隠す頭巾やマスク、手甲、足袋を装着し、刀や手裏剣など武器を所持すること。
 前回は達成基準の250人を超える287人が参加したが、覆面が完全でなかったり、武器を持っていなかった参加者が31人おり、規定の失格者5%を超えたため不認可となった。
 昨年6月のリレーで歌う挑戦でもギネスに認められず、連続しての失敗に寺村さんは「リベンジのリベンジという気持ちで挑戦したい。前回、来て頂いた方はもちろん、初めての方の参加も待っています」と話している。
 参加対象は乳幼児~高齢者。衣装は自前、自作でも可だが、無料で貸し出しもしている。当日は午後1時~受付・チェックがあり、同3時ごろ~挑戦。申し込みは寺村さん☎090(5152)3918。

2014年1月14日火曜日

国体主会場誘致へ滋賀県内3地域がPR合戦へ

 平成36年に滋賀県内で開かれる国体の主会場を誘致する活動が活発化してきた。主会場の候補地に挙がっているのは、県立彦根総合運動場、県立希望が丘文化公園(野洲、湖南両市と竜王町)、びわこ文化公園都市(大津、草津)。彦根市などが一足早く要望書を県知事に提出しており、今後、選定時期の3月までにほかの地域を含めたPR合戦が行われそうだ。
 候補地は3地域のほか、当初は大津市の皇子山総合運動公園も挙がっていたが、同市は費用負担の軽減や瀬田・石山エリアの開発促進のために、びわこ文化公園都市に絞る意向を示している。彦根市など湖東・湖北の7首長は昨年11月に主会場を彦根に誘致することを求める要望書を嘉田知事に提出。ほかの候補地でも市議会で主会場誘致を求める意見書を可決する動きがあるなど誘致活動に努めている。
 主会場などを選ぶ県開催準備委員会は昨年末に大津市内で開いた専門委員会で、県内候補地別の概算での事業費や課題などを提示した。そのうち施設を整備するための事業費は、彦根が134~140億円、希望が丘が128億円、公園都市が217億円―必要とされた。
 また課題として、彦根は▽城下町景観形成地域など法令上の問題▽彦根城の世界遺産登録への影響▽競技場付近の地盤が不良▽場内の駐車スペース不足―などが指摘されたほか、希望が丘は山を削る工事が必要、公園都市は山林の大規模造成が要る点などがそれぞれ挙げられた。
 県教委の国体準備室によると、今後は専門委員会が開く2回の会議で各候補地の利点と欠点を分析した上で、今年度中に主会場を選定する予定。

常識と価値観の転換を

 今年の本紙元日号で、雑穀料理家の大谷ゆみこさんと弊社の押谷会長との対談記事を紹介したが、お二人の「食」に対する考え方の一致に気づかれた読者もおられるだろう。
 昨年の終わりごろ、大手のホテルや百貨店が経営するレストランの食材「偽装」が話題になったが、この惨事は起こるべきして起きた現象であり、それまでは大目に見てきた神様の警告でもあったのだろう。
 しかし、スーパーやコンビニで見かける食品の裏面ラベルには、着色料、化学調味料、香料など、ありとあらゆる添加物が列記されている。国民の健康よりも、おいしさを「偽装」しながら利潤を追求するメーカーや販売業者の企みとしか言いようがない。
 一方では、「トクホ」「無添加」「無糖」など一見、体に良さそうな表示も見られるが、それらも所詮は官僚機構が定めた基準に従っただけであり、どこの国の食材を使っているのかもわからず、信用できまい。企業と官僚との癒着もあるだろう。
 癒着に関して言えば、「ワクチン」も医療業界と官僚機構との癒着があるだろう。インフルエンザ対策や幼少期に接種するワクチンも元来は強制すべき類ではない。人間には自然治癒力があり、ウイルスに抵抗できる体になっている。その元来の体を作ってきたのが「食」である。
 大手のテレビや新聞では、食や医療業界の企業の言われるままに宣伝しているが(広告費で飯を食わせてもらっているのだから、致し方ないかもしれぬが)、本紙元日号の対談の主題でもあった「日本人本来の食」への回帰のためのキャンペーンがあっても良かろうに。
 ▽小麦によるパン食からごはん・雑穀食に戻す▽砂糖を使わずに昔ながらの製法で作られた塩や味噌、しょう油を使って元来の和食を作る—。この日本人本来の食こそが健康長寿のための基本であるというのは、疑いようのない事実である。
 食や医療はもちろん、他の分野においても、目先にある常識にとらわれる(振り回される)のではなく、また、これまで培ってきた価値観を自戒しながら、一歩引いた目線で判断する捉え方こそが現代の我々に求められている、と確信している。【山田貴之】

