2018年11月30日金曜日

辻番所の見張り窓が損壊、当て逃げか

 彦根市指定文化財の辻番所(旧磯嶋家住宅)=芹橋2丁目=の通り沿いにある見張り窓部分の出格子が、自動車の接触事故とみられる影響で壊されているのが21日わかった。市教委文化財課は20日に被害を確認し、彦根署へ被害届を提出。同署は当て逃げ(道路交通法違反)の疑いで調べている。
 辻番所は江戸時代に武家屋敷の周辺に置かれた監視用の建物。旧彦根藩足軽屋敷の善利組(芹橋2)の旧磯島家住宅の一角に残っており、約7・3平方㍍のスペースの角には東と南の2方向に分かれた見張り窓が備えられている。全国でも唯一だとされる。市は平成21年3月に市の指定文化財にし、国の補助を得て翌年10月から半解体による修理を始め、同25年12月に完成。現在は市民団体・彦根辻番所の会が勉強会などで活用している。
 20日朝に地元住民が路上に落ちている見張り窓を発見。午前10時ごろに報告を受けた同会会長の渡邊弘俊さん(81)が文化財課に知らせた。同課の調査で、高さ1・4㍍にある東側の見張り窓(縦40㌢×横60㌢)が壊れているのを確認。自動車がぶつかった痕跡と見られる白い塗料がついていたため、彦根署に被害届を提出した。同課は「早急に修理する」としている。
 損壊が確認された見張り窓は辻番所を象徴するカ所のため、渡邊さんは「当て逃げならばとんでもないこと。憤りをおぼえている」と話している。

2018年11月25日日曜日

築100年の蔵を改装した日本料理の店 武相草オープン

 彦根市河原1丁目に、築約100年の蔵を改装した日本料理の店「武相草(ぶあいそう)」が今月6日オープンした。
 建物は、花しょうぶ通り商店街沿いにある目加田家内の敷地面積約50平方㍍の2階建ての蔵。建築年は不明だが、目加田家や改装した施工業者によると、明治時代から大正時代にかけた時期だという。基礎の部分をそのままにし、1階にカウンターと座敷で計13席、2階にテーブルで計16席を設けた。
 同店のオーナーが、元勤務先の先輩だった料理人の横田武典さん(60)を招き、寿司や天ぷらなどを提供している。器は玄宮園内で昨年11月まで営業されてきた料亭「八景亭」で使われてきた大正時代から昭和時代のを利用。その一部を2階に展示もしている。
 店名は、武相荘という名の家に住んでいた随筆家の白洲正子さんと花を横田さんが好きとのことから命名。横田さんは「店の名前は『ぶあいそう』だが、決して無愛想ではない」と笑顔を見せながら「多くの市民の皆さんが気軽に来て頂ける店にしたい。昔ながらの寿司屋の雰囲気があると思います」と来店を呼びかけている。
 営業時間は午前11時~午後2時と午後5時~同9時。水曜定休。駐車場あり。問い合わせは同店☎(27)5666。

2018年11月23日金曜日

新しい形式のカロム スーパーカロム23日デビュー

 新しい形式のカロム「スーパーカロム」が23日にデビューする。誕生を記念し、来月15日には彦根市の四番町スクエアで体験会などが催される。
 開発したのは玩具メーカー「T-entertainment」(東京都千代田区)。彦根のカロムは盤やパックが木製だが、スーパーカロムはいずれもプラスチック製で、大きさが45㌢四方と小型化されている。彦根のカロムで用いるパックをディフェンダー、自分のパックのストライカーをアタッカー、ジャックをソウルと呼び、黒と赤の大きめのアタッカーで異なる相手の色の小さめのディフェンダーを四隅の穴に落とすというルールの違いもある。
 アタッカー1個、ディフェンダー8個と、彦根のカロムの計13個と比べて少なく、2人で対戦するのが基本だが、黄色や青色、緑色のセットがあり、3人以上で遊ぶこともできる。
 企画協力をした玩具メーカー「トレンドマスター」(神奈川県川崎市)の中田敦社長(59)は「スーパーカロムは1回あたりのプレー時間が短く、小さな子どもでも気軽に遊べます。彦根を中心に楽しまれているカロムを日本中、世界にはやらせたい」と語っている。価格4980円(税抜き)。アタッカー&ディフェンダーセットや専用のバッグ、巾着袋などオプションもある。四番町ダイニング2階のほか、全国の主な玩具店で販売。問い合わせは事務局☎0120(913)362。
 来月15日正午からは四番町スクエアでスーパーカロムの体験会とミニ大会のイベントがある。

