彦根市尾末町の埋木舎近くに旧池田家長屋門(市指定文化財)がある。
池田家は彦根藩の中堅武士で、大坂の陣以前の慶長15年(1610)か同16年ごろに、彦根藩に「伊賀者」として召し出されたとされる。大坂の陣後、初代・安清は100石で京橋口櫓普請の下奉行を務め、正和2年(1645)には切通口門(現・キャッスルホテル近く)番頭に就いた。
四代藩主・直興に重用された池田家三代・安富の時代には石高が250石になったが、その後、増減を繰り返し、七代・安重以降は180石で明治維新を迎えている。役職は納戸役などを務め、藩財政の管理に手腕を発揮した。屋敷は、寛永12年(1644)には御歩行町(京町2)にあったが、江戸中期に現在の尾末町に移った。
旧池田家は、敷地面積が間口約31㍍、奥行き約18㍍で、主屋と長屋門が建っていた。主屋は明治以降に改造された後、昭和後期以降に取り壊され、現在はアパートになっている。長屋門は桁行約18㍍、梁間約3・6㍍の桟瓦葺きの入り母屋で、北側に縁がある。南側を門としており、その中央に板戸。門の右手は5区画に区切られている。
5区画では、足軽より身分が低い仲間(ちゅうげん)部屋、厩(うまや)、居室などとして使われていたという。昭和48年4月28日に市文化財に指定。なお、市は歴史まちづくり法認定に基づき、来年度から旧池田家長屋門の整備に入る。
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