2014年3月26日水曜日

彦根西・翔陽の統合後は彦根翔西館高校に

 県教委は24日に開いた会議で、彦根西高と彦根翔陽高の統合後の新校名案を「彦根翔西館(しょうせいかん)高校」に選定したと発表。今後、県議会の来年2月定例会で関連条例改正案の可決を経て正式に決定する。
 新校は1学年9学級の総合学科として平成28年度に翔陽高内に設立される予定。新校名については、昨年10月1日から31日まで公募され、彦根に関しては応募総数116件から93点の案があり、統合新校設置懇話会で選定を進めてきた。今年1月29日の5回目の会議では「彦根翔西館」と「彦根芹川」の2案に絞り、彦根翔西館については「翔陽と西高の伝統を引き継ぐことが表れている」「東から昇り、西に向かう太陽のように、目標に向かって羽ばたこうという意味が魅力」など、好印象の声が目立っていた。
 県教委は「統合する両校から一文字ずつを取り入れており、「館」を付けることで、みんなで学ぶという意味合いを持ち、音の響きも良く最もふさわしい」という理由から彦根翔西館を選んだ。
 なお長浜北高と長浜高校の統合後の新校名案は「長浜北高校」になった。

2014年3月25日火曜日

彦根キャッスル リゾート&スパ 大浴場と部屋から彦根城天守の絶景、ランチ・入浴セットも

 彦根市佐和町に22日、「彦根キャッスル リゾート&スパ」(旧・彦根キャッスルホテル)がグランドオープンする。19日にはマスコミ向けに内覧会が開かれた。
  運営会社は一圓興産(彦根市佐和町)。平成9年に開店した彦根キャッスルホテルを大幅にリニューアルするため、今年1月から全面休業し改築していた。「より高級感、上質感あふれるホテルにした」といい、2階の宴会場だった場所を大浴場「城見の湯」にし、エステ&マッサージサロンも併設。座敷をイベントや式場向けのスペースにした。
 またホテル内から彦根城天守の風景だけが見えるよう、テラスや黒壁を設置するなどして道路や車が隠れるデザインにした。宿泊部屋は3~5階の計52部屋で、天守側からは絶景を見ることができる部屋も。シングル、ダブル、ツインがあり、一泊2食付きとビジネスプランとして一泊朝食付きを用意。外の風景を見渡せる半露店風呂付きもある。部屋の額には彦根仏壇の技術を取り入れている。
 1階の日本料理店「近江ダイニング橘菖(きっしょう)」では近江牛や旬の魚貝類などを目の前で調理する空間にし、「彦根みやげ本陣」では滋賀県内の土産品や通り沿いで近江米を使った手焼きせんべいなどを販売する。
 同社の一圓泰成社長は「真の国際観光都市・彦根の玄関に位置するホテルになるよう、おもてなしの精神を大切に努力していきたい」と話している。
 22日にオープンする「彦根キャッスル リゾート&スパ」は市民向けとして、宴席や各種パーティー、慶事、法要、イベント会場としての利用のほか、ランチと大浴場の入浴のセットプラン、男女向けのエステ&マッサージサロンがある。そのうち入浴プランは旬菜のランチと入浴(正午~午後4時)で5940円。一部、プランが利用できない期間がある。
 問い合わせは同ホテル(21)2001へ。

成美記念クリニック副院長・山崎滋さん、検案医長年務め表彰

 彦根市賀田山町の成美記念クリニック副院長の山崎滋さん(65)=京町2=に18日、遺体の検視を行う検案医を長年務めてきたとして、滋賀県警本部長から感謝状が贈呈。同日、彦根署で贈呈式が開かれた。
 山崎さんは同クリニックで内科の医師を務める一方で、約10年前からは検案医として彦根署管内の遺体がある現場に赴き、見分などを行ってきた。
 休日や夜間に現場に行くこともあるというが、山崎さんは「夜中に起こされてもやりがいのある仕事だ」と語りながら「ここ最近は高齢者の孤独死や老老介護の案件がずいぶん多くなってきた」とも話していた。