2018年11月22日木曜日

宗安寺の秘仏・庚申尊の胎内から大日如来像と享保年間の法華経版本、23日に一般公開

 彦根市本町2丁目の宗安寺は、安置している秘仏「庚申(こうしん)尊」(別名・青面金剛童子)の胎内から、大日如来の像と享保年間(1716~36)に書かれた法華経の版本が見つかったと発表。23日に一般公開する。
 庚申尊は仏教の守護神で延命の神様され、同寺の像は高さ約1㍍。彦根藩井伊家の四代当主・直治(直興)の援助で旧安清村に建立された金剛寺宝珠院に、元文5年(1740)にまつられたとされる。明治2年の神仏分離令で宝珠院が賢木(さかき)神社となった際、庚申尊は宗安寺に移され、現在まで同寺に安置。秘仏として不定期で開帳してきた。
 庚申尊には背中の部分に縦20㌢×横12㌢の切り口跡があり、大日如来の像などが入っていることを表した文章も記されていた。足元が破損していたこともあり、今年3月から10月まで修復をした際、胎内から台座に乗った高さ10・5㌢×横6㌢の大日如来の像と法華経が確認され、取り出された。仏像の中に仏像や経典を入れる行為は鎌倉時代以降に見られるが、宗安寺の竹内真道住職は「神は仏の化身という当時の本地垂迹(ほんじすいじゃく)説の考えを表している。庚申信仰に関する資料は少なく、貴重な発見」と話している。
 23日は午後1時~浄土宗の御十夜法要、同2時10分~庚申尊ご開帳法要、同3時15分~「秘仏庚申尊について」の住職講話などがある。「魔よけ猿」に願い事を書いて奉納する庚申尊祈願も受け付ける。当日午後1時までで、1回1000円・限定60個。竹内住職は「かつては民衆の間で信仰されてきた仏様。広く市民の皆様にも手を合わせに来て欲しい」と語っている。問い合わせは宗安寺☎(22)0801。

ノート6475冊、1668・9㍍並べてギネス記録を更新

 ノートを並べる長さでギネス記録を目指すイベントが18日、彦根市松原町の近江高校であり、ノート6475冊で1668・9㍍を並べて見事、ギネス記録を更新した。
 尾末町の寺村邦子さん(63)が彦根で企画した16回目となる挑戦。ノートを並べる長さのギネス記録は今年夏にインドで行われた1325・1㍍。寺村さんはノートの提供を募集し、当日の市民からの持ち込みや文具メーカー・コクヨの寄付、近江高生からの貸し出しなどで大小のノートが集まった。
 寺村さんや近江高生、市民ら45人が、午後1時15分に校舎4階から並べ始め、ゴール地点の2階のエントランス広場まで、各階の廊下に6列ほどずつ、階段には板を敷いた上に並べた。同4時15分に並べ終えた後、ギネス社認定員の古屋洋子さんが「ノートとの間にすき間がないか」「ノート以外が使われていないか」などを調査。測量士と一緒に長さを測った後の午後7時ごろギネス記録の更新が発表されると、参加者からは「やったー」などの歓喜の声があがった。
 68冊を持参した彦根市立東中の井田萌心さん(14)は「小学生から使っていたノートを提供しました。ギネス記録が達成できてうれしい」と笑顔を見せた。彦根で12回目のギネス記録を達成した寺村さんは「皆さんの協力で達成することができました。多くのつながりを感じた挑戦でした」と話していた。
 集まったノートのうち新品の寄贈品は、市と県の社会福祉協議会を通じて東日本大震災の被災地の子どもに贈られる。

