2022年5月31日火曜日

大野和三郎県議に対し県議22人が政治倫理審査会による審査求める請求書提出

彦根市と犬上郡選出の大野和三郎県議(66)が政治倫理基準に反する疑いがあるとして、県議22人が25日、県議会議員政治倫理審査会による審査を求める請求書を県議会議長に提出した。
 本紙の取材や審査請求書によると、大野県議は昨年11月から12月にかけて、三日月大造知事や農林水産部の県職員と面会し、県が全国農業協同組合連合会(JA全農)に特定業者との取引の見直しを求めるよう要求。県が応じない場合、農林水産関連の予算案に会派として賛成しないと主張した。これに対し、大野県議が所属していた自民党会派は会派内でそのようなことは決めていないとして、大野県議を会派から離脱させた。
 審査請求書はチームしが、共産党、公明党、さざなみ倶楽部の議員のうち副議長を除く22人の請求者で出された。県議会議員の政治倫理に関する条例が2004年1月に施行されて以来、初の審査会の設置になった。
 
「どあほ」「帰れ」県職員に
「執よう要求と高圧的な言葉」
 審査請求書で明らかにされた県公表の書類では、昨年11月から12月にかけて、大野県議と知事、県職員と延べ16回におよぶ話し合いの内容が示されている。中には大野県議が「年内中にけりをつけておかないと、農水に係る予算、これはペケ」など関連予算を認めない発言をしているほか、「どあほ」「帰れ」など言葉も随所で見られる。審査請求書では「執ような要求をしており、時には高圧的な言葉を使うなど政治倫理基準に反する疑いがある」と指摘している。
 大野県議は、不適切な発言に対しては謝罪した一方、不当要求や圧力に関しては否定している。
 今後は県議会各会派の一人以上の議員や学識経験者2人以上の委員で構成された政治倫理審査会が協議を行い、大野県議の言動が政治倫理基準に反したかを確認する。違反が認められた際は、出席自粛、役職辞任、議員辞職の勧告、文書警告、全員協議会での陳謝などが発令される。

 

2022年5月25日水曜日

県レイカディア大学の米原校10月からアルプラザ彦根4階に移転

 60歳以上の県内在住者が園芸や歴史などを学ぶ県レイカディア大学の米原校(県立文化産業交流会館内)が、今年10月からアルプラザ彦根4階に移転することがわかった。事務局がある県社協は受講者を募集している。
 県レイカディア大学はシニア層の県民にさまざまな分野の学びの場を提供しようと県(現在は県社協)が1978年に創設。88年に米原校、93年に草津校(県立長寿社会福祉センター内)が設けられた。草津校では園芸・陶芸・地域文化・びわこ環境・健康づくりの各学科、米原校では園芸・北近江文化・健康づくりの各学科がある。受講者は2年間学び、これまでに計約6500人が卒業した。
 
アクセスと利便性で
今期は10月1日~
 米原校では県立文産会館のほか、近くの公民館も利用してきた。県社協はより駅に近く、1カ所で開講できるようにするため、米原から彦根への移転を決定。名称も草津校・米原校から草津キャンパス・彦根キャンパスに変更した。
 1年ごとに受講者を募集。第44期生の今期は今年10月入学、2024年9月卒業。対象が今年10月1日時点で60歳以上。年間の授業料は前後期各2万5000円。彦根キャンパスの定員は園芸学科30人、北近江文化学科と健康づくり学科各20人の計70人。募集要項と入学願書の配布先は草津校や米原校、県内市町の高齢者福祉の担当課、市町社協、公民館、図書館など。びわこシニアネットからダウンロードも可。入学願書の受付期間は6月1日から7月29日まで。問い合わせは米原校☎0749(52)5110。

