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2012年1月30日月曜日

松切断被害で新海浜に警告看板設置、近江鉄道ゆうグループ

 彦根市新海浜の公園にある松が何者かに切断され、持ち去られた問題で、公園を管理する近江鉄道ゆうグループが24日、現場近くに警告の看板を設置した。
 新海浜の湖岸では毎年、年末になると翌年の門松用に使うため、県などが管理する松を切りに来る人たちが多くいるという。しかし、今期は地元住民が大切に育ててきた7、8年目の松(高さ約2・5~約3㍍)のうち8本の上部(約1~約1・5㍍)が切断。被害にあった場所は素人ではわかりにくく、集中して切られていたため、業者関係者の可能性が高いという。
 警告の看板は縦約1㍍60㌢・横約70㌢で、公園の入り口前と、切断された場所付近の2カ所に設置。「都市公園内での竹木の伐採・採取は県都市公園条例によって禁止されています」と記されている。設置作業には同グループの職員2人と、今月11日に最初に発見した宇野道雄さん(76)=新海浜2=があたった。
 宇野さんは「内容的にもいい看板で、目につく場所に立てていただいて感謝している」と話していた。もう数カ所にも設置を要請している。

2012年1月29日日曜日

息子・娘の結婚へ親同士がお見合い、ホテルサンルート彦根に105人

 息子・娘をもつ親同士による集団お見合いが24日、ホテルサンルート彦根(旭町)で開かれ、県内外から105人が参加。子の幸せをつかむため、相手の席に懸命に足を運んでいた。
 平成16年から全国各地で親同士のお見合いイベントを開催している「良縁親の会」(本部・京都市)が主催。昨年12月から募集し、当日は県内外から28歳~50歳の息子56人と、27歳~43歳の娘42人の親が参加した。
 親たちは同会から事前に送られてきた異性のリストを手に、A~Lのテーブルに分かれ、最初に息子側から娘側の席へ、次に娘側から息子側の席へ移動して交流。休憩後はもう一度、話したい相手の席に向かい、写真や連絡先を交換していた。
 派遣社員の長女(28)の母親(62)=彦根市=は「5組の相手と良い話ができたが、最後は本人が決めること。もし、ご縁なかったら、継続して参加したい」と話していた。
 正社員の長男(38)の母親(65)=彦根市=は「会社を休んで来たが、良い話ができて参加して良かった。ご縁があれば良いが、なければ仕方がない」と語っていた。
 同会の脇坂章司会長は「当初は人が集まるか心配していたが、予想以上の参加で驚いている。今年中にもまた彦根で開きたい」と話していた。
 来月以降、近畿や東海地方の各地でも開催する。問い合わせは同会☎075(213)0506。

2012年1月28日土曜日

ぴゅあくらぶ・みつばの母親が放射能測定 グループたんぽぽのたね支援で

 彦根市内の母親らで組織の団体「ぴゅあくらぶ・みつば」のメンバーが24日午後、市内3カ所で放射能を測定した。
 午前中の勉強会では、東日本大震災前から脱原発の活動をしている「グループたんぽぽのたね」の代表世話人・森井壽廣さん(59)=大津市=を講師に招いて、放射能の怖さや食べ物への影響などを学んだ。
 午後には母親数人と森井さんらが、子どもたちが過ごす場所などの安全性を把握するため、子どもセンター、城南小学校、市役所前を訪れ、森井さんが持参した放射線測定器・シンチレーションカウンターを使って測定。
 そのうち城南小では雪が降る中、母親たちが入り口前、運動場、草地、雨どいの地上1㍍で数値を測っていた。いずれの場所も国が定める基準値を下回り、県内のほかの市町よりも低い数値だったが、森井さんは「検出された放射能は自然発生的ではなく、福島原発の影響があると思う」と主張していた。

「ローン買い 儲からないよ もう借らん」中島健造さん考案・風流しゃれかるた大会

 彦根市中薮町の中島健造さん(68)が作った風流しやれかるたの大会が25日、ハピネスひこね(馬場)で開かれた。
 70歳未満と70歳以上が2グループに分かれ、高齢者向けに大きくされた48枚のかるたを、読み手に合わせて我先にと取っていた。
 かるたは「いろはに・・・」の順番に、「ローン買い 儲からないよ もう借らん」や「強がりで 診断受けず 死んだんさ」など、ユニークなしゃれが記されており、参加者はそれぞれに絵が描かれた札を取り合って楽しんでいた。
 最年少の参加で2回で20枚取った川村彩乃ちゃん(4)=松原町=は「幼稚園や家でもかるたをしているけれど、今日のかるたもおもしろかった」と話していた。