2014年1月10日金曜日

(元日号)ごはんの力で健康長寿に 雑穀料理家・つぶつぶグランマゆみこさん×滋賀彦根新聞社・押谷盛利会長

 日本は世界有数の長寿国である一方、死因の6割が3大生活習慣病(がん、心臓病、脳卒中)だとされ、医療などの社会保障費は平成25年度中に過去最高の40兆円を突破するという。いかに健康なままで長寿をまっとうできるのか
 滋賀彦根新聞は、先の大戦前に日本人が食していた元来の食文化を取り戻す活動を全国で展開している雑穀料理家・つぶつぶグランマゆみこ(本名・大谷ゆみこ)さんと、本紙の押谷盛利会長との対談を行った。
大戦後、ごはんからパン食へ
戦勝国は日本の食文化も破壊
 ―ゆみこさんは昨年、著書「ごはんの力」を出版されましたが、ごはん(雑穀)にはどのような力があるのでしょう
 ゆみこ 私が子ども時代、過ごしたのは栃木県足利市の田舎町。食卓に上がっていたのは、ごはん、みそ汁、漬け物でした。そして夕ご飯はお米が少なかったため、うどんでした。しかし、ごはんには栄養が無いと教えられ、年ごろの時期には太ると思って、ごはんを食べないでいました。私が育ったころは(日本国中)どんどん病気が増えていたように思います
 押谷 足利は田んぼが少なかったのですね
 ゆみこ 関東地方はお米が出来にくい土地柄なので、小麦が多く収穫され、雑穀も食べていました
 押谷 僕の子ども時分は、母親から「わしは備前の岡山育ち、米のなる木をまだ知らぬ」という言葉をよく聞かされ、毎日ごはんを食べていることを喜ばなければいけないと教えられていました。そういう事を考えると滋賀の人はその当時からごはんが食べられていたので幸せだったと思います
 ゆみこ 私の母もへらやお釜についたごはんを一粒も残さないようにしていました。それなのに、ごはんには栄養が無い、パンの方が栄養がある、というような話を聞くと、そうかなと思ってしまう自分もいて、ごはんに対しては恩恵を受けているのに価値がわかっていませんでした
 押谷 日本人は先祖代々、新嘗祭や神嘗祭を通して、ご先祖にお供えしたり、ごはんを炊くたびに仏様にお供えをしていました。お米を大事にするしつけは小さいころから行われていましたが、途中でおかしくなってしまって、先生(ゆみこさん)のおっしゃる通り、ごはんは栄養にならないというバカなことが世論になってしまいました
 ゆみこ 日本の民族の主食である作物から、米や雑穀がなぜなくなったのかを調べると、一つ目は第二次世界大戦後、米国で小麦が多く収穫されて、小麦の市場価格が大暴落するという話になったらしく、日本などアジアに小麦が大量に輸出され、パンが主食になったためです。二つ目として米国などは穀物を牛のえさにしようと、子牛と一緒に売り、そして畜産をさせていたという記録が残っています
 押谷 私も余りすぎて小麦を海に捨てていたという話を聞いたことがあります
 ゆみこ 戦争をして勝った国々は相手の食文化も破壊します。例えば、スペイン人がインカ帝国を滅ぼした時、小麦以外の物を食べると逮捕した歴史があります
 押谷 食料でその国を支配するということですね。終戦後、日本は給食を導入しました。米国から脱脂粉乳を輸入し、給食をパン食にしたことで、米よりパンが良いという考えが広まりました。また今の人は菓子パンを食べています。
 ゆみこ そうです。日本で言う食パンは西洋では菓子パンで、ヨーロッパの人が食べているパンは、粒とかが入っていて、私たちは間違ったパンを押しつけられています。その上、お米を敬わなくなりました
 押谷 日本人は米を食べなければならないと教えるのが親の役目です。米を食べなくなったのは、米国の占領政策に乗せられたようなものです
 ゆみこ その事をわからずに、親を敬わず、自分の国にも自信がもてない、誇りに思わないような、根のない人が多くなってしまいました
 押谷 戦後の歴代の政府が学校給食で米を食べるということをもっと押し出すべきでした。米を食べることで農業が栄え、我々の健康を維持する事ができます。なぜ日本の政府は米を食べることの大切さを、国民に示さなかったのでしょう。先生の本を読むと「お米は大事、お米さえ食べたら健康になる、病気にもならずに、心も良くなる」と書いておられます。「お米を食べて」と言う人がおられることは、仲間が増えた気持ちです。こういう本を政府は陣頭に立ってすすめなければならないと思います。
(続きは本紙元日号で