天守前でラジオ体操禁止に一考

 天守前でのラジオ体操に参加していた市民2人と市長との面談は、その日に中止が決まるという予想外の展開だった。
 背景にはこの問題が全国ニュースとなったことで、性悪説の観点から早急に防犯面を強化せざるを得なかったことがある。文化財保護や防犯・防災の面からすれば、市側の即断は評価できるのかもしれぬ。
 ただし、あまりにも早急過ぎたという感はぬぐえない。小生は、市民との面談後にも市長に質したが、折衷案は本当になかったのか、継続の道はなかったのか―、何とも煮え切らぬ思いである。
 この問題が全国ニュースになった際、ネット上では市側の姿勢を支持する意見が大半を占めた。市長も小生に「このネット上の意見がサイレントマジョリティーだ」と主張していた。だが一市民である小生はそうは思わない。
 そもそも彦根市民は子ども、市内大学に通う学生、高齢者、障害者が身分証の提示で無料となり、ほかの世代も広報誌に折り込まれている無料チケットを使うか、マイナンバーカードを提示するかで無料になる。そのためネット上であった「観覧料を払わずに入場するな」の指摘は市民には事実上あたらない。また長年、彦根城を庭または公園のように身近な存在として接してきた市民性もある。
 ほかの時間外での入場の是非や防犯面への対処を含め、何らかの良きアイデアでの天守前でのラジオ体操を継続させる策はあったはずだ。頻繁に「経営者としての視点で」と唱える市長なら、何らかの良き策を提示すると期待していた市民も少なくないだろう。
 今回の市の措置で、身近だった彦根城の存在は遠くなってしまった。世界遺産を目指すうえで重要な市民の機運醸成に影響が出なければ良いのだが。(山田貴之)

2022年5月23日月曜日

庄堺公園のバラ見頃 初めてバラカフェも

 彦根市開出今町の庄堺公園内のバラが見頃を迎え、来園者が写真撮影をしたり、香りをかいたりして楽しむ光景が見られる。今回は初めて29日までキッチンカーで飲食販売する「バラカフェ」もオープンしている。
 約2000平方㍍のバラ園には、ピンクのクイーンエリザベス、赤のクリスチャンディオール、白のパスカリ、朱のローラ、黄の天津乙女など計約1250本のほか、初めてイングリッシュローズのコーナーを整備した。5年前までは24種類と公表されていたが、2018年4月から管理している指定管理者の高木・技研特別共同体が細かく品種を確認したところ66種類だとわかり、今年は昨年に続いて更に増えて111種類になっている。
 同公園管理事務所の作業員とボランティアの市民34人が育ててきた。ほとんどが咲き始めており、一部は満開になっている。愛荘町から2歳の娘と訪れた女性(29)は「とてもきれいで、子どもも喜んでいる。いろんな色が見られるのがいい」と話していた。見ごろは6月中旬までだという。10月上旬にも咲く予定。入園無料。
 キッチンカーは1~3台が配置され、からあげ、たこ焼き、クレープ、ソフトクリーム、フルーツサンド、タピオカドリンクなどが販売される。午前10時~午後4時。

2022年5月21日土曜日

天守前でラジオ体操禁止で3カ所の入り口に施錠と職員警備、市民たちは二の丸駐車場に集う

 天守前でのラジオ体操が禁止となった17日早朝、3カ所の入り口は施錠され、市文化財課の職員が警備にあたった。登城できなかった市民たちは二の丸駐車場に集い、ラジオ体操をしていた。
 天守前でのラジオ体操に参加していた市民2人と和田裕行市長との16日の面談で、市長は天守前でのラジオ体操の禁止と場所を変更しての実施を求め、市民2人も合意した。市は同日の閉場後、入り口3カ所を施錠。警備員の配置が間に合わないため、当面の間の早朝から開場時間の午前8時半までは市職員が警備にあたる。
 17日は市民32人が参加。二の丸駐車場で円になって午前6時半からラジオ体操を実施。市内の女性(73)は「残念だけれど、彦根城は市民の宝物なので仕方がない。これまで参加でき、感謝している」と話していた。
 市長と面談した一人の西村洋治さん(77)によると、ラジオ体操に参加せず帰宅した市民が5人ほどいたといい「市と争っても仕方がないが、ICカードや専用のユニホームの配布などで対応できたのでは」と語っていた。
 一方で、ラジオ体操終了後の午前7時頃に表門の入り口を訪れた市内の男性(64)は登城できないことを初めて知り「一日に1回、登城すると決めている。マイナンバーカードがあるため、無料で開場時間内に登ればいいだけ。むしろもっとセキュリティーを強化するべきだ」と述べていた。

