市史編さん室と県立大学考古学研究室による平成14年3月から4月にかけての合同測量調査と、15年度から20年度にかけての市教委文化財課の4回にわたる調査で、3段の丘型で、埴輪(はにわ)を巡らせて石で覆った形状を確認。大和(奈良)の中枢部に築かれた古墳と同じ様式であることから、大和政権とつながりがある首長古墳だとされる。
4世紀前半の大和政権は、繋がりが薄い日本海沿いや伊勢湾岸の地域との関係を築くために近江を重要視。前方後方墳など在地の旧勢力を傘下に組み入れようと、近江に前方後円墳の築造を進めた。4世紀後半には、対朝鮮政策を進める新興勢力と結んだ新たな集団が近江でも台頭し、県内最大規模の瓢箪(ひょうたん)山古墳(全長134㍍)=安土=や、荒神山古墳など各地域を支配していた首長の古墳が作られた。
滋賀県立大学の林博通教授(日本考古学)は「当時、人通りが多かった道路(現・国道8号線)からは見えない、琵琶湖を意識した場所にあることから、当時は湖上交通が盛んだったことを示しているのではないか」と話している。なお市教委文化財課は来年1月29日午後1時半~南地区公民館で、荒神山古墳国史跡指定の記念講演会を開く。申し込みは文化財課へ。
0 件のコメント:
コメントを投稿