2014年1月9日木曜日

(元日号)日本陸上界のホープ・桐生祥秀選手に聞く

 陸上競技100㍍で日本歴代2位の10秒01の記録を保持し、日本陸上界のホープとして注目されている彦根市開出今町の桐生祥秀選手(18)=洛南高校3年=に、今後の抱負などを聞いた。(聞き手・山田貴之)
日本人初の9秒台へ
 ―昨年は数多くの大会に出ていましたが
 桐生 昨年は約50本のレースに出て、幾つかの課題に対して走りながら考えている感じでした。しかし今年は、大学では日本インカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)、国際大会では米国で世界ジュニア陸上競技選手権大会があり、練習とレースのメリハリをつけてのぞみたいと思います
 ―課題とはどの部分でしょう
 桐生 幾つかありますが、例えばスタートの際、しっかりできる場合と、そうでない時があります。またトップスピードもまだまだで、もう一段階上げていかなければいけません
 ―特にトレーニングで心がけている体の場所は?
 桐生 下半身です。特に腰回りを鍛える必要があるため、スクワットを基本に筋力アップをしていきたいと思います。上半身も大切ですが、下半身の安定がまずは大切だと考えています。上半身は東京オリンピックがある2020年をめどに鍛えていきたいと思います
 ―昨年の世界陸上で、世界記録保持者のウサイン・ボルト選手=ジャマイカ=ら海外の選手の走りを競技場で見た感想は?
 桐生 海外の選手は体のつくりが違い、走り方も異なります。だから、まねをしようとは思いません。自分の理想とする走りを極めていきたいと思います
五輪での活躍期待
 ―国民は日本人初の9秒台を期待しています
 桐生 まずは10秒0台をコンスタントに続けて、そのどこかで9秒台が出せれば良いなと思っています
 ―今年の目標は
 桐生 「(10秒0台の)アベレージを高くしよう」が今年の目標です。10秒0台を出し続けて、どこかで9秒台が出れば良いな、という感覚で練習をする方が自分にとってプラスになると思います
 ―2016年にはブラジル・リオで、20年に東京でオリンピックがありますが
 桐生 まずは両方のオリンピックに出場することが夢です。そのためには、海外の選手たちと対等に勝負できる体作りに努め、オリンピックでは決勝に進めれば良いと思います
 ―彦根市民も応援しています
 桐生 昨年は4月に10秒01を出しましたが、超えることはできませんでした。今後も注目してもらえるよう、がんばっていきますので、引き続き応援をよろしくお願いします。    (了)

2014年1月8日水曜日

(元日号)ひこにゃんVSくまモン 観光戦略の違い探る

 ご当地キャラクターの今や横綱級の地位にある彦根市のひこにゃんと、熊本県のくまモン。ひこにゃんが主に彦根城で「待つ」姿勢である一方、くまモンは国内外へ積極的に営業に出かけ、熊本への観光客の誘致に貢献している。ひこにゃんとくまモンの観光戦略の違いを探った。
「殿様」的か「商人」的か
 ひこにゃんは彦根城築城400年祭に合わせて平成18年4月13日に誕生。当初はそれほど注目されなかったが、築城400年祭の開幕と平成20年6月からの井伊直弼と開国150年祭で国民的キャラとなり、その
後のゆるキャラブームの火付け役を果たした。
 一方で著作権や商標権を巡って、市とひこにゃんの原作者・業者らとの対立が表面化し、法廷闘争まで泥沼化した(最終的には和解)。使用できるデザインは3種類のイラストと1種類の着ぐるみ写真となっているが、商品への商標使用は有償で、販売小売額と予定生産数をかけた額の3%を市に納めなければならない。また商品などには1枚1円の証紙を貼り付ける必要がある。
 対するくまモンは九州新幹線全線開業を控えた1年前(ひこにゃん誕生から約4年後)の平成22年3月に生まれ、その後、全国区に躍り出た。イラストの利用料が無料ということもあり、関連グッズ数は日用品や小物などさまざまな分野に及んでおり、昨年11月末時点で約1万4000点を超えた。ひこにゃんのように使用できるイラストが限られていないため、くまモンをイメージしたクッションやエプロンなど用途も幅広い。認証番号さえ併記すれば、県外の企業広告看板や名刺、職員研修用の冊子などにもイラストを入れることができるという。もちろん証紙も必要ない。
ひこにゃんはキャラ界の神
 観光客の誘致のために生まれた同じご当地キャラクターであるにもかかわらず、「殿様」的なひこにゃんと「商人」的なくまモン。なぜ、ここまで違いが出てしまったのか―。
 全国のご当地キャラのイベントに主催者またはアドバイザーとして参加している日本ご当地キャラクター協会(本部・彦根市小泉町)代表理事の荒川深冊さん(43)によると、彦根市の市民性と熊本県の県民性の違いがあると解説した上で、全国の自治体の担当者からは「ひこにゃんは別次元」との声が統一して聞かれるという。
 つまり、ひこにゃんに追いつけ、追い越せで、くまモンをはじめとして次々にご当地キャラが生まれたものの、ひこにゃんはいつまで経ってもご当地キャラの象徴であり、いわばご当地キャラ界の「神様」のような存在だという。
 そのため荒川さんいわく、ひこにゃんは彦根の殿様文化に合ったキャラクターであり、全国から見ても「殿様」的な地位にあるため「今のままで良いのかもしれない」と分析する。
 一方で「ひこにゃんの周りにいる我々、観光に携わる人間は変わっていかないといけないけれど・・・」とも釘を刺す。ひこにゃんの今後の活躍にまだまだ目が離せない。 【山田貴之】