2022年5月18日水曜日

内堀で白鳥のヒナ誕生

 彦根城の内堀で白鳥のヒナが誕生し、12日午後1時時点で3羽が親鳥近くを元気に泳いでいる。
 彦根城管理事務所の作業員が今月5日午前にかえっているのを確認した。脇孝子副所長によると、ハクチョウたちの巣で9個あった卵のうち、5日に7羽がかえったという。しかしカラスに襲われるなどして少なくなり、現在は3羽が体長20㌢ほどまで成長している。
 内堀では昨年6月にも3羽のヒナがかえり、そのうち1羽が成長していたが、年末年始の大雪とみられる影響で今年1月初めに死んだ。
 脇副所長は「カラス除けなど対策はしていきたい。自然のことだからできることは限られているが、これからも温かく見守っていきたい」と話している。なお、城内には内堀の2羽と生まれたヒナ3羽のほか、埋木舎前の中堀にオス1羽が生息している。

2022年5月17日火曜日

洋食店スイス今月29日で閉店

 彦根市中藪町の洋食店「スイス」が今月29日で閉店することがわかった。料理のおいしさと草木で覆われた建物の雰囲気から、休日には行列ができる人気の店だった。
 同店は1972年にオープン。ハンバーグやオムライスが有名で、近年ではメニューや建物の外観がSNSでアップされたり、テレビで報じられるたりして、県外ナンバーのバイクや自動車が多く見られた。
 店主の伊藤共栄さん(79)とその家族らで経営してきたが、後継者不足と建物の老朽化のため閉店を決めた。建物は解体される予定。伊藤さんは「50年という長い間経営し、地域の皆さんにもひいきにしてもらった」と話していた。

 

2022年5月16日月曜日

聖泉大学看護学部の学生たち乳がん患者用タオル帽子を手作りし彦根市立病院に寄付

 彦根市肥田町の聖泉大学看護学部の学生たちが、乳がん患者用の「タオル帽子」を手作りし、彦根市立病院に寄付した。
 聖泉大も加盟するびわ湖東北部地域連携協議会の事業「SDGsでつながる学生の地域連携プロジェクト」の一環で、乳がん予防の啓発活動をしている団体のピンクリボンひこねと一緒に昨年9月から製作に取りかかった。
 看護学部の3、4年生7人がミシンと手縫いで加工して製作。裁縫に不慣れな学生でもできるよう、市内の子ども用品店で購入した90㌢から110㌢までの服をリメイクする形で帽子12着を作った。
 3年の南里沙さん(22)=東近江市=は「肌に優しく、気軽に使ってもらうことを心がけて作った。これからもどんどん作っていきたい」と話していた。寄付を受けた彦根市立病院の金子隆昭院長は「治療で髪の毛が抜けると、女性の場合は生活の質が落ちてしまう。タオル帽子は患者にとっても大きな喜びになる」と礼を述べた。

2022年5月6日金曜日

敏満寺石仏谷墓跡の一部の復元工事を完了

 多賀町教委は、現存する中世の墓地遺跡のうち国内最大規模で最古の(※)敏満寺石仏谷墓跡(びんまんじいしぼとけはかあと)=国指定史跡=の一部の復元工事を完了したと発表した。
 
大量の石仏と五輪塔
 1995年に地元から敏満寺遺跡内にある石仏谷(通称)の整備の要望を受けた多賀町教委は翌年度から測量調査を実施。2002年7月に多賀町指定史跡とし、翌年度から2年間かけて発掘調査を行い、数え切れない石仏や五輪塔を確認。1万0475平方㍍におよぶ中世墓地群だったことが判明し、05年7月14日付で国史跡となった。
 
