2019年5月28日火曜日

旧豊郷尋常高等小学校本館が薩摩治兵衛記念館としてリニューアル

 国登録有形文化財の旧豊郷尋常高等小学校本館(豊郷町四十九院)が「薩摩治兵衛記念館」としてリニューアルオープン。開館を記念し12日に式典と音楽会が開かれた。
 現在の豊郷小学校は明治6年(1873)5月に四十九院の唯念寺に創設された成文学校が前身。その後、尋常科至塾小学校などを経て、明治25年4月に豊郷尋常小学校となり、4年後に豊郷尋常高等小学校と改名された。校舎は敷地面積約7345平方㍍に木造平屋建て約1551平方㍍で、昭和10年(1935)頃には建物の老朽化と児童数の増加(計600人以上)で、移転新築の必要があったため、実業家の古川鉄治の寄付で同12年5月に新校舎(現在の豊郷小学校旧校舎群)が竣工。同22年4月に豊郷国民学校から豊郷小学校に改称された。
 薩摩治兵衛は天保元年(1830)に四十九院村の農家に生まれ、10歳での丁稚奉公を経て慶応3年(1867)に東京日本橋で木綿商として独立した実業家。至塾小学校の新築時や豊郷尋常高等小学校前の道路拡張工事の際に多額の寄付もした。
 旧豊郷尋常高等小学校本館は2階建て延べ約200平方㍍。1階部分が講堂だったが、新校舎の竣工に合わせてヴォーリズ建築として教職員住宅に改造された。以降は明治20年頃の様相を伝える建物として地元で活用され、平成19年(2007)7月には国登録有形文化財に指定された。隣接する先人を偲ぶ館には薩摩治兵衛、二代・薩摩治兵衛、三代目の薩摩治郎八の写真や遺品が保管されている。
 昭和16年1月には鉄治郎の息子・博一らが「芙蓉会」を設立。芙蓉会では新たな観光スポットと地域の憩いの場の創設を目的に、老朽化していた旧豊郷尋常高等小学校本館の改築を決め、平成25年(2013)から調査、耐震診断、実施設計を行い、同28年から改築工事をしてきた。明治期の写真や資料を活用し、窓の開き戸式の扉(唐戸)やバルコニーなどを復元整備した。2階部分の内装はそのままになっている。改築費約6000万円。
 治兵衛の功績を称え、施設名を薩摩治兵衛記念館にし、集会や音楽会などイベントができる多目的ホールとして活用する。芙蓉会の古川博康理事長は「伊藤忠兵衛記念館、豊郷小学校旧校舎群に続く3つめの観光スポットが整備できました。文化遺産を大切に活用していただき、地域活性化にもつながればと思います」と話していた。
 見学する際は火木土曜日開館の先人を偲ぶ館に連絡するか、四十九院区長の渡邉則夫さん(35)3093まで。

2019年5月18日土曜日

宿泊施設・多賀さとの宿 一圓屋敷6月1日オープン

 国の登録有形文化財に指定されている多賀町の一圓屋敷が宿泊施設「多賀さとの宿 一圓屋敷」としてリニューアル。6月1日のオープンを前に9日、マスコミなど向けの内覧会が開かれた。
 一圓家は江戸時代の庄屋で、現在の建物は安政4年(1857)に建設され、敷地面積が1678平方㍍、建物面積が2階建て約560平方㍍。3つの蔵を備えている。平成20年(2008)にNPO法人彦根景観フォーラムに譲渡され、地元住民団体の多賀クラブが街おこしの拠点として活用してきた。
 彦根景観フォーラムのメンバーや地元住民らは宿泊施設化を目指し、合同会社さとやま多賀を設立。階段やバスルーム、談話室の新設など改築を行い、一つの蔵を含めて最大で3グループ18人が泊まれる和室と洋室の3部屋を設けた。
 夕食には多賀の野菜や地鶏を使った「じゅんじゅん」や地酒「多賀」を用意しているほか、朝食には野菜を使ったみそ汁や滋賀のつくだ煮を提供する。電動自転車6台を置き、多賀の3コースを2~4時間散策する「里山自転車さんぽ」も体験できる。宿泊料金は大人2人の場合一人1万3500円。自転車貸し出し4500円。
 さとやま多賀代表の桂善蔵さん(70)は「多賀の里の良さを体感できるメニューをそろえました。自転車で多賀のまちの散策もしてほしい」と話している。問い合わせは一圓屋敷のホームページか後日つながる(20)8275。