2018年11月19日月曜日

高宮町の旧小堀卯之助商店の町家が解体の危機

 彦根市高宮町の中山道沿いで明治時代中期から麻布商を営んでいた旧小堀卯之助(うのすけ)商店の町家が解体の危機にあり、持ち主の家族らが建物の売却と有効活用を求めている。
 江戸時代、高宮宿は近江商人が商品を全国へ流通させる拠点地として賑わい、周囲で作られていた麻布は高宮布として全国的にも有名だった。明治時代になると、産業構造の変化で麻織物が衰退し、看板を下ろす店が増える中、小堀卯之助(明治9年~昭和20年)が麻織物の店を開店した。卯之助の孫にあたる小堀善一さん(83)=大阪府寝屋川市=や愛荘町立歴史文化博物館の職員によると、昭和に入って商売が縮小したものの、卯之助の死後も長男の卯三郎(明治33年~昭和52年)が昭和35年ごろまで商売を続け、大阪の心斎橋にも卯三郎の弟が小堀卯之助商店を営んでいたという。
 高宮の建物は約290平方㍍の敷地に建てられた中二階の町家で、建物内には五右衛門風呂やかまどなどが残っており、庭園や蔵もある。視察した滋賀県立大学の濱崎一志教授によると、構造の特徴から江戸時代後期から明治時代初期の建物だという。このことから、元々あった町家を卯之助が明治中期に購入する形で入り、商売をしていたとみられる。
 6年前までは善一さんの姉の良子さん(87)が住んでいたが、現在は空き家になっており、その管理が難しくなってきた。そのため、善一さんの長女の清水文栄さん(55)=神戸市=が中心になって、古民家を有効活用する団体などに相談したが、良い返事はもらえていないという。
 麻織物の商売時代に使われていた天秤や風呂敷などの道具、帳簿や文書は愛荘町立歴史文化博物館に寄贈。今月6日には専門業者に依頼し、建物内にあったほとんどの日用品を撤去した。清水さんは「このまま解体するのは寂しく、高宮の街並み保存からしてももったいないと思う。建物を購入してもらって、食事処や憩いの場など何らかの形で残してほしい」と話している。近く彦根市空き家バンクに登録する予定。問い合わせは小堀善一さん☎072(822)7280。

2018年11月16日金曜日

台風21号で倒壊の屋形船船着場の建物を再建し安全祈願祭

 彦根城の内堀で運航している屋形船の船着場が、9月4日の台風21号の影響で倒壊。運営するNPO法人小江戸ひこねは船着場の建物を再建し、11日に安全祈願祭を行った。
 屋形船は彦根城築城400年祭が開幕した翌日の平成19年3月22日に運航を開始。同時期に建てられた玄宮園前の船着場は約50平方㍍の広さに、屋根付きの券売所や待合スペースを備えた木製の建物がある。
 台風21号により屋根が堀まで吹き飛ぶなど建物が倒壊した。3日間ほど営業を中止し、以降はテントを張っていたが、10月8日から30日にかけて建物を再建した。崩壊前の部材を再利用したほか、柱を太くするなど頑丈にした。
 安全祈願祭には同団体のメンバーら10人が出席。利用客の安全を願って、千代神社の布施博章宮司が清めの祓いを行った。同団体の棚橋勝道理事長(58)は「柱も太くなり再建できて良かった。これからも安心、安全の運航を心がけていきたい」と話していた。