地元の有力者埋葬か
 発掘調査では12世紀から17世紀まで(平安時代終わり~江戸時代初め)の土器や陶磁器が発見。そのうち14世紀代が56%、13世紀代が27%で、土器や陶磁器のほとんどが火葬した骨を入れる蔵骨器だった。12世紀後半から13世紀の各地で確認されている墓地は土葬が主体で、天皇や貴族、一部の武士の上位階層のみが堂や塔の中に遺体または火葬骨を埋葬する方法を採用。その後、石塔を建てる墓地に変化し、有力な武士や高僧らが石塔群として墓を形成した。
 敏満寺があった地域は中世時代、奈良の東大寺と深い関係にあったことが知られており、極楽浄土の世界があるという認識と共に西方を意識し、西側を正面に地元の有力者や高僧向けの墓を構築したとされる。一方で15世紀以降、敏満寺は多賀大社との連携が深くなり、北側に中心が移り発展していった。町教委では「中世の前期から後期にかけて、社会の変化に合わせて宗教都市から戦国時代の寺院型の城塞都市に変化した歴史を、石仏谷墓跡で出土した土器や陶磁器の移り変わりが物語っている」としている。
 
5日現地説明会
遊歩道整備 公開へ
 町教委は墓跡を整備するため2013年度に活用に向けた管理計画を作り、16年度から史跡整備に着手し、中央部で復元作業をしてきた。整備事業は2028年度完了予定で、遊歩道を整備して一般公開する予定。
 復元作業が完了した中央部の墓は南北約17㍍×東西8㍍。西側に大きな石を並べ、一部で2、3段ほど積み重ねている。中心部は南北約8㍍×東西約3㍍の低い墳丘を築き、川原石を敷き並べ、墳丘の頂上部分に蔵骨器7基を設置した。
 中世石造物研究が専門で大阪大谷大学の狭川真一教授は「敏満寺石仏谷遺跡は当初の位置をおおむね保ちながら現存しており、石仏などの数もおびただしい。分布範囲も広大で、現存遺跡では最大規模で最上級の保存度合い。復元した墓跡は地域有力者の墓地として評価できる」とコメントしている。問い合わせは多賀町立文化財センター☎(48)0348。
 ※【敏満寺】湖東三山と並ぶ寺院だったとされ、その開基は平安時代の後期ごろと言われている。最初に登場する記録は天治2年(1125年)の敏満寺が京都の平等院を介して園城寺の支配下に入ったとされる内容。延慶2年(1309年)の記録によると、堂舎40軒余り、宝塔数カ所があったとされ、ピーク時には50余りの堂舎が立つ大規模な寺院だったと伝えられている。元亀3年(1572年)に織田信長に攻められた後、廃寺となった。現在は寺自体が無くなり、遺跡上には名神高速道路が走っている。

2022年5月1日日曜日

ウクライナから彦根へ避難イリーナ・ヤボルスカさんと家族が市長と面談、ウクライナの料理提供のキッチンカーを見学

 ロシアの侵攻を受けているウクライナから彦根へ避難しているイリーナ・ヤボルスカさん(50)と家族が20日、市役所を訪問し和田裕行市長と面談した。来月末からウクライナの料理を市内で提供する予定のため、面談後にはキッチンカーを見学した。
 来庁したのはイリーナさん、娘で彦根在住のヤボルスカ・カテリーナさん(31)と夫の菊地崇さん(28)。ロシアの侵攻後、イリーナさんは母親のギャリーナ・イヴァノヴァさん(80)と一緒に3月上旬から約2週間、ハリコフからポーランドへ避難。3月22日に来日し、翌日から彦根に入り、現在は松原町の県施設の宿舎で過ごしている。
 面談はヤボルスカさんの通訳や、専用の通訳機のポケトークを使って行われた。冒頭、和田市長は「ウクライナの侵攻をしたロシアに強い憤りをおぼえ、残念でならない。皆さんに何ができるのか日々考えている」と話した。
 
