彦根市立花町の「長野(主膳)義言屋敷跡」に残っていた建物が、取り壊されている。江戸時代の建物かは不明だが、また一つ貴重な歴史的建造物が無くなることに、市民から落胆の声があがりそうだ。
長野主膳は本名・義言(よしとき)。本居宣長の国学に従事し、天保12年(1841)には坂田郡志賀谷村に私塾・高尚館を設立。埋木舎にいた直弼も同館で国学を学び、主膳とは師弟関係にあった。嘉永3年(1850)に直弼が藩主に就任した後は参謀として働くが、安政7年(1860)の桜田門外の変後は藩内でも孤立し、2年後の文久2年に処刑された。享年48歳。墓は天寧寺にある。
主膳は、現在の立花町の屋敷跡に、直弼の藩主就任前後から、主膳が処刑されるまでの約10年間過ごした。取り壊される前には、門や小屋、土蔵などが建てられていた。市教委文化財課によると、いずれも江戸時代の建物である可能性は低いとのことだが、土蔵は扉が頑丈で、漆喰細工もしっかりしていたため、文化財的な価値もあったという。
なお取り壊された後は駐車場になる予定だが、「長野義言屋敷跡」と記された石碑は敷地内に残るという。
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