彦根駅構内の近江鉄道ミュージアム来月8日に閉館

 近江鉄道は、彦根駅構内の近江鉄道ミュージアムを来月8日に閉館すると発表した。
 同館は彦根城築城400年祭に合わせて平成19年3月21日にオープン。線路上では近江鉄道の貨物輸送を支えた大正時代の電気機関車、資料館では閉塞器や開業免許書などを展示してきた。またガチャコンまつりや小学校の社会科見学などの時にも開放した。
 資料館は大正9年(1920)に変電所として設立された建物で、その後、電気関連の事務所となり、ミュージアムのオープンに合わせて改装された。しかし、建物の老朽化が目立ってきたため閉館することにした。展示物は八日市駅に移す予定で、閉館以降の跡地利用は未定。
 最終日になる12月8日には「近江鉄道ミュージアム感謝祭」を開催。来場者300人に記念のポストカードのプレゼントや館内の部品を販売する(正午~)ほか、近江鉄道グッズの1500円以上の購入者先着100人に「豊郷あかね」とミュージアムをデザインした限定のB3判ポスターを進呈する。午前10時~午後2時。入場無料。

2018年11月12日月曜日

銀座町の昭和時代のジャズ喫茶店チャップリンがカフェテリア・アズーロとしてオープン

 彦根市銀座町で昭和時代にジャズ喫茶の店として人気だった「チャップリン」が、「カフェテリア・アズーロ」として今月1日にオープン。今後はジャズなどのコンサート会場としての開放や夜間にバーの店を経営する予定だ。
 チャップリンは3階建てビルの2階にあり、当時を知る市民によると、昭和30年代は「クローバー」という店名だったが、その後改名。昭和58年にはチャップリンを拠点に彦根ジャズファンクラブが結成され、音楽家を招いてジャズライブを開いていたという。昭和63年ごろに閉店して以降は空き店舗になっていた。
 隣接する空き店舗に今年4月13日、青池貴司さん(42)=日夏町=が昭和時代に賑わっていた銀座街の再興を目指して、ジェラートの専門店「ジェラテリア・アズーロ」を開店。今月からイタリアの著名な料理人のマルコ・パオロ・モリナーリさんが作ったアップルパイなどの販売を開始するのに合わせて、旧チャップリンの店内を先月10日からカフェスペースに改装。レンガ造りの壁やステージ、ステンドガラス、カウンターなど昭和時代の雰囲気はそのまま活用している。
 カフェテリア・アズーロではコーヒーやオレンジジュース、カップ入りジェラートなどを提供。ジェラテリア・アズーロで購入したジェラートやアップルパイなども持ち込みできる。開店時間は午前11時~午後7時。水曜定休。
 青池さんは「地域の人が気軽に集えるコミュニティースペースになればと思います。コンサートスペースとしても活用してほしい」と話している。年内をめどに夜間にバーとしてもオープンする予定。問い合わせは同店☎(23)7665。

長曽祢虎徹―新刀随一の匠展 彦根城博物館で

 彦根の長曽根で甲冑や鐔(つば)などを作っていた鍛冶集団・長曽祢鍛冶の流れをくみ、江戸時代前期に活躍した刀工・長曽祢虎徹(1605?~78)の特別展「長曽祢虎徹―新刀随一の匠―」が10月26日から彦根城博物館で開かれている。27日にはギャラリートークが行われた。
 長曽祢鍛冶は彦根の長曽根村で活躍していたとされ、13人の職人がいたとする当時の記録を収めた史料もある。その一部が江戸時代初期に越前へ移住したとされる。現在、虎徹が刀を作る際に使ったと伝わる井戸跡が長曽根町に残っているが、彦根城博物館によると、虎徹は越前で生まれて、江戸で作刀していたとの説が有力で、長曽根村を訪れたかは不明だ。虎徹は当初、長曽祢鍛冶と同様に甲冑などを作っていて、その時には本名の興里(おきさと)の銘を入れていた。刀工へ転向して以降は虎徹という号を名乗るようになったが、銘を10回以上変えている。
 虎徹は、試刀家の山野永久・久英親子から助言を受けて刀作りに励み、万治元年(1658)~寛文6年(1666)にかけて山野親子が虎徹の刀で試し斬りをしている様子がわかる史料が残っている。虎徹の刀は焼きを入れる前の鉄材の地鉄(じがね)が強いのが特徴で、寛文末期(1671年~72年)にかけて完成期を迎え、以降の作品は名作と称される。虎徹の死後40年後に発刊された刀剣書「新刃銘尽(あらみめいづくし)」には「新刀第一の上作」と書かれている。
 特別展では虎徹の制作品や、江戸や越前で活躍した長曽祢鍛冶の作品など計45点を展示。中には、越前にいた長曽祢鍛冶が寛永20年(1643)に作ったかぶと、虎徹が甲冑師時代に江戸で作った籠手(こて)の馬手(右手用)と射向(左手用)、寛文元年8月に山野永久が罪人の2つの胴を使って斬れ味を測ったという銘入りの虎徹の初期作、罪人を試し斬りした際の様子を示した江戸時代後期の絵図、「長曽祢虎入道」という銘が刻まれた虎徹の寛文11年作の刀、虎徹作の刀を「地鉄強く」「水気十分」などと称賛した寛政11年(1799)の刀剣書などがある。
 開館は11月25日までの午前8時半~午後5時。11月8日までが前期、翌日からが後期で展示替えがある。