2019年5月17日金曜日

宗安寺で江戸時代に描かれた地獄絵(十王図)を公開

 彦根市本町の宗安寺(竹内眞道住職)は19日まで、江戸時代に描かれた地獄絵(十王図)を公開している。
 経典の「十王経」によると、人は亡くなると冥界の十大王に、生前の罪についての裁断を受け、遺族の追善供養によって良き審判が下され、善処に生まれるとされる。
 地獄絵は寛文7年(1667年)に、宗安寺第7代の縦誉(じゅうよ)上人が、亡くなった弟子の昇誉無極上人の菩提を弔う
ために描かせたとされ、縦179㌢×横46㌢の掛け軸型の10幅の絵。初七日から3回忌までの十王と本体の仏がそれぞれ描かれており、57日の絵には閻魔(えんま)王と地獄菩薩、100ケ日には平等王と観音菩薩が登場しており、亡き人が鬼に舌を抜かれたり、火あぶりさせられたりしている様子の絵も見られる。
 竹内住職は「縦誉上人が檀家に悪い行いをしないよう戒めるためにこの絵を描かせたのだろう」と話している。観覧料は大人200円、子ども無料。午前9時~午後5時。問い合わせは宗安寺(22)0801。

 井伊家と縁がある社寺を巡りながら秘仏の観覧などができる「井伊家ゆかりの神様・ほとけ様十六巡り」が、今月19日までの土日に行われている。
 彦根観光協会が井伊家ゆかりの社寺などのPRの一環で企画。協賛の社寺などは大師寺、千代神社、済福寺、宗安寺、北野神社、埋木舎、滋賀県護国神社、長寿院、龍潭寺、多賀大社、慈眼院、青岸寺、圓常寺、西明寺、金剛輪寺、百済寺。各社寺では直弼ゆかりの茶室公開や拝殿でヨガ体験、写経体験などができる。体験内容は彦根観光協会のホームページで確認可。
 このほか通年として、ひこにゃんをプリントした朱印帳を各社寺や彦根観光協会、市観光案内所、彦根観光センターで1200円で販売。各社寺では300円で朱印が受けられる。朱印帳の提示で屋形船の乗船料や飲食代の割引などの特典も。

2019年5月15日水曜日

日本ご当地キャラクター協会と日本ご当地タクシー協会が協定締結

 ひこにゃんの運営費の資金協力を求めている日本ご当地キャラクター協会(彦根市大藪町)に、日本ご当地タクシー協会(大阪市)がひこにゃんの活動資金を寄贈。9日に四番町スクエアで協力協定の締結を兼ねた式典があった。
 日本ご当地タクシー協会は、日本各地で「観光タクシー」を運行する事業者9社で昨年4月に結成。観光タクシーは各地の名産品型の表示灯やユニークなデザインの車体が特徴で、観光案内の知識を備えたドライバーが乗務し、各地で運行している。現在は北海道から九州まで12道県で13社が加盟している。
 昨年の台湾で開催されたご当地キャラのイベントで、香川県のうどんタクシーがご当地キャラのつるキャラうどん脳と一緒に地元をPR。このコラボを全国に広げて地域貢献に役立てようと協定を締結した。
 この日は、うどんタクシーとつるキャラうどん脳、岐阜県の鮎菓子タクシーとひあゆ丸、石川県の金澤寿司タクシーが参加。ひこにゃんの活動資金の目録贈呈後、彦根のやちにゃんを加えて記念撮影が行われた。
 日本ご当地タクシー協会の楠木泰二朗理事長は「タクシーが単なる移動手段ではなく、観光振興にも使えるということをアピールしたい」と語っていた。

2019年5月11日土曜日

公政会 過半数の12に、谷口典隆議員入会で反大久保色増す

 4月21日の彦根市議選で当選した新人10人らを加えた新たな会派構成が6日までに判明。6期目の谷口典隆議員と保守系の新人5人が公政会に入り、現職6人を含め市議会の過半数の12人となった。大久保貴市長に厳しい立場をとる谷口議員の入会で、市議会と現市政の対立構図がより深くなるのは必至だ(次号で各会派のメンバーと役員を掲載予定)。
 新人議員で公政会入りしたのは、伊藤容子、小川隆史、黒澤茂樹、森野克彦、林俊幸の各議員。谷口議員は本紙の取材に「現市政に対峙するにはまとまった組織に入る方が良いと判断した」と話した。谷口議員の入会は今後、2年以内の市長選や4年後に予定されている県議選の出馬に向け、自民党系の組織固めの布石との見方もできる。公政会は再選した現職を含め、改選前の8人から4人増となり市議会での影響力がより強くなる。
 一方で、市長与党の夢みらいには新人の小川吉則、森田充の各議員が入会。現職2人と含め4人となったが、改選前の6人から減らし、その影響力がより薄まった。
 北川元気、堀口達也の両議員による新会派「令和会」、公明党の現職2人、共産党の新人2人、無会派の2人は、いずれも現市政に厳しい立場をとっており、大久保市長の市政運営は改選前よりも難しくなる。