2014年3月20日木曜日

圓常寺 快慶作の本尊・阿弥陀如来立像 修理終え寺へ戻る説明会も

 彦根藩二代藩主・井伊直孝が開基した圓常寺(城町2)の木製の本尊・阿弥陀如来立像(高さ約90㌢)=県指定有形文化財=が保存修理を終え、21日午後2時~同寺本堂で説明会が開かれる。
 この立像は銘文から、鎌倉時代を代表する仏師・快慶の晩年の作だとされる。目尻がやや上がった生気あふれる表情や胸・腹のリズミカルに流れる衣文(えもん)などが特徴。県教委文化財課によると、快慶作の仏像は滋賀県内に同寺のを含めて2体しか現存しておらず、極めて貴重だという。
 しかし、表面にほどこされていた漆や下地がはく落し、木材の損傷も進行していたことから、昨年6月14日から修理が行われていた。説明会では文化財課の職員が立像の特徴や修理した方法などを解説する。参加無料。午後3時~は茶会も。問い合わせは同課077(528)4672か同寺(22)3904。

鳥居本・寺村家や多賀・一圓家が登録有形文化財に

 文化庁は18日、国内の154件の建造物を新たな登録有形文化財にするよう文部科学大臣に答申。県内からは彦根市鳥居本町の寺村家住宅や多賀町の旧一圓家住宅など6件が登録される。
 寺村家住宅はヴォーリズ建築事務所によって旧中山道沿いに昭和13年(1938)に建てられた建築面積132平方㍍の木造2階建ての建物。外壁や玄関脇の応接間に設けられた暖炉の煙突が洋風になっているのが特徴だが、街道沿いに残る町家風の建物同様、玄関上部の切妻破風や2階正面の格子窓などの意匠は歴史的な町並みとの調和も見られる。
 旧一圓家住宅は主屋が安政4年(1857)に建築面積212平方㍍の木造2階建てで建設。明治24年(1891)に茅葺き屋根から瓦葺きになり、背の高い2階建てに変更された。主屋のほかに、江戸末期の米蔵、木材用の木蔵、自由な用途の雑蔵、明治前期の文庫蔵もあり、いずれも登録有形文化財に入った。
 今回の建造物が登録有形文化財になると、合計で346件となる。

2014年3月19日水曜日

彦根市役所で決起式 国体主会場誘致へ幟旗披露・がんばろうコール、25日にも選定

 平成36年に滋賀県内で開催予定の第79回国民体育大会の主会場が今月25日にも選定される可能性がある。これに先立ち、県立彦根総合運動場が候補地の一つになっている彦根市は20日午前8時半~市役所で、主会場誘致に向けた決起式を開いた。
 国体の主会場の候補地は、彦根総合運動場のほか、県立希望が丘文化公園(野洲、湖南両市と竜王町)、びわこ文化公園都市(大津、草津)の3カ所があがっている。主会場選定専門委員会(事務局・県教委)は今月25日の4回目の会議で結論を出す予定だが、嘉田知事が県議会で5月に結論を引き延ばす可能性を示唆しているため、流動的だ。
 彦根市を含む湖東・湖北の7市町は昨年11月に彦根への誘致を求める要望書を嘉田知事に提出している。市は更に機運を高めて最後の追い上げを図るため、幟(のぼり)旗の披露を兼ねて決起式を開催。市長や教育長、体育団体の代表らが出席し、最後は参加者全員による「がんばろうコール」で締めくくった。

石田三成の魅力を全国へ発信 三成会議で3市長が共同宣言

 戦国武将・石田三成の魅力を全国に発信するための「三成会議」が15日、彦根市古沢町の清凉寺で開かれ、三成ゆかりの彦根・米原・長浜の3市長による共同宣言が行われた。
 三成会議は、三成ゆかりの地の団体が一堂に集まって、その功績や関連情報を発信し、三成の歴史的評価を高めるために3市が共同で設立した組織。彦根は三成が城主を務めた佐和山城跡、米原は三献茶の逸話が残る観音寺、長浜は生誕の地でそれぞれ知られている。
 第1回目の会議は清凉寺内の一室で開かれ、彦根11団体、米原6団体、長浜9団体の計26団体から代表1人ずつが参加。各市2団体ずつが自己紹介をし、3市長が「石田三成に逢えるまちづくり」宣言に署名した後、境内に出て、彦根の大久保市長が宣言文を読み上げながら、全国の三成ゆかりの地に参加を呼びかけた。
 大久保市長は「皆さんの力で盛り上げていただき、再来年の三成の大河ドラマにつなげてほしい」、米原の平尾道雄市長は「観音寺に来ていただき、三成の人となりを知ってほしい」、長浜の藤井勇治市長は「3市でスクラムを組んで、三成の魅力を全国に発信したい」とあいさつした。
 三成会議は今後、年に1、2回のペースで実施。来年度は事務局が長浜に置かれ、藤井市長が代表を務める。
 なお、第1回目の三成会議は三成をテーマにしたイベント「三成の戦2」の中で行われ、会議後には映画プロデューサーの鍋島壽夫さん、歴史作家の桐野作人さん、ラジオDJのクリス・グレンさんらによる三成をテーマにした講演会なども開催された。

