彦根市が旧彦根藩の下屋敷・名勝 玄宮園(金亀町)を江戸時代当時の規模に拡張すると共に、名勝指定の範囲の拡大を目指していることが滋賀彦根新聞の取材で明らかになった。
玄宮園に対しては文化庁から、園内の池・魚躍沼(ぎょやくしょう)の浄化や護岸・園路などの整備が不十分―とする指摘があり、これを受けて市教委文化財課は平成20年8月に玄宮園庭園整備基本方針を作成。平成21年度から8年計画で園内とその周辺を5ブロックに分けて発掘調査と整備を進めている。
江戸時代の玄宮園の様子を描いた「玄宮園図」=写真は彦根城博物館所蔵=や「玄宮園三分一間 割絵図」には現在の桜場駐車場(約6500平方㍍)の位置に、魚躍沼へ水を注いでいた杜若沼(かきつばたぬま)があったことがわかっており、文化財課の試掘調査では杜若沼や導水機能を備えた桶が良好な形で残っていた。
文化財課は魚躍沼の護岸整備とさく井(せい)工事による地下水での給水を可能にするほか、桜場駐車場に杜若沼と元々あった梅林を整備する。完成時期は平成29年度の予定で、現在の大きさ(約2万8723平方㍍)と合わせて江戸期の規模になる。
桜場駐車場への拡張整備と合わせて、玄宮園が旧松原内湖に接していて、藩主がもう一つの下屋敷・お浜御殿や菩提寺の清凉寺などに舟に乗って出向いていたことから、桜場駐車場と共に、旧松原内湖の一部と中堀の一角のエリア(約2万1475平方㍍)の名勝指定も目指す。
桜場駐車場や中堀は玄宮園と共に特別史跡の範囲だが、名勝ではないため、文化財課では旧松原内湖の一部と含めて名勝への追加指定を得るため今年度から来年度にかけて文化庁に申請するほか、将来的には玄宮園全体の特別名勝への変更も要請する予定。また拡張整備よりも前に名勝または特別名勝の指定を得たい考え。
※【玄宮園】隣接する楽々園と共に江戸時代には「槻(けやき)御殿」と呼ばれた彦根藩の下屋敷の一つ。彦根藩四代目藩主・井伊直興の時代の延宝5年(1677)に造営が始まり、同7年に完成。油掛口御門(現在の城東小の裏)付近の外堀の湧き水を利用し、枡や桶を活用しながら玄宮園内に導水。園内は広大な池にあった島や入江に9つの橋が架かる形式になっていた。松原内湖に面した北側には水門もあり、清凉寺や龍潭寺、大洞弁財天のほか、松原下屋敷(お浜御殿)にも御座船(ござぶね)で出向いていた。昭和26年に国の名勝に指定。
発掘調査の成果展
開国記念館ロビーで
彦根市金亀町の開国記念館のロビーで、玄宮園での発掘調査の成果展が開かれている。
市教委文化財課は今年度からの魚躍沼などの整備工事に合わせて、平成21年度から同23年度まで園内と桜場駐車場の発掘調査を実施。この結果、桜場駐車場から給水口や導水用の筒のふた、徳利、信楽焼、土人形、丸瓦などが発見。魚躍沼付近からも田地の跡や樽(たる)などが見つかった。
開国記念館では、年度ごとに調査内容を説明した解説パネル、出土した遺物を展示している。入館無料。午前8時半~午後5時、9月26日まで。