キッチンカーで来月~経営
「避難者の再出発の一例に」
 イリーナさんは「母親と一緒に働けることとして料理を提供したい。支援をいただいた皆さまに恩返しもしたい」と要望。これに対し、彦根市側は近江ツーリズムボードが所有するキッチンカーを貸して、いろは松や四番町スクエアで提供してもらう案を示した。
 市長からの彦根での暮らしを問われたイリーナさんは「街がとてもきれい。美しい自然で母と一緒に喜んでいます」と笑顔を見せた。菊地さんによると、ポーランドに避難していた際、イリーナさんは精神的に落ち込んでいたが、彦根では楽しそうに生活しているという。
 イリーナさんが作る料理は「ブリンチキ」というクレープのような生地にさまざまな具材を巻く食べ物で、ウクライナでは定番の人気料理。来週以降にクラウドファンディングで支援を求め、5月下旬にプレオープンし、6月下旬には自分たちのキッチンカーで販売する計画だ。
 イリーナさんは「働いて生計を立てることが日本国内にいる避難者の再出発の元気づけになる」と語り、菊地さんは「日本に避難しても生活できることを示すことで、まだ避難できていない子どもや女性の命を救うことにつながるかもしれない」と話した。

西川貴教さんHOT LIMIT・平和堂イメージソングの演奏の背景は?

 センバツでは近江高吹奏楽部の演奏もツイッターなどSNSやマスコミ各社で話題になった。特に準決勝以降に披露した滋賀出身の歌手・西川貴教さんの曲「HOT LIMIT」や、決勝での平和堂のイメージソング「かけっことびっこ」の演奏は西川さんのファンや県民の話題にもなった。2曲が披露されることになった背景を取材した。
 
卒部式中「繰り上げ出場」発表
部員たち驚くも「試合重ね成長」
 近江高吹奏楽部の甲子園での演奏曲は、ピットブルの「Fireball」やファレル・ウィリアムスの「Happy」など洋曲7曲が定番となっている。
 センバツ出場校を決める選考の前段階で近江高は近畿地区から選ばれることが有力視されていた。吹奏楽部でも昨年12月末から甲子園で応援するための準備をしてきた。しかしその後、まさかのセンバツ落選の知らせがあった。吹奏楽部は新型コロナのため2月から3月16日に延期になっていた文化プラザでの卒業演奏会で野球応援メドレーなどを披露した。
 そしてその翌日、繰り上げ出場の発表があった17日の午後6時から3年生を交えて校内で開いた卒部式の時だった。部長の福永千秋さん(17)=東近江市=と指揮の工藤優莉さん(17)=野洲市=によると、卒部式が始まってしばらくして、顧問の樋口心さん(46)が急に生徒たちの前に近江の帽子をかぶって立ち「甲子園へ応援に行くぞ」と繰り上げでの甲子園出場を発表。しかし繰り上げ出場の事実を知らず、落選だと思っていた部員たちは「どういうこと?」と顔を見合わせていたという。
 部員の間では初戦の応援前の時点でも「本当に甲子園へ行けるの?」との声があがるほど疑心暗鬼の状態だった。しかし試合が進むたびに演奏の熱も帯び、福永さんは「試合を重ねるたびにクオリティーがあがり、球場の観客からも手拍子が起こったり、SNSで話題になったりした」と満足そうに振り返った。
 
「滋賀の特色」急きょ練習
準決後「かけっことびっこ」も
 今春のセンバツで注目された近江高吹奏楽部の曲は、準決勝と決勝で披露された西川さんの曲「HOT LIMIT」と、決勝でのみ演奏された平和堂のイメージソング「かけっことびっこ」。
 近江の繰り上げ出場からの快進撃を受け、西川さんはツイッターで「目指せ、決勝!頑張れ、近江高校!」と発信。これに吹奏楽部がツイッターで「応援を吹奏楽部も全力で頑張ります!」とツイートしたことから、つながりが生まれた。
 そして「滋賀の特色」を出そうと、準決勝を前に急きょ「HOT LIMIT」を応援歌に追加。これまで練習したこともなかったが、楽譜がたまたまあったこともあり、2、3年生の部員53人で練習。準決勝では主戦の山田陽翔投手の打撃の際にサビの部分を披露し、山田投手が途中降板した決勝では西川さんにちなんで、西川朔太郎選手の時に演奏した。
 平和堂の「かけっことびっこ」はこれまでの定期演奏会などで披露した実績があった。準決勝終了後の帰りのバスで、「HOT LIMIT」の大きな反響を知った樋口さんら顧問は「さらに盛り上げて、決勝でもう一押ししよう。滋賀で一番有名な曲を全国に届けよう」と考え、「かけっことびっこ」も追加することを決定。帰路途中のサービスエリアで部長の福永さんらに伝え、学校に戻ってすぐに全員で演奏の練習をし、振り付け用として録音して応援団の野球部員やダンス部員たちに渡した。
 決勝では5回の一回のみ「かけっことびっこ」を演奏する予定だったが、「想像以上に盛り上げり、反響がすごかった」(樋口さん)ため、その後も何度か演奏した。
 