2014年3月15日土曜日

山根裕子氏 副市長に、世界遺産と福祉・女性進出に意欲

 彦根市議会は12日、副市長に帝京大学教授の山根裕子(ひろこ)氏(68)を登用する議案を全会一致で可決。その後、山根氏は会見で抱負を述べた。
 山根氏は「彦根の由緒ある伝統と文化を国と世界にアピールし、国際観光都市として発展させたい」「彦根城などの普遍的な美しさと精神の力は必ずわかってもらえると思う」と、彦根城の世界遺産登録に意欲を示した。また福祉の向上と女性の社会進出の整備をあげ「これまでの経験から微力ながらもお役立ちできると思う」と語った。以前から関西に魅力があったといい、滋賀県立大学で執筆など学問の続きをしようと思っていた時に副市長への要請があったという。任期は4月1日から平成30年3月31日。
 山根氏は東京大教養学科卒業後、パリ大学法学部大学院で博士号を取得。立命館大教授、政策研究大学大学院教授などを歴任し、国際法、競争法などを専門としている。国連教育文化科学専門機関(ユネスコ)職員、欧州復興開発銀行(本部ロンドン)の総裁アドバイザー、世界保健機関(WHO)国際委員会委員を務めた。父は塩崎潤・元衆院議員、弟は塩崎恭久・衆院議員。

偉大なる、しゅららぼん濱田岳さんら舞台挨拶ビバシティで

 彦根市を中心に滋賀県内でロケが行われた映画「偉大なる、しゅららぼん」の舞台挨拶が公開翌日の9日夜にビバシティシネマであり、主演の濱田岳さんらも登壇した。
 登壇したのは濱田さんと水落豊監督で、ひこにゃんも登場して会場を沸かせていた。濱田さんは「ようやく皆さんにお見せできる日がきました。楽しんで帰ってください」とあいさつ。水落監督は「滋賀でなければ成立しない映画。自分たちの映画だと思って、友人などに宣伝していただければ」と話していた。

2014年3月14日金曜日

善利組足軽屋敷の辻番所 修理終え公開へ

 彦根市芹橋2丁目で保存修理されていた「辻番所」(旧磯島家住宅)の工事が終了し、16日から一般公開される。16日にはオープン式典やシンポジウムが開催される。
 辻番所は江戸時代に武家屋敷の周辺に置かれた監視用の建物。旧彦根藩足軽屋敷の善利組(芹橋2)の旧磯島家住宅の一角に残っており、約7・3平方㍍のスペースの角には2方向に分かれた見張り窓が備えられている。全国でも唯一だとされる。平成21年3月には市の指定文化財になり、国の補助を得て平成22年10月から半解体による修理が行われ、昨年12月に完成した。
 修理に向けては、市民から資金を募る「トラスト運動」が展開され、集まった約600万円で建物が購入され、その後、国から半分の補助を受けて1億1567万円で修理が行われた。
 16日は午前9時半~オープン式典後、同10時~彦根歴史的風致活用実行委員会がシンポジウムを行い、これまでの歩みを一緒にふり返ると共に今後の活用方針を探る。豚汁の接待も。問い合わせは渡邊さん(23)3073。
 15、16日には栄町の足軽屋敷中薮組の瀧谷家住宅も公開され、火縄銃や弾丸などが展示される。
 なお辻番所は4月以降、土日・祝日の午前10時~午後4時に公開される。