2014年1月6日月曜日

湖東焼の鳴鳳作品展 彦根城博物館で元日〜、たねや美濠美術館でも湖東焼展

 彦根城博物館は来年1月1日からテーマ展「湖東焼―鳴鳳(めいほう)と赤絵金彩―」を開く。
 湖東焼は文政12年(1829)に、古着商を営んでいた絹屋半兵衛が彦根で始めた焼き物。天保13年(1842)に彦根藩が窯を召し上げて、井伊家十三代・直弼の時代に黄金期を迎えたが、桜田門外の変後は縮小。文久2年(1862)には民間へ移行し、佐和山のふもとで生産されていたが、明治28年(1895)に廃窯となり、その歴史に幕を閉じた。
 種類は藩の内外で取り引きされた日用品から、藩主の愛用品・贈答品として用いられた高級品までさまざま。その中で磁器に赤色で絵付けし、金色で彩色した赤絵金彩の作品は華やかで、その絵付け師としては鳴鳳や幸斎、自然斎、床山などが知られる。
 特に鳴鳳は元々、京都のてんぷう院という寺の寺侍だったが、直弼時代の嘉永年間(1848~54)の終わり頃に客分として迎えられ、安政年間(1854~60)の初めごろまでの数年間、湖東焼の絵付けをした。緻密な筆づかいや洗練されたデザインで、気品あふれる作風が特徴。井伊家伝来の鳴鳳作品は40点あまりだが、大正12年(1923)の関東大震災ですべて被災した。
 テーマ展では被災し、黒ずみが残る作品もある鳴鳳作の湖東焼40点を展示。主な作品は、硯(すずり)の近くに立ててほこりを防ぐために用いる衝立形の道具「円文散硯屏(えんもんちらしけんびょう)」、茶碗を清めるために水を入れておく茶道用の器「芦雁図水指(ろがんずみずさし)」、すり鉢型の胴と大きな高台が特徴の「羅漢雲鶴文(らかんうんかく)茶碗」。
 開館は午前8時半~午後5時、1月28日まで。
井伊直亮時代の湖東焼
 彦根市本町1丁目のたねや美濠(みほり)美術館は来年1月22日まで湖東焼展を開いている。
 平成15年9月の開館以来、所蔵している湖東焼展を開催。今年9月27日からの「秋から迎春の器」展では48点を展示。そのうち、井伊家十二代・直亮時代に作られたという「染付青海波紋吹上龍口(そめつけせいがいはもんふきあげりゅうぐち)浄水瓶」は器の下から立体的な龍が頭を突き出し、龍の口から水が出るようになっている。寺尾市四郎が作り、庄介という職人が龍の細工をしたとされる。
 入館料は中学生以上500円、小学生以下無料。開館は午前10時~午後5時。不定休。問い合わせは同館☎(24)5511。

井伊直禔の具足飾り 彦根城博物館で

 彦根城博物館は新年の元日から10日まで、正月恒例行事として「具足飾(ぐそくかざり)」を展示する。武士が出陣やがい旋などの際、よろいを飾る風習は室町時代から始まったとされる。江戸時代には飾り方に形式があり、正月には具足や太刀、弓具を飾り、その前には鏡もちも供え、11日にそのもちを開いて食べる習わしがあった。
 同博物館では毎年、彦根藩の歴代藩主の具足を展示。今年は九代・井伊直禔(なおよし)が着用し、朱漆を基調にかぶとに金箔押しの大衝脇立(おおつきわきだて)をつけた井伊の赤備え形式の具足を展示する。
 ほかに、いずれも江戸時代の太刀や弓具、燭台(しょくだい)、三宝(さんぽう)も並べる。開館は午前8時半~午後5時。