2012年1月26日木曜日

芥川賞作家・福島出身の玄侑宗久さん 原発・自衛隊・天皇制で持論、琵琶湖塾で

 芥川賞作家で福島県三春町の福聚寺住職・玄侑宗久さんを講師に招いた琵琶湖塾(田原総一朗塾長)が22日、滋賀県立大学(彦根市八坂町)で開かれ、原発問題や自衛隊のあり方、天皇制について持論を展開した。
 玄侑さんは原子力の問題について、全国で49基の原発が停止していながらも、「停電もせず、何とかなっている」とした上で、「全部、動かさないと何ともならないという論理は信用できない」「(原発を再稼働させて)経済が右肩上がりで成長していくことは現実的に不可能ではないか」と主張。「電気を作ったが、使い切れていなかったというのが実情で、再稼働の容認派には避難所や仮設住宅で暮らす方々がいる福島に『一度、来てみて』と言いたい」と脱原発のエネルギー政策を求めた。
 玄侑さんは国の東日本大震災復興構想会議の委員も務めていることから、官僚たちの体質についても解説。「委員が色々な提言をしても、各省の力で最終的に実行に移されない。各省の利益しか考えておらず、混乱が拡大している」と、被災地支援よりも省益を優先する官僚の体質を批判した。
 復興で貢献した自衛隊に対しては、「もしも自衛隊が存在しなければ、ここまでの復興はなかったであろう」と持ち上げた上で、「憲法上、自衛隊は軍隊ではないというあいまいな位置の中で、どういう集団か、その到達点にきたのではないか」と述べ、軍隊としてよりも災害支援などを専門にした集団にするよう暗に提案した。
 天皇皇后両陛下が被災地に何度も足を運ばれていることにもふれ、「どこかの国の総理(菅直人前首相)と違って、両陛下はひざまずいて、被災者に慰めの言葉をかけられている」「日本人を代表し被災者を慰めたり、激励したりする象徴天皇としてのお姿が、こんにち明らかになったのではないか」と、天皇制の意義を解説した。
 来場者からの「これから被災地へ向かう人たちは何を支援すればよいか」の質問に対しては、「必要なことは個別化しており、支援の物資や活動が逆に迷惑になっていることもある」「各被災地、各避難所、各仮設住宅に何が必要か聞かないとわからない」と答えた。
 今回(通算7回目)の琵琶湖塾は2回目の公開講座として開かれ、塾生のほか、一般参加を含め約260人が出席した。田原さんはほかの仕事のため欠席した。

読売テレビ特別解説委員・岩田公雄さん 今後の政治と経済語る、ねっと湖東主催

 稲枝・犬上・愛荘の各町商工会による「ねっと湖東」が21日、読売テレビ特別解説委員の岩田公雄さんを招いた新春講演会をハーティーセンター秦荘で開き、岩田さんは「今後の日本の政治経済」をテーマに話した。
 岩田さんは、中国政府が民主化運動を武力で弾圧した天安門事件(1989年)を現地で取材したことを紹介しながら、「その時、いかに民主主義が大事かわかった。中国はGDP(国内総生産)で世界1位になるだろうが、人権においても変化してほしい」と述べ、民主化運動家を逮捕・拘束・拷問している中国政府に変化を求めた。
 今年の日本の政治については、「解散総選挙をせざるを得ないだろう」との見方を示し、その時期については「6月に話し合い解散が行われるのではないか」と予想した。
 日本経済については、企業が海外へ進出する産業の空洞化が叫ばれている中で、世界の電器製品や自動車などの部品の大半が日本製であるとした上で「すべての分野において地盤沈下しているわけではない」と解説。また、GDPや国民一人あたりの所得割合の世界ランクが低下していることを示しながらも、「日本人の技能、勤勉さなどは落ちていないはずで、再び『日はまた昇る』ことを信じている」と語った。
 東日本大震災からの復興については、被災地への復興予算がトータルで約30兆円だとした上で、「冷静に経済活動として見ると、建設・土木の分野への予算がここ数年で続く」と説明した。
 今年は、米国、中国、ロシア、フランス、韓国でトップが交代またはその可能性があるため、「今年は外交面においてもスーパーイヤーで、経済、復興を含めて大事な年であり、ここをどう乗り切るか」「そのためには政治がしっかりしてくれなければ」と求めた。
 講演会には彦根市や各町から計約160人が来場した。

2012年1月24日火曜日

滋賀県内にインフルエンザ警報発令

 滋賀県は24日、インフルエンザ警報を発令した。
 県内の医療機関53カ所を定点とし、1定点あたり10人を超えると注意報、30人超で警報を発令。保健所別では、大津が32・91人で最多で、東近江、長浜、彦根がいずれも30人超で続いており、4カ所の保健所管内の人口(88万8000人)が、県人口の30%を超えたため、警報の発令となった。
 感染しないまたはさせない方法としては、▽人混みを避ける▽帰宅したら手洗い・うがいをする▽せきが出るときはマスクを着用する▽室内の温度と湿度を保つ▽栄養と休養を十分にとる▽ワクチンを接種する―ことなど。

ご当地ゲームサミット彦根で、カロム・ゴニンカン・投扇興・旗源平・本家野球拳

 カロムなどご当地で親しまれているゲームを一堂に集めた「ご当地ゲームサミット」が、2月5日午後1時~ひこね燦ぱれす(小泉町)で初めて開かれる。
 カロム以外のゲームは、トランプの絵札を取り合う青森県五所川原市の「ゴニンカン」、扇で的を落とす東京都大田区の「投扇興(とうせんきょう)」、旗やマトイを奪い合う石川県金沢市の「旗源平(はたげんぺい)」、カロムに似た京都市の「オニム」、歌と踊りを交えた愛媛県松山市の「本家・野球拳」。
 当日は各地域の代表団も参加。各ゲームの紹介、ルール説明などの後、グループごとに順番にすべてのゲームを体験する。小学生以上で定員100人。参加無料。動きやすい服装で上履き持参を。
 申し込みは主催の彦根青年会議所☎(22)7522かメール(info@hikonejc.or.jp)、ファクス(22)9018へ。