七曲り通りのマップ完成へ、まち遺産ネットひこね製作

 彦根市の市民団体・まち遺産ネットひこねは、市内の七曲り通りの地図を作成し、16日から配布を開始。同日午後0時半~は七曲り通りのまち歩きイベントを行う。
 同団体はこれまで、屋根瓦にある鍾馗(しょうき)と旧外堀をまとめたマップを作成。今年度も市の地域創造事業を活用し、先月には花しょうぶ通りのを完成させた。
 七曲りのマップは江戸時代の御城下惣絵図を活用しながら、村岸家住宅、吉田家住宅、済福寺、長久寺など七曲り通りと周囲の文化財計17件を写真と解説文入りで紹介。防火用の「ウダツ」や「土戸」なども説明している。
 A3判二つ折りで5000部作成。彦根観光案内所、彦根観光協会などに置かれる。16日のまち歩きは橋向町の蛭子神社前に集合。井上仏壇店で伝統工芸の見学、済福寺の彦根仏壇拝観などをしながら通りを歩く。参加無料。申し込みは尾田さん090(3465)0910。

2014年3月13日木曜日

エコーメモリアル・チェンバー・オーケストラ 文化プラザで15日演奏会

 彦根ゆかりのメンバーで組織の団体「エコーメモリアル・チェンバー・オーケストラ」による15日の文化プラザ公演を前に、プレコンサートがこのほど滋賀大学講堂で開かれた。
 同団体は文化プラザの開館に合わせて、平成9年2月に彦根出身や彦根に縁のあるプロの若手演奏家を中心に結成。毎年早春の時期にメンバーが一堂に集まる形で演奏会を開いている。
 今年は東京シティ・フィルコンサートマスターの戸澤哲夫さんを招き、井伊亮子さん(フルート)、藤原博司さん(オーボエ)、大森啓史さん(ホルン)らメンバーを加えた総勢22人がモーツァルトやヴィヴァルディ、ハイドンなどの曲を披露する。
 先日のプレでは本番でも登壇する彦根出身の高岸卓人さん(ヴァイオリン)と、友人の小塩真愛さん(ピアノ)が約150人の観客を前に演奏した。15日の開演は午後2時~。大学生以上3000円、高校生以下1000円(当日いずれも500円アップ)。14日午後7時~大津市のしがぎんホールでも開催。
 申し込みは文化プラザ(27)5200か実行委の川崎さん090(4287)7738。

東日本大震災から3年 正村圭史郎さん「被災地支援よりも、南海トラフの対策を」

 東日本大震災から3年が経過したことから、「今 私たちに出来ることは何か」をテーマにした講演会などが9日、大学サテライトプラザ彦根で行われ、被災地で支援活動をしてきた正村圭史郎さん(46)=本町=が講演した。
 東日本大震災復興を応援する滋賀有志の会が主催。正村さんは、阪神淡路大震災などで被災した高齢者に大量の物資を与える支援活動を見てきた経験から「そのような事をしたら、高齢者は引きこもりになり、寝たきりや孤独死の恐れもある」「ボランティアは下手をすれば、笑いながら人を殺してしまう。私は何もしないボランティアをしている」と解説。
 東日本大震災の被災地では、まちの情報を載せた冊子を仮設住宅の被災者に配る活動をしてきたことをあげ「相手の目や表情などをチェックし、それを日記にまとめていた。相談にのると、返す必要があるので、世間話しかしなかった」と述べた。
 「私たちができること」として、正村さんは「余暇を利用するだけで支援するのは難しい」とした上で「お金や物資の支援、東北へ行くことを考えるよりも、将来起こる南海トラフの大地震に対して、被害が大きくなる三重や和歌山などと交流しておくことだ」と指摘。「今の平常時に動いておかないと、(災害時は)何も動けない。南海トラフの大地震による災害対策に力を注いでほしい」とアドバイスした。