「夏出場時も応援したい」
福永部長と指揮の工藤さん
 新しい2曲を中心に吹奏楽部の応援曲に対してはSNSを中心に反響を呼び、マスコミ各社も相次いで取り上げた。樋口さんは「知人からは演奏を聞いたとたん、涙が出てきたとも聞いた。夏の大会でも甲子園出場時はどういう構成にするか、県民の皆さんに喜んでもらえるよう考えたい」と話した。
 福永さんは「甲子園で5試合も応援の演奏ができ、私たちも成長できたと思う。夏の大会でも甲子園に行けたら選手のために一生懸命応援したい」と語り、工藤さんは「センバツではアルプス席を近江一色に染めることができた。私たちの演奏もリアルタイムで反応があり、盛り上げることができて良かった」と話していた。

 

主戦・山田陽翔投手に夏の全国高校野球選手権大会に向けた課題や将来の目標聞く

 春の選抜高校野球大会(センバツ)で近江高校は県勢初の準優勝を果たした。野球部のエースで4番バッターの主戦・山田陽翔投手に、夏の全国高校野球選手権大会に向けた課題や将来の目標について聞いた。
 センバツで山田投手は準決勝までの4試合を
一人で投げぬき、前日の準決勝で足に死球を受けながら、決勝の大阪桐蔭戦にも先発。3回途中で降板し、チームも1対18で大敗したが、山田投手はすでに次(夏)に向けて動き出している。
 決勝での力負けについて、山田投手は「元気な状態だったら、きん差の試合になったかもしれない。投げられなかったため、体力のなさを痛感した。夏に向けて体力と技術の向上に努めたい」と自身の課題をあげた。
 
投手力育成へ「日々努力」
140㌔台普通に打てる打力も
夏の選手権大会で優勝するためについては「近江の野球は守備でリズムをつかんで、打撃につなげていくスタイル。それを実現できれば優勝につながる」と説明。「大阪桐蔭だけでなく、全国クラスの高校の投手は常に140㌔台を投げてくる。その球を普通に打てるようにならないと、優勝はできない」と力説した。
 課題の一つにあがっている山田投手以外の投手育成については「ピッチャーは全国クラスの3枚が必要だと思う。僕を含めて、日々の努力を重ねて成長していく必要がある」と述べた。
 自身の投手での課題については「選抜前は投げ込みが不足していた。けがをしない体を作ったうえで、技術面を磨き、これまでのストレートの最速148㌔から150㌔のスピードボールを投げたい」と意気込みを語った。
 
「地元愛」で近江へ
彦根の高校「誇り」
 山田投手の3つ上の兄は大阪桐蔭出身で、自身も中学校時代に大阪桐蔭から誘いを受けたという。それでも近江を選んだ理由については「強い高校に進むよりも、強い高校を倒したかった。そして何よりも地元滋賀で一番強い近江に進みたかった。地元愛という気持ち」と笑顔を見せた。
 センバツ終了後、彦根駅などでは市民から「感動したよ」と声をかけられるようになったといい、山田投手は「彦根にある高校で戦うことができ、誇りに思う」と話し、将来については「プロ野球選手を目指したい」と力強く話した。