 ※解説=谷口議員の公政会への入会(復帰)が持つ意味は重く、最も嫌がっているのは大久保市長に違いない。
 なぜ、その意味が重く、大久保市長が嫌がるのか―。まず、改選前は公政会および市議会のオーガナイザー的な存在だった西川正義氏がいたが、西川氏の引退で改選後のまとめ役の不在を危惧する声は市議会内でもあった。そういう見方からすると、市議会のキーマンの一人である谷口議員の公政会入りが持つ意味は大きい。
 また、小生がこれまでの議会を見て判断するに、大久保市長が現市議会で特に嫌がっているのは獅山向洋、谷口の両議員である。市長が両議員を嫌がる理由としては舌鋒鋭い指摘はもちろんだが、両議員が大久保市長を優に上回る首長としての資質を備えていることである。
 そして、改選前の公政会には大久保市長を支持する議員が一人いたが、谷口議員の入会で、より反大久保色が強まるのは間違いない。市長を支持する夢みらいの議員は4人に減り、残り20人が厳しい立場だ。更に「死に体」が続いている現市政が生き返る見込みはない現状からも、大久保市長の残り2年の任期は保たないと考えているのは小生だけではなかろう。【山田貴之】

 先の市議選で当選した新人議員10人への議員章のはい用式が7日、市役所本庁舎5階の議会応接室であり、議会事務局の職員から議員一人ずつに議員章が付けられた=写真。

2019年5月6日月曜日

万葉集 彦根の山や川を詠んだ歌2作

 新元号「令和」の2文字は、万葉集第5巻の「梅花の歌」の32首の序文に使われている。万葉集には日本各地の風景などを詠んだ歌があり、彦根市内に関する2作の歌に登場する場所などを紹介する。
 万葉集は奈良時代に刊行された日本最古の和歌集で、全20巻に天皇や皇族、歌人、農民など幅広い階層の人たちが歌った約4500首の歌が収められている。
 新元号に使われた第5巻の序文は「時に初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」。この現代語訳は「時あらかも初春の好き月、空気は美しく風は穏やかだ。梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のように白く咲き、蘭は身を飾った香のごときかおりをただよわせている」。
 第5巻の梅の花を歌った32首は天平2年(730)1月13日、万葉集の編さんに関わった歌人・大伴家持(718~785)の父で太宰府長官だった大伴旅人(665~731)の自宅での宴席に集まった32人の役人が、庭園にあった梅にちなんで詠んだとされる。
 彦根市内の歌の一つは、「淡海路(あふみぢ)の 鳥籠(とこ)の山なる 不知哉(いさや)川 日(け)のころごろは 恋(こ)ひつつもあらむ」。第三十七代の崗本(斉明)天皇(594~661)が詠み、万葉集第4巻に収められている。
 彦根万葉集を読む会(現在は解散)が平成21年(2009年)12月に彦根駅東口に設置した石碑には、その歌の意味として「淡海路の鳥籠の山を流れる不知哉川の名のように、さあどうなのでしょう。この日頃もあなたを恋い慕いつつ過ごしていましょうか」とある。
 鳥籠の山とは、彦根を通っていた東山道に鳥籠の駅があったとされ、その近くの大堀山や正法寺山、東山があげられる。天智天皇の子・大友皇子と、弟の大海人皇子が皇位継承を争った壬申の乱では鳥籠山で戦があった。
 不知哉川とは芹川が有力だが、原町の小川との説もあり、不知也川と呼ばれている。「いさや」には「さあどうなのか」の意味もある。
 市内を詠んだもう一つの歌は「犬上の 鳥籠の山なる 不知哉川 いさとを聞こせ 我が名告らすな」。
 彦根万葉集を読む会の元講師で彦根城博物館建設準備室次長や彦根東中学校長などを歴任した礒崎啓さん(91)=米原市=によると、後半部分の現代語訳は「さあ、知らないとおっしゃってください。私の名を言ってくださるな」。作者は「詠み人知らず(作者不明)」で、「2作とも恋を詠んだ歌だ」と解説した。
 大堀山のふもとには2つの作品を記した石碑が建っており、裏面には「平成6年夏」との建立時期が書かれている。
 なお同会は昭和55年(1980)に磯崎さんが講師を務め、東地区公民館で毎月1回、万葉集の教室を開き、県内外から受講者がいた。
 結成30周年の平成21年12月には彦根駅東口に万葉歌碑を建立し、12日に除幕式を開催。磯崎さんや当時の獅山向洋市長らが出席した。この模様は本紙の12月16日号でも紹介している。同会は一昨年に解散している。