がちゃこん初お目見え 近江鉄道のキャラ、多賀線開業100周年で

 近江鉄道の高宮駅~多賀大社前駅(多賀線)の開業100周年を記念した式典が8日、多賀大社前駅で開かれた。式典ではマスコットキャラクター「がちゃこんも初披露された。
 区間約2・5㌔の多賀線は大正3年(1914)3月8日に運営を開始。多賀大社への参詣者の足として長年、貢献してきた。 式典には同社社員や地元住民ら計約100人が参加。「がちゃこん」の初披露や近江猿楽・多賀座の演舞が行われた後の記念式典で、中村隆司社長は「これからも安全かつ、地域に愛される鉄道としてまい進していきたい」とあいさつ。久保久良町長や木村光伸・多賀大社宮司、中村社長が線路脇に桃の苗木3本を植えた。式典後には開業100周年記念仕様の「湖風(うみかぜ)号」が運行され、子どもたちを乗せて彦根駅間を往復した。 
  近江鉄道のキャラとして初披露された「がちゃこん」は、電車の愛称・ガチャコンにちなんで命名。鳴き声の「コン」からキツネを基調に、車掌の制服と帽子を着用し、電車の前面のデザインを頬に取り入れている。
 彦根総合高校総合学科アートデザイン系列の2、3年生30人がデザインした25作品から同社が選考。愛称名は同社で選んだ4点から、先月9日から23日まで車内と駅で人気投票を行い、がちゃこんに決まった。
 今後は同社やまちのイベントなどに登場する。

2014年3月11日火曜日

多賀大社・木村光伸宮司が執筆 湖北の武将・遠藤喜右衛門の歴史小説

 多賀大社の木村光伸宮司(69)=多賀町=が、戦国時代に浅井長政の家来として仕えた武将・遠藤喜右衛門(きえもん)をえがいた小説「歌仙絵の彼方に」を執筆した。
 喜右衛門は長政の侍大将で、元亀元年(1570年)の姉川の戦いでは、織田信長を討つため味方の武将の首を持って信長の本陣手前まで進出するも、敵に見破られて討ち死にしたとされる。姉川の戦いの前年(永禄12年)には、戦いでの勝利と自身の武運を祈り、三十六歌仙の絵屏風を多賀大社に寄進している。
 木村宮司は、喜右衛門が戦国の北近江を代表する英雄の一人で、豪傑、荒くれ者のイメージがある一方、歌仙絵を寄進するという奥ゆかしさを持ち合わせていたことにひかれ、2年前から執筆活動を開始。喜右衛門の地元・旧山東町や小谷城跡などを訪問し、古文書を参考にしながら小説を書いた。
 大学時代は文学部で、これまでに短編の現代小説を書いた経験はあったが、長編の歴史小説は初めてだったという。本では喜右衛門の祝言の場面から始まり、討ち死にするまでをえがいている。1冊1680円。発行はサンライズ出版。県内の主な書店、多賀大社参集殿で販売している。
 なお三十六歌仙の絵屏風は現在、六曲の屏風型だが、本来は36枚の扁額(へんがく)型だったとされる。多賀大社に残る社宝の中でも貴重な逸品の一つで、昭和47年に県の文化財に指定。年に1回のペースで公開されており、今年は5月の連休に公開予定。

2014年3月9日日曜日

振り込め詐欺防止のシール作成 ATMで配布

 振り込め詐欺の被害を未然に防止するため、犬上・彦根防犯自治会と彦根署は注意啓発シールを作成。彦犬の金融機関や大型量販店のATMの近くに置かれる。
 県内の昨年の特殊詐欺認知件数は133件(彦犬は11件)で、被害額は約5億4300万円(同約2743万円)にも上る。被害者の7割は高齢者が占めている。
 シールは大が縦10㌢・横3㌢、小が縦7㌢・横2㌢の2種類。目立つように黄色を基調にして「振り込め詐欺に注意 だまされたらあかんでぇ!」と縦書きで書かれている。大小それぞれ1万500枚ずつ作成。

彦根城の松のこも外し 啓蟄の風物詩

 冬ごもりの虫が出てくる「啓蟄(けいちつ)」の時期の風物詩、松のこも外しが6日、彦根城内で行われ、時折、冷たい風が吹く中、彦根城管理事務所の職員が手際よくこもを外した。
 いろは松、金亀児童公園、玄宮園、天守前広場の計約100本の松を害虫被害から守るため、毎年立冬の日の11月7日にこも巻きが行われ、啓蟄の3月6日にはこも外しが実施。今年も赤色の法被を着た職員12人が縛っていた縄を切りながら、こもを外していた。いろは松では33本の松のこもを10分ほどで外し、午前中までにすべての作業を終えた。市教委文化財課によると、例年よりもこもに付いていた虫は少なかったという。