2018年11月10日土曜日

いいのすけ認知度向上へインターネット上で11日PR

 彦根市は11日に、市のキャラクター・いいのすけ=写真=の認知度向上を目指し、インターネット上でいいのすけをPRする取り組みを行う。
 市は、昨年8月9日に史跡散策アプリ「彦根ほんもの歴史なぞとき」を公開した際、彦根藩に仕えた忍者にちなんだキャラクター・いいのすけを発表。今年10月3日には専用のホームページも設けた。しかしまだまだ知名度が低いため、ひこにゃんと共に今後の観光振興に貢献させようとネット上でのPRを企画した。
 「いいのすけ、いいねの日」と銘打ち11月11日を「いいのすけの日」に設定。ツイッター上でいいのすけへのメッセージや、いいのすけに関する写真、イラストにハッシュタグ(#いいのすけ)を付けた投稿を募集し、その投稿に対していいのすけがコメントなどをする。
 また11日のみ限定で、市や彦根観光協会のホームページ、観光ガイドのフェイスブック、インスタグラムのアカウントなどに、いいのすけの画像を掲載する「メディアジャック」をする。いいのすけは「拙者、11日は大忍ばし(大忙し)でござる」とコメントしている。

2018年11月7日水曜日

井伊直滋の甲冑 永源寺で初公開

 彦根藩井伊家二代当主の井伊直孝の長男・直滋(なおしげ)の甲冑が、保管されてきた東近江市の永源寺で1日から初公開されている。かぶとは当主のみに許された両脇から突き出る天衝き型で、彦根城博物館では「直滋の天衝き型のかぶとはほかになく貴重だ」としている。
 直滋は慶長17年(1612)生まれ。井伊家の世継ぎとして、江戸城にも何度か出入りしており、三代将軍・徳川家光に取り立てられた。直孝との不仲など何らかの理由で当主にはなれず、晩年は近江へ戻り、万治元年(1658)以降は百済寺で過ごし、3年後に亡くなった。彦根藩の依頼で葬儀が永源寺で行われ、百済寺に墓がある。
 元禄5年(1692)に井伊家の世話役が永源寺宛てに書いた文書には「江戸の屋敷の土蔵から(直滋の甲冑が)出てきた。焼くことも考えたが、相談し預ける」と記されている。また永源寺によると、元禄5年に行われた直滋公三十三回忌の法要に合わせて奉納されたという。同寺では蔵で保管してきたが、今年4月に整理をしていたところ、かぶとや天衝き、こてなどが見つかった。
 彦根城博物館には幼少期の甲冑を含めて2領あるが、かぶとが天衝き型ではないため、同館では「当主と同じスタイルのかぶとであり、非常に珍しい」としている。永源寺は直滋の甲冑のほか、同時に見つかった鎖かたびらや腰に付ける弁当箱などを30日まで展示している。入山料がいる。問い合わせは永源寺☎0748(27)0016。