2012年1月22日日曜日

3・11 メモリアルイベント実行委員会(仮称)最初の会議開く

 東日本大震災から1年後の3月11日に、滋賀県護国神社(彦根市尾末町)などでイベントを開催するため、市民有志で設立された「3・11 メモリアルイベント実行委員会」(仮称)の第1回目の会議が、17日に大学サテライトプラザ彦根で開催。団体やイベントの名称などについて話し合った。
 同団体代表で油藤商事(豊郷町)専務の青山裕史さん(40)が、共通の「思い」を被災地へ届けると共に、市内団体を結集させたイベントを開催することで今後の更なるまちづくりにつなげていこうと企画。市民や市職員、市内大学教員、学生、議員ら約50人の委員を集めた。本紙の山田貴之編集長も協力者として入った。
 会議では、委員から「被災地のためと、これからの彦根などのまちづくりのためを一緒にして良いものか」、「震災が自分のまちで起こった時を考えると、『今後のまちづくり』という考え方は大きなネットワークづくりためにもなり、賛同できる」など、趣旨に対する意見が出た。
 また、被災地で継続して支援活動をしている県大生からは「被災者の方は時間を考える余裕もなく、私たちが考える『1年』とは感覚が違う。どういう気持ちを伝えるのかを考えてほしい」など、被災地へ送る「思い」についての提案があった。
 このほか、「地震と津波による犠牲者または被災者へのイベントにするべきで、原発問題を大きくもってくるとエライことになる」との要望もあった。
 団体名とイベント名については、仮称にあがっている「メモリアル」が記念物の意味であることから、「別の名称に」との希望が相次ぎ、「前向きな意味を込めては」との意見や、鎮魂や追悼など「被災地を悼む言葉にするべき」など提案があり、趣旨などと共に次回会議の31日までの宿題になった。

2012年1月20日金曜日

岡村本家・多賀・藤居本家・愛知酒造の新酒とおでん 近江鉄道乗りながら

 湖東地域の新酒とおでんを近江鉄道の車内で味わえる「コトコト湖東電」が21日から始まる。
 1市4町の行政や企業・団体によるびわこ湖東路観光協議会などが、電車に揺られながら、岡村本家(豊郷)、多賀、藤居本家(愛荘)、愛知酒造(同)の新酒の利き酒をしてもらおうと企画。料理はおでんのほか、近江牛、近江かも、赤こんにゃくなど県内の食材を使った弁当が付いている。ソフトドリンクも。
 運行日は21日から3月10日までの土曜と2月11日。彦根駅午後6時32分発・八日市駅から同8時26分着、2月4日と3月10日は八日市駅発、2月11日と18日には彦根駅午後0時37分発の昼便も。各蔵元から新酒の話を聞ける日もある。
 各日80人限定。予約は3日前までに。一人3900円。申し込みは近江鉄道運輸課電話0749(22)3303。

2012年1月19日木曜日

彦根市民有志ら 3・11メモリアルイベント実行委員会設立、東日本大震災1年でキャンドルナイト

 彦愛犬の住民有志や市内大学の教員・学生らが、東日本大震災の発生1年後に合わせたイベントを開催するため、「3・11メモリアルイベント実行委員会」を設立。17日に最初の会議を開催した。
 震災後、彦根などの団体や大学は、被災地のためにさまざまな支援活動をしている。震災直後に被災地へガソリンなどを運んだ油藤商事(豊郷町)の青山裕史さん(40)は、それぞれの団体が連携しながら、被災地に対する思いを一つに結集させたイベントを、震災1年後の3月11日に開催しようと企画。
 市内団体や大学などに協力を呼びかけ、市民有志、大学教授、学生、議員らから、これまでに約40人の協力者を集めた。
 予定しているイベントは、▽彦根観光協会前の駐車場と県護国神社参道に約3万個のキャンドルを並べて点灯▽被災地の女性たちがほたての貝殻で作ったキャンドル「ほたてあかり」の販売など。
 実行委では3月11日までに計4回の会議を開催。4~5つのワーキンググループをつくり、具体的なイベント内容を決める。キャンドルの設置や点灯などのボランティアは今後、一般市民からも募集する予定。
 代表に就任した青山さんは「昨年の3月11日は日本の価値観を変えた日。鎮魂のキャンドルナイトを行うことで被災地へエールを送ると共に、さまざまの団体が一つになることで、これからの彦根などの地域のまちづくりをより一層すすめる足がかりにしたい」と話している。
 滋賀彦根新聞社もこの企画に賛同し、山田貴之編集長が協力者の一人に入った。本紙では今後、同実行委の活動を全面的にバックアップする。

ファンド型投資商品の被害相談「激増」 滋賀県消費生活センターが注意

 「投資額を倍にする」などと言って資金を募るファンド型投資商品に対する相談が激増しているとして、県消費生活センター(彦根市元町)が注意を呼びかけている。
 同商品は、運用者が出資者から集めた資金を活用し、そこからの収益の配当や財産を出資者へ配分するという仕組みで、株や社債、投資組合への出資、和牛オーナー契約、商品ファンドなどがある。
 同センターには、「『風力発電事業へ投資すれば別会社がその権利を倍にして買い戻してくれる』と言われ、5口100万円を振り込もうとしたところ、銀行側から相談するよう言われた」など、消費者に有利な取り引きだと誤認させる「劇場型」に対する相談が増えているという。
 同センターが示した平成23年度上半期のデータによると、相談件数別でファンド型投資商品は7位の46件で、前年度の6件(20位以下)から急増。特に過去に投資被害にあった消費者に対して、別の商品を購入させようと言葉巧みに勧誘する事例も多くなっているといい、同センターでは「不審な勧誘電話や郵便物が届いたら、一人で悩まずに相談に来てほしい」としている。
 ほかにも、出会い系サイトやアダルト情報サイトがらみも、手口が巧妙になってきており、同センターでは注意を呼びかけている。