2014年3月7日金曜日

藤井スミ苑さん板絵展 あけぼのパーク多賀で

 彦根市大薮町の板絵作家・藤井スミ苑(え)さん(64)の作品展「絵本から広がる世界」が、16日まであけぼのパーク多賀で開かれている。8日午後1時半~は作品を説明するギャラリートークも。
 藤井さんは昭和58年から市内の団体に所属して絵本の読み聞かせなどの活動を行い、3年後には西地区公民館で木彫りのサークルに入って、以降、彫刻を本格的に始めた。平成3年以降の市展では特選や市長賞、無鑑査奨励賞を受賞。市内外で板絵展を開いている。
 材料はほとんどがベニヤ板で、木目を生かしながら「連想し見えてくるものを描いている」という。絵本の登場人物や動物をえがいた作品のほか、15枚の絵に100人の子どもが登場し一つの物語をイメージした作品「風のうた」は、作品の中に小さな穴を開けて後ろから光を当てることで風の文字が浮かび上がるようになっている。
 「わらべうた」も15枚で一つの物語風で作られており、芹川のけやき並木と子どもたちがえがかれている。展示数は計49点。開館は午前10時~午後6時(土日は同5時)。月曜休館。入場無料。

2014年3月6日木曜日

野田山の林道 不法投棄ごみの撤去終了

 彦根市野田山町から笹尾町にかけての林道沿いに不法投棄されていた大量の大型ごみの撤去作業が2日行われ、すべてのエリアで作業を終えた。
 不法投棄されていた場所は林道「滝谷・武奈線」の約5・7㌔㍍の区間。16カ所の林道脇の高さ約3㍍から約20㍍の谷に、冷蔵庫やテレビなど家電、いすやタンスなど家具、タイヤ、ドラム缶などが投棄。中には引っ越しの時に不要になった物品と見られる一式もまとめて捨てられていた。
 県からの依頼を受けたボランティア団体・サラン彦根の十河勇一さん(51)らが昨年12月8日から撤去作業を始め、9回目となったこの日は十河さんや細江正人県議を含む大人15人と、滋賀大・県立大のウィンドサーフィン部の学生30人が参加。
 最後のエリアとなった約800㍍の区間で作業を行い、林道から谷に下りながら洗面台やタイヤなどを撤去した。同部主将で滋賀大2年の北川裕一さん(20)は「予想以上のごみの量に衝撃を受けた。作業によりごみが減っていくのがわかり、達成感がある。次回、もし同様の作業があれば参加したい」と話していた。
 作業には延べ約180人が参加し、約10㌧の粗大ごみを撤去。十河さんは「ごみは勝手にどこかにいくことはなく、捨てられたらずっとそのまま。この活動に参加した人は絶対に捨てることはない」と語っていた。

反論権と反問権盛り込み議会基本条例、彦根市議会が策定

 彦根市議会の議会改革特別委員会は、市議の質問に市長らが反対の意見を述べることができる「反論権」などを盛り込んだ議会基本条例の関連議案を、3日に開会した定例会に提案。全会一致で可決された。議会事務局によると、反論権が入った議会基本条例は全国で3市町目だという。
 市議会は平成24年1月に市民向けのアンケートを実施し「議員の活動がわからない」「資質向上を図るべき」「情報公開が不足している」などの指摘を受けた。このため、わかりやすい開かれた議会を目指して、議会基本条例プロジェクトチームで20回の会議を行い、市民からの意見を聞いた上で策定した。
 条例では市民と議会との関係、議員の定数および報酬など8章で構成。▽2人以上の議員で会派を結成できる▽市議の質疑や質問に対して、論点を整理するために答弁者(市)の反問を認める▽議員定数や報酬については市政の現状や将来の予測を考慮しながら、市民および学識経験者の意見聴取に努める―ことなどをあげている。
 ほかにも「議員または委員会による条例の提案や議案の修正提案に対して、市長やほかの執行機関の長(教育長、部長は入らない)に反対の意見を述べる機会を与える」という反論権も載せている。施行開始は4月1日から。

