昭和25年に彦根東高が初めてセンバツへ出場した時の野球部員だった藤居栄三さん(76)=中央町=に当時の思い出を聞いた。
―当時の東高の校風を教えてください
◇このころは漕艇(ボート)部が全国制覇するほど全国的にも知られていた。その練習は蒸気船と競争したりするスパルタ式で、野球部内の意識改革にもつながり、甲子園出場を果たせたのではないかと思います。
―甲子園にはレギュラーとして出場されたのですか
◇私は新2年生で、ショートを守っていましたが、先輩の高岡利彦さん(東高アルプス席で紹介)がレギュラーだったため、控えでした。最終の選考までベンチ入りできると思っていたのですが、センバツ開幕の2、3日前に当時ベンチ入りできた13人から外れることになり、甲子園ではアルプス席で応援していました。東高の勝利を願いながらの応援でしたが、何とも言えない複雑な気持ちもありました。
―センバツから帰ってからは待遇面も変わりましたか
◇専任の監督として早稲田大OBの方が監督となり、これまでは部内でバットが2本だったのが、部員1人に2本になったり、県営彦根球場が使用できるようになったり、財政的、練習環境面で改善しました。
―センバツへ出場する現在の部員に激励の言葉をお願いします
◇プレッシャーはかかると思いますが、結果を恐れずに精一杯がんばってきてください。
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