2012年1月18日水曜日

ひこね丼祭り大盛況 キャンペーンも始まる

 彦根の新名物「ひこね丼」の弁当が販売されたひこね丼祭りが14日、四番町スクエアであり、完売するほどの盛況だった。市内飲食店でひこね丼を食べるとひこにゃんグッズが進呈されるひこね丼キャンペーンも同日から始まった。
 当日、並んだのは入賞10点のうち7点の弁当計750食。寒空の下だったが、観光客や市民らが訪れ、販売開始から約3時間後には完売した。
 牛すじと赤こんにゃく入りの「ひこねの赤どん」を食べた嶋内りかさん(45)・はるひちゃん(6)親子=正法寺町=は「少し冷めていたけれど、赤こんにゃくに甘みがあっておいしかった。飲食店でも食べたい」と話していた。
 同キャンペーンでは、市内12店でひこね丼を食べると付いてくるはし袋3枚を集めて、協力店か景品引換所(彦根観光協会やひこね街なかプラザなど)に持参すると、先着3000人にひこにゃんグッズ(タオルハンカチ)が進呈される。3月31日まで。協力店やメニューは市のホームページで。
食育フェアでもブース
 食育フェアが15日、文化プラザで開かれ、会場では食育に関する展示や体験会のほか、ひこね丼のPRブースも設けられた。
 学生たちで組織の滋賀県立大学地域食育推進隊による環境こだわり農産物の無料提供、味覚チェックコーナー、子どもたちの習字展など、食育に関する各ブースには、多くの来場者が次々に詰めかけていた。ひこね丼のPRブースには、稲枝商工会のキャラクター・ひこちゅうも駆けつけ、ダンスを披露しながらひこね丼を宣伝していた。

2012年1月17日火曜日

狂言アマチュア集団・彦根伊呂波会のメンバー パリとベルギーで公演へ、東日本大震災激励の返礼

 狂言のアマチュア集団「彦根伊呂波(いろは)会」のメンバーが、今月22日から渡欧し、フランス・パリとベルギーで公演する。同会は平成3年に彦根と周辺市町の住民で組織し、現会員は6人。大蔵流狂言師・木村正雄さん(82)の指導で、毎月2回けいこをしている。東京・大阪・京都の各伊呂波会と合同で彦根城博物館の能舞台で発表会を開いているほか、城西小6年生に狂言を教えている=写真は昨年11月
海外の若者ら60人から便り
 昨年3月11日の東日本大震災後、岩手県奥州市(旧水沢市)出身で同会代表の小澤祥子さん(66)=愛荘町=あてに、パリやベルギー在住の友人や、その友人を通して日本語を学ぶ現地の若者たち計約60人から、見舞いや励ましのメールが届いた。
 「賢明な日本人のことだから、きっと立ち直ると信じる」などといったメールの一部は、7月に岩手の民放ラジオを通じて被災者にも届けられた。
 小澤さんは、友人だけでなく、若者たちも心配をしていることに感動し、「何かお返しができないか」を検討。海外での狂言公演を企画し、パリやベルギーの友人に場所の提供などを依頼し、開催することになった。
 訪問するのは、団長として木村さんと、小澤さん、元高校教諭・篠原静さん(66)=米原市=、以下いずれも彦根市の元市議・辻橋正一さん(64)、元朝日新聞記者・中村憲一さん(64)、松田秀昭さん(66)の同会メンバー5人、京都伊呂波会の4人ら計13人。
 22日に渡欧し、24日~26日までパリで、29・30日にベルギーで公演する。「濯(すす)ぎ川」、「蝸牛」など5演目を披露する予定。現地ではフランス語であらすじを説明した後、演じるという。2月2日に帰国する。
 小澤さんは「世界の人たちからたくさんの支援をいただいたことにお礼の気持ちを込めて、日本の伝統芸能を見せて来たい」と意気込んでいる。

2012年1月16日月曜日

全日本卓球選手権大会 一般・ジュニアの部にダブル出場、彦根JOYアートプラン卓球センターの松宮悠真君

 彦根JOYアートプラン卓球センター(川瀬馬場町)に所属する甲良中学3年生の松宮悠真君(15)=甲良町下之郷=が、昨年開かれた一般とジュニアの部の県予選でダブル優勝し、今月17日から東京体育館で開かれる天皇杯・皇后杯 全日本卓球選手権大会の一般とジュニアの部に出場する。
 松宮君は父親の徹さん(41)のすすめで小学2年生から卓球を始め、着実に実力を伸ばし、中学2年生の時に臨んだジュニアの部の県予選では準優勝になるほどまでに成長。昨年9月のジュニアの部の県予選と、大人も加わった10月の県予選では共に優勝し全国大会への出場を決めた。
 松宮君は、ジュニアの部では翌年のシード権が得られるベスト16入りを目指すとし、一般の部に対しては「相手は年上の人たちばかりなので、向かっていくつもりで臨みたい」と話し初戦突破を目標にしている。大会は22日まで。
 松宮君は、全国でも卓球の強豪校として知られる愛知県の杜若(とじゃく)高校へ推薦入学することが決まっており、「高校、大学と卓球を練習して、将来は世界チャンピオンになりたい」と抱負を語っていた。

東京財団研究員の中尾修さん地方議会改革で提言 北海道栗山町議会の事例紹介

 地方議会改革のアドバイザーを務める前北海道栗山町議会事務局長で東京財団研究員の中尾修さん(62)が11日、彦根市役所で市議らを前に議会改革の必要性について解説した。
 中尾さんは地方議会をスポーツに例え、「これまではゴルフのようにすべてを一議員だけでしてきたが、これからはなでしこジャパンのように、議論というパスを渡して結果を出すという合議体になるべきだ」と主張。
 議員と市民との関係については、「首長に任せっきりであったため、市民は議員活動がみえておらず、議会不要論が出るのはやむを得ない」と指摘した上で、「議会側も民意をつかむ必要がある」とし、市民への報告会などの開催を提案した。
 議会改革の一案としては、栗山町議会の「議員の質問に対して町長や教育長らが反問する権利」や「議員同士の積極的な意見の場」を設置したことなどを紹介した。
 傍聴した市議のうち安藤博議員は「議員の資質向上のためには何が必要か」と質問。中尾さんは「議員は市町に質問をするだけではなく、(市民や行政に)説明をする側に変わることも必要」「質問を受ける側の緊張感を知り、明確に答えられるようになれば、資質の向上につながるのではないか」と答えた。
 中尾さんの講演は市議会が講師として招き、市議20人が出席した。

