NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」で資料提供や時代考証を務めている長浜城歴史博物館学芸員の太田浩司さんが18日、彦根市男女共同参画センター・ウィズで講演=写真。浅井三姉妹の長女・茶々や三女・江らの生き方を推察を交えながら説明した。
太田さんは、茶々(淀)が豊臣秀吉との間にもうけた鶴松(3歳で死去)と秀頼について、秀吉が茶々以外の女性との間に子どもが出来なかったことから「当時は誰一人、秀吉の子だとは思わなかったのでは。常識的に考えてもおかしい」と解説。茶々が、武将の大野治長(はるなが)や石田三成らとの噂があったことも紹介した。
茶々が秀吉と結婚した理由については「20歳の女性が50代のおじさん(秀吉)を好きになって嫁ぐわけがない」「自分の実子を天下人することで、(父母を殺された)復讐をしようとしたのではないか」と分析。「戦国時代の女性は政治的な使命をもって嫁に行っている。当時の結婚は戦いに行くのに等しかった」と述べた。
徳川二代将軍・秀忠に嫁ぎ、三代・家光の母だった江については、徳川家で正室の子が将軍になったのは江だけだったことや、7人の子のうち五女・和子(まさこ)が天皇家に嫁ぎ後の明正天皇を生んだことをあげ、「織田信長をおじにもち、秀吉の養女となり、家康を義父とした。また将軍の正室、母親となり、天皇の祖母にもなった」「正にセレブ中セレブであり、戦国時代の姫の中で、最も成功した女性だったのではないか」と賞賛した。
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