2018年11月5日月曜日

城西小学校にオーストラリアのローズパークプライマリースクールの児童たち来校

 ユネスコスクールに登録されている彦根市立城西小学校に10月25日から29日まで、姉妹校でオーストラリアのローズパークプライマリースクールの児童たちが来校。日本の子どもたちと交流しながら、さまざまな日本文化に触れ合った。
 ユネスコスクールはユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の理念を実現するため、平和や国際理解などの学習に取り組む学校。1953年に発足し、世界182カ国で1万1500校以上が加盟。日本国内では1149校園が参加している。城西小は平成24年12月に県内の小学校として最初に承認された。
 ローズパークの来校は3回目で、今年は児童24人と引率の教員4人が訪れた。城西小では25日に歓迎会や和太鼓の体験、26日に両校の児童たちがグループになって彦根城ウォークラリーなどをした。
 29日はお別れ会後、ローズパークの児童たちが彦根城博物館で着付けと茶道を体験。彦根市大東町などに教室がある和文館の講師らに教えてもらいながら着物を着た後、木造棟に移動し、彦根一会流の作法で茶道にふれた。ローズパークの児童たちは慣れない正座をしながら、和菓子や茶をいただいていた。6年生のエミリー・ルドルフさん(12)は「茶道や着付けなど色んな日本文化を体験でき、とても楽しかったです。城西小の子どもたちもとても親切でした」と話していた。

ノート並べる長さでギネス挑戦イベント11月18日に近江高校で、提供者募集

 ノートを並べる長さでギネス記録に挑戦するイベントが11月18日に彦根市松原町の近江高校で行われる。実行委員会代表の寺村邦子さん(63)=尾末町=はノートの提供と並べる協力者を求めている。
 提供を受け付けるノートは未使用か、名前が記入された使用中または使用済みので、サイズは問わないが、メモ帳は不可。未使用のノートは社会福祉協議会を通じて被災地の子どもなどに渡される予定。使用中などのノートは返却される。
 ノートを並べる長さのこれまでのギネス記録は今年夏にインドの学校で行われた約1325㍍。記録を更新するためにはB5サイズで5000冊以上が必要になる。当日は近江高の1階中庭で正午~受付を行い、校舎の廊下や階段にすき間なくノートを並べる。
 寺村さんは平成19年3月に連続コンサートでギネス記録を達成して以降、毎年のようにさまざま分野で挑戦。最近では2年前の4月に城西小学校で、忍者姿で集合した人数とカロム玉を並べた数で同時にギネス記録を達成した。彦根でこれまでに11回成功し、4回失敗している。
 寺村さんは「思い出が詰まったノートなどをみんなで楽しく並べることができたらうれしいです」と協力を呼びかけている。
 問い合わせは寺村さん☎090(5152)3918。

寺子屋力石の保存修理が完了し竣工式

 7年前の火災で一部が焼失した彦根市河原2丁目の「寺子屋力石」の保存修理が完了し、21日に竣工式が開かれた。
 寺子屋力石は平成9年以降、地域の交流の場となっていたが、同23年1月2日に1階部分から出火し、母屋が全焼、通り沿いの旧寺子屋部分も半焼した。地元住民らによる寺子屋力石再生委員会が「再興プロジェクト」運動を展開し、募金活動などで1期目の工事を行って4月16日に仮オープン。翌年4月にギャラリー兼カフェとなった。
 平成28年7月25日には寺子屋力石を含む河原町芹町地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。地区内の町家を修復する最初の工事が力石で今年6月から行われてきた。総工費約1500万円の補助対象(約1100万円)のうち国と市の補助は400万円ずつ。
 竣工式で大久保貴市長は「彦根城の世界遺産登録のためには市民の熱い思いが必要で、花しょうぶ通りはそのモデル。世界遺産に似合うまちを作りたい」とあいさつ。所有者の力石寛治さんは「修復が完成し涙が出てくる。この寺子屋を中心にしてまちづくりを更に進めてほしい」と述べた。
 式後には建物内の見学会があり、設計業者らが耐震補強をした格子壁や、火災のあとが残る2階部分などを案内した。同地区では今後も修復工事を随時、進めていく。