2012年1月14日土曜日

新海浜の黒松 切断され持ち逃げ被害、地元住民育てた8年木 門松利用か

 彦根市新海浜の公園にある黒松の幹部分が何者かに切断され持ち去られているのを、近くに住む宇野道雄さん(76)が11日午前に発見。公園を管理する県などに報告した。
 新海浜には湖岸約2㌔にわたって約9000本の黒松が植えられているが、毎年12月になると、門松用に取りに来る人がおり、県や地元住民が警告の看板を設置したり、住民らが監視活動をしている。
 今期も、公園内で地元住民が苗から育ててきた7、8年目の黒松(高さ約2・5~約3㍍)のうち、8本の上部(約1~約1・5㍍)が切断。宇野さんが昨年12月24日に同じ場所を確認した際は異常なかったため、それ以降の年末にかけて切られて持ち去られたと見ている。切られた松は再生ができないという。
 被害状況が例年よりもひどく、奥まった部分を集中的に切断されていたため、業者関係者の可能性もあるという。宇野さんは「住民が大切に育ててきた松が切られたことは非常に残念。絶対にやめてほしい」と話している。
 公園を管理する近江鉄道ゆうグループは「県や地元と話し合って、今月中にも警告の看板を設置したい」としている。

滋賀大学空手部 松原水泳場で寒稽古 震える中 二十歳の誓いも

 滋賀大学(彦根市馬場1)空手部は11日、松原水泳場で恒例の寒稽古を披露した。
 50年以上続けているという伝統行事で、今年は女子学生を含む部員10人が参加した。
 部員たちは滋賀大から約1㌔走って浜辺に到着し、見学に訪れた同大学の運動部員ら約30人が見守る中、準備運動。その後、男子が上半身裸、女子がTシャツ姿になり、横一列に並んで、「エイッ、エイッ」と掛け声に合わせて突きをしながら約20㍍沖合まで進み、円になって型を見せた後、再び突きをしながら岸に戻った。
 この日は防寒着を着ていても寒さを感じる上、冷たい雨と強い風も吹く中だったが、部員たちは震えながらも懸命に型を披露。そのうち今年、成人となった6人は二十歳の誓いを叫びながら、水中に飛び込んでいた。

2012年1月13日金曜日

滋賀県第2選挙区 次期衆院選の自民公認候補 上野賢一郎と川島隆二から選考へ

 次の衆院選に向けて、彦根市や長浜市など滋賀県第2選挙区から、元衆院議員の上野賢一郎氏(46)と長浜選出の県議・川島隆二氏(40)が、自民党公認での出馬に意欲を示していることが同党関係者への取材でわかった。
 衆議院の任期は来年8月29日だが、野田首相は消費増税の是非などで解散総選挙を否定しておらず、自民党など野党も総選挙を求め審議拒否の姿勢のため、今年中に行われる可能性がある。
 自民党滋賀県連は昨年12月15日から、県内4選挙区のうち1~3区で、事実上の衆院選の候補になる支部長を公募。2区では上野氏と川島氏が推薦人を集めており、この2人以外の動きは今月10日時点で見られない。
 滋賀彦根新聞の取材に、上野氏は「熟慮中だ」と言葉を濁しながらも「推薦人の確保のめどはついた」としている。
 川島氏は「いまの日本の状況に危機感をもっている」と話し、応募することを断言した。
 彦根支部では、支部長の中村善一郎元県議が上野氏の推薦人に入ったが、「上野氏が元々は大津など1区で出馬をしていたこと」や「彦根などで川島氏の知名度がないこと」から、同支部内でも意見が分かれており、2区全体としての動きは低調。
 公募は今月16日(大津など1区は31日)までで、県連会長で2区の支部長代理も務める辻村克県議(米原選出)は今後、県連内で選考委員会を立ち上げて、3月までに支部長を決めたい考えを示している。
 2区ではほかに民主党から現職の田島一成衆院議員(49)が準備を進めている。

ひこね丼祭 入賞作の弁当発売 ひこにゃんグッズ進呈のキャンペーンも

 昨年、行われた「ひこね丼」選手権での入賞作の実食ができるひこね丼祭が、14日に市内の四番町スクエア内で開かれる。当日午前10時~はひこにゃんも登場する(雨天時は登場せず)。
 B級グルメが全国的に人気となっており、彦根市でも昨年、市制75周年を記念しひこね丼のレシピを募集。一次審査では、応募のあった204点から入賞となる10点が選ばれ、11月末の二次審査で3点が優秀賞を受賞した=写真
 ひこね丼祭では、入賞10点のうち市内の販売協力店が作った8点を弁当を販売。400円~700円で、限定50~100食。午前10時~午後2時。
 また市内12店の協力店で、ひこね丼を食べると付いてくるはし袋を3枚集めて、協力店か景品引換所(彦根観光協会やひこね街なかプラザなど)に持参すると、先着3000人にひこにゃんグッズ(タオルハンカチ)が進呈されるキャンペーンも。3月31日まで。協力店やメニューは市のホームページで。