2014年3月5日水曜日

彦根東高に夏の甲子園初出場の記念碑設置、昭和20年代のセンバツ出場の記念碑も

 昨年夏の第95回全国高校野球選手権大会の初出場を記念し、彦根東高校に記念碑が設置され、1日に除幕式が開かれた。
 記念碑は御影石製で、縦約1㍍50㌢×横約1㍍20㌢。出場した野球部員や監督、校長ら24人の名前が刻まれているほか、入場行進や甲子園で集合した様子の白黒写真も載っている。平成21年3月26日の春の選抜大会出場を記念し翌年3月に設置された記念碑の隣に置かれた。また通路を挟んだ場所には昭和25年春と同28年春の甲子園出場記念の石碑2つも設置。
 除幕式には野球部OB会や後援会、卒業式を終えた3年生を含む野球部員、保護者ら計約100人が参加。後援会の中村善一郎会長は「夏の甲子園出場は悲願であり、OBとしてうれしく思う。これからも記念碑が増えるようがんばってほしい」とあいさつ。
 昭和25年と同28年当時のメンバーが石碑2つの除幕を、現役の野球部員らが夏の甲子園出場の記念碑の除幕をした。夏の甲子園出場時の山中俊亮・前主将は「これからも後輩たちが記念碑を作ってくれると思う」と話していた。
 なお15、16日には県立彦根球場で、星稜(石川県)や済々黌(熊本県)を招いた記念の招待試合が行われる。

彦根商工会議所とミシガン大学が産学連携協定

 彦根商工会議所とミシガン州立大学連合日本センター(彦根市松原町)は産学連携協定を締結。先月28日に同会議所で協定調印式を開いた。
 協定の締結により、▽同会議所の会員対象に同センターによるビジネス英会話教室や米国の商法・商慣習・文化に関するセミナーを開催▽同センターの留学生の企業へのインターンシップ・会社訪問、会員宅へのホームステイを推進▽彦根の国際化推進のために関係機関に必要な助言を実施。
 同会議所の産学連携協定はすでに滋賀大、県立大、聖泉大とは締結しているため、今回の同センターとの調印で市内すべての大学と協定を結んだことになる。同センターが商工会議所と連携協定を結ぶのは初めて。
 彦根商工会議所の小出英樹会頭は「彦根の国際化を進め、海外のお客さんに対してもおもてなしの精神を持って接していく必要があると思い、会議所からお願いして締結することになった」と述べた。
 同センターのベンジャミン・マクラケン所長は「近くにあっても交流できていない企業があるのが事実。今後はウィンウィンの関係で互いに高め合うことができると期待している」と話した。

2014年3月3日月曜日

彦根最初の洋食屋・金亀食堂の復刻カレーの試食会、谷澤夫妻「当時に近い味」

 大正11年(1922)に彦根市に最初にオープンした洋食屋「金亀(こんき)食堂」のカレーの復活を目指し、先月26日に四番町スクエアの街なかプラザで試食会があった。
 金亀食堂の店主・谷澤賢治さんは神戸の洋食店で修業し、日本食堂(列車食堂)のコックを務め、帰郷後、橋本町に店をオープン。店はその後、土橋見附(芹橋2)、上御旗町(河原3)に移り、昭和40年代に銀座でサンテラスコンキとして平成11年ごろまで営業していた。
 地域の課題を解決する活動をしている滋賀大学のサークル「ENACTAS(エナクタス)」では、金亀食堂のカレーの味を復活させようと企画。賢治さんの長男・一豊さん(日中戦争で戦死)が京都の都ホテルでフランス料理の修業をしていた際に記したノートの中に、金亀食堂のカレーのレシピが載っていたことから、学生たちが昨年6月と8月に試作品を製作。小麦粉とバターを使ってルーを作るというレシピで、食べることができる味にまで仕上げることができたという。
 同サークルではこのカレーを常設メニューにしようと、湖東定住自立圏の地域創造事業を活用し審査会を計画。約5店舗の店主にルーと材料費1万円を渡した上で調理・トッピングをしてもらい、今月21日午前11時半~逓信舎で審査会を実施することにした。優勝者のレシピは逓信舎カフェで特別な時に提供される予定。
 26日の試食会には約50人が訪れ、学生たちが作ったカレーを試食。市内の女性(39)は「バターの香りがあり、甘口の中にもしっかりとしたカレーのスパイスもきいていておいしかった」と話していた。
 また賢治さんの娘にあたる谷澤幸子(さちこ)さん(79)と夫の盛(もり)さん(83)=いずれも河原3=も来場。「おいしいカレーを求める時代で、昔の作り方で学生たちが作ってくれたことに感謝しています。当時のカレーに近い味がしました」と話していた。

