彦根東高校が初めてセンバツに出場した昭和25年(1950)時のレギュラーだった高岡利彦さん(77)=西今町に、当時の思い出を聞いた。
―戦後まもない混乱の時期ですが、当時、野球部はあったのですか―
◇前身の彦根中学校に昭和20年に入学した時、野球部はなく、近所で仲間たちと遊ぶ程度でした。その後、22年に野球部に入り、翌年の秋の県大会からレギュラーになり、ショートを守りました。その年の秋の県大会で優勝し、24年には県大会を勝ち進み、近畿大会でも決勝で洛陽(京都)を下し優勝し、初のセンバツ出場を決めました。
―甲子園の雰囲気とセンバツでは戦いの様子は―
◇観客の多さには驚き、全員が落ち着いた様子ではなかったと思います。初戦は開幕日の第2試合で、明治(東京)と戦いましたが、完封負けでした。当時はまだ米国の占領下だったため、入場行進の音楽は米国海軍のマーチが流されていたことを記憶しています。
―そのほかにも米国色が表われていたのではないですか―
◇開幕日の始球式は、マッカーサーの夫人が始球式を務めました。現在のマウンドからではなく、スタンドからの始球式だったと思います。
また第2試合の始まる前には、米国から初めて輸入されたというバッティングマシーンが披露されました。私は1番バッターだったため、日本で最初にバッティングマシーンの球を打ったことになるのかもしれません。しかし、バンドしか許されず、バンドをしようと思いましたが、いままでに見たことがないスピードで、かするのがやっとでした。
―センバツ出場する現在の部員たちに激励の言葉をお願いします―
◇勝敗よりも赤鬼魂の精神で堂々と戦ってきてほしい。頑張ってください。
0 件のコメント:
コメントを投稿