2012年1月12日木曜日

彦根で成人式 ペットボトルのキャップ約4万個回収

 彦根市での成人式が8日、文化プラザで開かれ、878人の新成人が出席した。
 市教委が昨年12月1日時点で案内状を発送した新成人は1263人(男654人・女609人)分で、そのうちの7割が参加した。
 成人式では、代表の荒川樹さんが新成人の言葉を述べ、市長らが激励のあいさつ。式後の交歓会では中学校の恩師からのビデオレター放送などがあり、会場内は中学時代を懐かしむ新成人たちの声で賑わっていた。
 今年は新成人らによる実行委員会が、成人になることへの意識を高めてもらおうと、ペットボトルのキャップ回収を企画。昨年12月からテレビやラジオで呼びかけ、当日回収と合わせて約4万個のキャップが集まった。キャップは実行委員が業者に持参し1㌔20円で売り、収益をNPO法人・世界の子どもにワクチンを日本委員会へ寄付する。

2012年1月11日水曜日

多景島と見塔寺のすべて

 彦根市民でも「あの島、彦根だったの」「たけしま?、竹生島のこと?」などの声があがるほど、あまり知られていない琵琶湖上の小島 多景島(たけしま)。
 彦根市八坂町に位置し、彦根港から一日1便で船も出ている(冬期は欠航)。島の特徴と島にある見塔寺(けんとうじ)の歴史を紹介する。(文・写真=山田貴之)
琵琶湖三島の一つ
 多景島は、彦根港から沖へ約6㌔いった湖上にあり、周囲約600㍍・幅約200㍍×約70㍍の小島。湖底から突き出た岩山で、岩質は花こう岩。竹が群生していることから竹島や、「神仏のおわします島」という意味で嶽島と記される時代もあった。
 多景島という名は、湖上から眺めるとさまざまな景色が見られ、また島から四方を望むと絶景であることから、「景色の多い島」より名付けられた。
 琵琶湖にはほかに竹生島(長浜市)、沖島(近江八幡市)があり、多景島と合わせて琵琶湖三島と言われている。
直澄支援で見塔寺建立
 多景島には見塔寺という寺院がある。
 明暦元年(1655)の夜、長浜にある妙法寺の住職だった日靖(にっせい)上人が夢の中で出会った貴人と島へ渡り、そこで貴人から「お前たちの住んでいる娑婆世界に、ひとつの霊場がある。お前はその地を探して住み、自行化他(修行し他をも導く)に勤め、退転してはならない」とのお告げを受けた。その後、湖上に多景島があるとの話を聞き、向かうと夢で見た島で、以降、島に常駐するようになったという。
 見塔寺の建設には、当時の彦根藩三代目藩主・井伊直澄から多大な支援を受けた。直澄は船と多くの人手を手配し、岩山の地に寺が建てられるよう、荒神山から土を運ばせ、必要な資材を運搬し寺を建立。寺は彦根城の裏鬼門の役割を果たし、釈迦堂には藩主や井伊家代々の位牌が安置されている。
巨石に「南無妙法蓮華経」
 万治4年(1661)には、日靖上人が職人に作らせた高さ約8㍍の石の塔が、直澄の援助を得て島に運ばれ、宝塔として建立。また寛文3年(1663)には鐘が作られ、鐘に刻まれた銘文は直澄の母(二代藩主・直孝の側室でもある)を姉にもつ元政(げんせい)上人作。元政上人は出家前は直孝に小姓として仕え、その後は江戸時代を代表する文人としても名をはせた。見塔寺の建立の際にも尽力したとされる。
 当時の漁師の間では「多景島から法華教を読む声が聞こえる」との噂が広がり、島に入ると高さ約16㍍・幅約4㍍の巨石から声が聞こえたため、その岩を「不思議の経岩」と呼んでいたとされる。
 そのため、日靖上人は元禄5年(1692)から約3年かけて、その巨石の上から運搬用のモッコに乗りながら「南無妙法蓮華経」の文字を刻んだとされる。題目の一文字は米一俵が入る大きさ。なお、十三代藩主・井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された時には、巨石の向かって左上側から血がしたたり落ちたとも言い伝えられている。
五箇条の御誓文の柱
 大正15年(1926)4月には、明治政府の基本方針・五箇条の御誓文を刻んだ「誓の御柱」(高さ約18㍍)が建立された。
 その5年ほど前に当時、滋賀県警本部長を務めていた水上七郎が計画を発表し、広く建設資金を募り、同14年に起工式を行い、翌年完成した。青銅製で5角形となっており、各面に五箇条の御誓文の一文ずつが記されている。碑文は閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王の筆。柱の下部には菊花紋章がはめ込まれており、礎には大正天皇の皇后の鏡が納められている。
勝見住職28歳で出家
 見塔寺の勝見龍照(りゅうしょう)住職(64)には昨年末、本紙に職場体験に来ていた彦根東中生がインタビュー。
 「住職になったきっかけは」「356日間、続けていることは」などを質問し、勝見住職は「最初は電気関係の仕事をしていが、宗教にふれる機会が増え28歳の時に出家した」「(柳川町の別院で)毎朝午前3時半から2時間、お参りをしている」などと話した。
彦根港から1日1便
 多景島へは彦根港から1日1便で琵琶湖観光船「わかあゆ」号が出ている。
 ただし冬期などは欠航で、運航期間は3月第2土曜日~11月30日。中学生以上1720円、小学生860円。午後3時10分発・同30分着、滞在時間は30分で、彦根港帰着は午後4時20分。
 問い合わせはオーミマリン☎0749(22)0619。

