山の湯は、彦根でのキリスト教会の草分け的存在だった三谷岩吉が、それまで経営していた遊郭を廃業し、その当時に失業していた高齢者らに職を与えるために銭湯を始めたのが最初とされる。
のれんをくぐると、左が女風呂、右が男風呂になっており、入り口を入ると中央に番台がある。脱衣場から浴場に入ると、少し熱い湯、常温、かけ湯用、薬湯の浴槽があり、特に薬湯は彦根城の元御殿医に教えられた成分の配合が続いてきたという。浴場の様子は彦根出身の画家・上田道三の絵「明治の風呂屋」にも描かれており、現在も明治期と変わりない。
奥田庄喜さん(享年77)が1988年(昭和63年)ごろに前任者より引き継ぎ、四代目として隣接する家主から借りる形で妻の良さん(82)と二人三脚で経営。約9年前に庄喜さんが亡くなって以降は良さんがオーナーを務めてきた。
客5年で半減に
隣接は旧外堀土塁
近年、市内には多い時で20軒ほどあった銭湯も年々減っていき、市史によると、2001年の調査時では市内で5軒となり、しが彦根新聞が約5年前に取材した際は山の湯のみだった。
常連客は9割が高齢者で、約5年前が80人ほどだったが、ここ1、2年で半分以下に落ち込んでいたという。またボイラー設備や付属の機械が壊れ、高額な修理費と将来的な見通しから廃業を決意。良さんは「常連客のことを思うと続けたいけれど、仕方ない」と話している。
20年近く山の湯を愛用してきた河原2丁目の女性(71)は「利用客同士で和気あいあいと仲良くでき『お風呂友だち』も何人かいた。困っている市民もいるし、市が支援して続けられないか」と話していた。
山の湯の建物は市内の不動産業者が管理しており、隣接場所に土塁が残る外堀跡は国の特別史跡にも指定されている。不動産業者の社長は「文化財的な価値があるのは理解しており、市民から保存を求める意見も聞いている。しばらくは様子を見たいが、借り手がない場合は解体もやむを得ない」と述べている。
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