彦根の長曽根で甲冑や鐔(つば)などを作っていた鍛冶集団・長曽祢鍛冶の流れをくみ、江戸時代前期に活躍した刀工・長曽祢虎徹(1605?~78)の特別展「長曽祢虎徹―新刀随一の匠―」が10月26日から彦根城博物館で開かれている。27日にはギャラリートークが行われた。
長曽祢鍛冶は彦根の長曽根村で活躍していたとされ、13人の職人がいたとする当時の記録を収めた史料もある。その一部が江戸時代初期に越前へ移住したとされる。現在、虎徹が刀を作る際に使ったと伝わる井戸跡が長曽根町に残っているが、彦根城博物館によると、虎徹は越前で生まれて、江戸で作刀していたとの説が有力で、長曽根村を訪れたかは不明だ。虎徹は当初、長曽祢鍛冶と同様に甲冑などを作っていて、その時には本名の興里(おきさと)の銘を入れていた。刀工へ転向して以降は虎徹という号を名乗るようになったが、銘を10回以上変えている。
虎徹は、試刀家の山野永久・久英親子から助言を受けて刀作りに励み、万治元年(1658)~寛文6年(1666)にかけて山野親子が虎徹の刀で試し斬りをしている様子がわかる史料が残っている。虎徹の刀は焼きを入れる前の鉄材の地鉄(じがね)が強いのが特徴で、寛文末期(1671年~72年)にかけて完成期を迎え、以降の作品は名作と称される。虎徹の死後40年後に発刊された刀剣書「新刃銘尽(あらみめいづくし)」には「新刀第一の上作」と書かれている。
特別展では虎徹の制作品や、江戸や越前で活躍した長曽祢鍛冶の作品など計45点を展示。中には、越前にいた長曽祢鍛冶が寛永20年(1643)に作ったかぶと、虎徹が甲冑師時代に江戸で作った籠手(こて)の馬手(右手用)と射向(左手用)、寛文元年8月に山野永久が罪人の2つの胴を使って斬れ味を測ったという銘入りの虎徹の初期作、罪人を試し斬りした際の様子を示した江戸時代後期の絵図、「長曽祢虎入道」という銘が刻まれた虎徹の寛文11年作の刀、虎徹作の刀を「地鉄強く」「水気十分」などと称賛した寛政11年(1799)の刀剣書などがある。
開館は11月25日までの午前8時半~午後5時。11月8日までが前期、翌日からが後期で展示替えがある。