2012年1月10日火曜日

滋賀県立大生グループ・七曲りでいっちょやったるか! 彦根仏壇街の地図・ななマップ製作

 滋賀県立大学(彦根市八坂町)の学生グループ「七曲りでいっちょやったるか!」(通称・ななちょ!)が、彦根仏壇街の七曲り通りを紹介した地図「ななマップ!」を作っており、近く完成させる。
 同グループは彦根仏壇街を盛り上げる企画をしようと平成21年6月に設立。以降、彦根仏壇や七曲り通りについての研究を進め、同22年には七曲りを紹介した紙芝居を製作した。
 マップ作りは県大の地域貢献プロジェクト「近江楽座」の一環で、同グループの2回生と4回生の6人が昨年2月から七曲りを歩いて取材を進め、昨年11月末に七曲りで開かれたイベントでサンプル判を配布した。
 マップでは仏壇七職を解説しているほか、江戸期の建物・旧村岸家、日本最大とされる木造の地蔵(彦根大仏)がある済福寺、コミュニティハウス・三軒茶屋などを、イラスト入りで紹介している。A4判の四つ折り。
 代表の村田悠喜さん(20)は「七曲り通りをより多くの人に知ってもらいたいという思いを込めて作った」と話している。彦根仏壇事業協同組合の確認を経て印刷に入り、完成後は市内各所で無料で配布する。問い合わせはNPO法人Linksの柴田雅美さん☎090(2061)5135。

2012年1月9日月曜日

今年のNHK大河ドラマ・平清盛の生涯 時代考証役の本郷和人・東京大学史料編さん室准教授が解説

 今年のNHK大河ドラマの主人公・平清盛をテーマにした3回シリーズのセミナーが昨年末、文化プラザで開講された。
 講師には大河ドラマの時代考証を務める東京大学史料編さん室准教授・本郷和人氏が招かれ、セミナー1では「清盛政権はなぜ生まれたのか」、セミナー2では「清盛はどんな国を目指したのか」、セミナー3では「平家はなぜ滅びたか」をテーマに講義し、清盛の一生を振り返った。
 保元元年(1156)7月2日、当時の絶対的な権力者・鳥羽上皇が死去すると、跡目争いが活発化する。
 同年7月9日、鳥羽上皇の息子・崇徳(すとく)上皇は白河北殿(邸宅)に入り、自らが院政を行うことを宣言。藤原頼長、源為義のほか、平清盛の叔父にあたる忠正らも白河北殿に集まった。
 一方で、敵対する崇徳上皇の弟・後白河天皇の陣営にも、清盛、源義朝、源義康、源頼政ら武士のほか、関白の藤原忠通と藤原信西(しんぜい)らが加勢した。
 7月11日未明、清盛率いる300騎や義朝の200騎が白河北殿に夜襲。朝の8時には勝敗は決し、上皇側は総崩れとなり、上皇は讃岐に流された。この戦いを保元の乱と呼ぶ。
 本郷氏は、平安時代後半から鎌倉時代初めのころの人口が約800人で、それから約400年後の関ヶ原の合戦時でも約1000万人だったことを紹介。人口が少なかった原因について、疫病や饑餓、戦争をあげた。
 一方で平安時代は文化水準が低く、治安は良くなかったとした上で、保元の乱により、「政治の実権は武力で決まるようになり、武士の世になった」と解説した。(続きは本紙元日号で)

2012年1月8日日曜日

彦根十日ゑびす祭、北野ゑびす神社で9・10日 福娘やゑびすくんがもちまき

 彦根十日ゑびす祭が9・10日の両日、北野ゑびす神社(馬場1)で開かれる。宵ゑびすの9日はパリヤ(午前10時20分~)とビバシティ(午前11時~)で福もちまきもある。
 両日とも縁起物の福笹や吉兆など授与。家電や自転車などが当たる大当たりえびすくじ、屋台村、甘酒・福酒の無料接待のほか、9日は午後4時~オカリナ・滋賀大アカペラサークル・彦根家チンダンバンドの演奏、10日は午後4時~歌謡ショー・剣舞奉納も。両日とも、もちまきときなこもちの振る舞いも。駐車はカインズへ。
ゑびすくんももちまき
 彦根十日ゑびす祭が9・10日の両日、北野ゑびす神社であり、境内は「商売繁盛で笹持ってこい」とお囃子(はやし)が響く中、福笹や吉兆など縁起物を買い求める商店主や市民らで賑わっていた。両日で約1万人が参拝した。
 境内では参拝客が、烏帽子(えぼうし)や鉢巻きをうけた福娘らから、福蓑(みの)や福俵、福熊手、宝船など福笹につける縁起物を購入。特設の壇上では2日間で計5回、約1500個のもちがまかれ、福娘らがまくもちを我先にと受け取る光景もみられた。
 10日のもちまきには、銀座商店街のイメージキャラクター・ゑびすくんも訪れ、特製のずきんをかぶりながら壇上からもちをまいていた=写真

2012年1月7日土曜日

ひこにゃんへの年賀状 過去最多の勢い、平成20年以降毎年返信

 ひこにゃんへの年賀状が4日時点で、彦根城(金亀町)などに計8611通届いた。市は最終的に過去最多となると見込んでいる。
 ひこにゃんへの年賀状は築城400年祭が始まった翌年の平成20年から届き始め、その年は最終的に1762通。同21年は8564通、同22年が1万3036通、昨年は1万1797通だった。
 今年は全都道府県から届き、大阪が最多の1733枚で、次いで滋賀(909)、東京(770)、京都(749)、兵庫(730)、などとなっている。海外はイギリスやフランス、台湾、パラグアイ、スイスから計7通だった。彦根市内は174通。
 中には、宛名欄が「ひこにゃん」とだけ書かれていたものや、ペーパークラフトで龍(高さ33㌢)の上に鏡もち風のミニひこにゃんが乗った作品、ひこにゃんとタイをかたどった羽子板などもあった。被災地からは、ひこにゃんが昨年5月21日に福島県郡山市を訪れていたため、「福島に来てくれてありがとうございました。とても元気になりました」などと書かれたメッセージや、自宅を失いアパート暮らしをしている仙台市内の女性からの「前向きにがんばっています。いつか本物のひこにゃんに会いたい」と記されたものもあった。
ひこにゃんへの年賀状の返信は、平成22年までは確約されていたが、昨年から市は「ひこにゃんの体力と相談しながら検討する」としている。ちなみに昨年は返信している。ひこにゃんへの年賀状は今月末まで受け付けるという。