更生保護サポートセンター彦根市福祉センターにオープン、保護司の拠点に

 刑務所や少年院から仮出所した保護観察対象者の更生を支援する保護司の活動拠点として、「更生保護サポートセンター」が先月25日に彦根市福祉センター(平田町)内にオープン。同日、開所式が開かれた。
 彦根保護区管内(彦根市・犬上郡)では51人の保護司が活動をしているが、保護司の負担軽減として組織的な取り組みが課題だったため、法務省大津保護観察所は保護司の拠点として同センターを設置。
 同センターでは6人の保護司が交代で常駐しながら、子どもが暴力的になってきたことなどに対する住民からの相談や保護観察対象者との面接、保護司同士の情報交換などを行う。
 彦根保護区保護司会の北村惠美子会長は「センターができたことで、保護司同士の横のつながりができる。困った時はこのセンターを利用してほしい」と話していた。
 開所式には約50人が参加。同観察所の柴田恵所長や大久保市長らがあいさつし、看板の除幕が行われた。問い合わせは平日に同センター☎090(1154)3756。
 なお同センターは彦根を含めて県内5カ所目。全国では今年度中に245カ所になる見込み。

新修彦根市史 通史編 現代「刊行を」市監査委員が勧告、市長「年内は困難」

 彦根市が新修彦根市史・第4巻 通史編 現代の発刊を中止した問題(※)で、市監査委員は先月25日、「今年中に書籍として刊行すること」を勧告。市長は「勧告を重く受け止めるが、年内の刊行は難しい」と述べている。
 市民5人が昨年末に提出した請求では「市と市史編集委員会との間で締結された業務委託契約には市が締結後50年間、目的物の出版権を有し、出版権を有する市には著作権法により出版の義務があり、市が出版しないことは違法」「市史編集委員会が業務委託契約の規定による検査に合格し、引き渡しを終了する時は契約金額を支払う旨を明記している。また市が刊行物を発行できた時にその引き渡しを受けたとみなす、としている」と指摘。
 ▽「通史編 現代」を刊行する▽刊行できない場合には、前市長に対して、執筆者らと印刷所に支払った額を市に支払わせる▽執筆者や印刷所が受領した額を市に支払わせる―ことを求めた。
 これに対し市監査委員は「出版できる権利を有するにもかかわらず、書籍として刊行しないのであれば、編さん大綱および委託契約に違反する」「彦根市が取得した財産は出版することができるという権利であるから、閲覧に供しているだけでは管理が適法に行われているとはいい難い」として、刊行するよう勧告した。支払った額の返却については「1年という監査請求期間を経過しているため要件を満たしていない」として却下された。
 大久保市長は「私としては意外な監査結果。勧告を重く受け止めて、民事調停の場で話し合いたいが、(勧告にある)今年中の刊行は物理的に困難」と話している。
 ※解説=市は平成6年に新修彦根市史編さん大綱を制定し、それまでの彦根市史をリニューアルした市史作りを始め、史料編5巻、通史編3巻、景観編、民俗編、年表・便覧を1巻ずつ発行した。
 残りの「通史編 現代」は昭和20年8月15日から平成22年3月までの市史。市は大学教員6人に執筆を依頼し、市史編さん室と執筆者との意見交換、原稿修正を経て、平成21年12月までに700ページ分が完成。翌年3月17日に執筆料約541万円が執筆者に支払われ、同年5月11日に約225万円(翌年2月29日には残りの約25万円)が印刷所に支払われた。しかし市は「内容が一面的」などとして修正を求め、その後も折り合いがつかずに、昨年10月末の刊行中止の発表に至った。現在は市と執筆者側で民事調停中。
 大久保市長にとっては前市長時代からのお鉢が回ってきた形だが、刊行を求めた市監査委員の「意外な」(市長談)勧告は、市の考えよりも請求した市民の主張が正しいという指摘だと言え、あとは市長の決断次第である。 (山田)