2012年1月6日金曜日

岩手県大船渡市から彦根へ・山澤次子さんに聞く

 東日本大震災後、岩手県大船渡市から避難してきた山澤次子さん(59)=彦根市日夏町=に、震災時の生活の様子や避難後の苦労話などを聞いた。
 山澤さんは昭和43年に彦根に移住し、結婚後は日夏町で夫の喜代治さん(58)と子どもたちと生活をしていた。しかし実家がある大船渡で一人暮らしをしていた実母・上野マサノさん(97)の認知症がひどくなったため、一昨年8月に家族を残して大船渡に単身、移った。
 大船渡ではマサノさんの世話をしながら、日中は同市内のデイサービスセンターで勤務をし、その間は別の老人ホームからのヘルパーがマサノさんの世話をするという日々だった。
 3月11日の震災時は、同センターで高齢者たちによるカーリングのゲームの応援をしていた。阪神淡路大震災の時よりも激しく長い揺れで、「長く大きく揺れる地震は津波が来るから高台へ避難せよ」と書かれた沿岸の石碑を思い出し、現場にいた人たちと避難を開始。
 当日は降雪で風も吹いていたため、寒さに震える高齢者に毛布をかぶせるなどして懸命に暖め、30人いた高齢者をバスに乗せ寒さをしのいだ。
 山澤さん自身は、沿岸に近くマサノさんと一緒に住む自宅に車で向かい、普段は20分ほどしかかからないものの、道路の閉鎖や渋滞で約2時間かかって到着。マサノさんの無事を確認した。自宅は沿岸から近かったが、高台にあったため、津波被害はまぬがれたが、下の集落は壊滅状態だった。津波がひく様子も目にし、「あらゆる物がぐちゃぐちゃになって流され、残された学校などの建物に材木がひっかかっていた」という。
 自宅は風呂場の屋根が崩れ、石垣も壊れる半壊状態だった。震災直後はまず、水道管にたまっていた水を出し、谷の湧き水にホースをつなぐなどして水の確保に努めた。寒さ対策にはごみ袋をかぶった上に服を着たり、湯たんぽや火鉢を活用。食事は冷蔵庫にあった肉をみそやしょう油漬けにした。
 「あの手、この手を使い、『ない』頭をフル回転させていた」と当時を振り返っていた。(続きは本紙元日号で)

2012年1月4日水曜日

彦根の観光の課題探る 彦根観光協会・上田健吉会長×滋賀彦根新聞・山田貴之編集長

 昨年、新しく彦根市観光協会の会長に就任した上田健吉氏(75)=千成亭代表取締役会長=に、市の観光の課題や新しい戦略について、本紙の山田貴之編集長が対談形式で探った。
 「より多くの観光客を招くためには」「宿泊客を増やすための着地型観光を進めるためには」「彦根の『祭り』は従来通りで良いのか」などに対して、上田氏らの持論を含めた見解を紹介する。

 山田 彦根観光協会の会員には市内企業や宿泊施設の経営者のほか、市の職員やそのOBも入っている。どこの団体でも同じことがいえるかもしれないが、民間と行政ではどのような意見の違いがあるのでしょう
 上田 民間は数字を追いかけていくため、革新的な考えで動こうとする。しかし役所は守りの世界。予算でも従来通りの金額があがっているが、例えば、夏の総踊りやゆかたまつり、花火大会などは続けていけるかという問題がある。根本的に洗い直していくことが我々に課せられた宿題。市としては観光振興課が決めたことを協会が忠実に実行してくれたら良いという考えだが、誘客のための新しい施策が充分とはいえない
 山田 観光協会と市との連携はうまくいっていないのか
 上田 行政側は、コミュニケーションはうまくいっていると思っているようだが、我々には情報が入るのが遅い
 山田 観光協会から市に企画を提案するような逆の流れはできないものか
 上田 市が予算を握っているから難しい。協会内では9部会あるが、その部会は活発に動いている。その中には市職員の幹部も理事として入っており、協会の動きはわかっているはず
 山田 予算は100%市が握っているのか
 上田 全体予算の約70%が市からの委託料と補助金
 山田 観光協会がもっと独立できないものか
 上田 長浜は役所の中に観光協会があって、コミュニケーションがうまくいっているようだ。彦根の場合、離れているため、どうしても判断がすれ違う場合がある。昨年でも、ゆかたまつりの時に、稲枝では農業祭をやっているというような、バッティング状態が出ている。ひこにゃん田んぼアートの時も、近くの荒神山ではハングライダーをしていて、その参加者は名古屋や京阪神が中心で、彦根市民のほとんどは知らなかったという状況。
 彦根商工会議所、彦根観光協会、ひこね市文化プラザ、彦根市がさまざまなイベントをしているが、これらの予算はみなバラバラに使っている。これはおかしい。バラバラに活動して、コラボレーションが全然できていない。これが彦根のマイナスではないか。せめて半年前には、事業の内容、予算、主催者など、みんなが把握できるようにしないと。市の職員だけが知っていて、観光協会は何も知らないではダメ (続きは本紙元日号で)

ひこねお城大使の浅井千秋さん・藤野恵衣さんに彦根東中生インタビュー

 ひこねお城大使の浅井千秋さん(21)と藤野恵衣さん(20)に、本紙に昨年、職場体験に訪れていた彦根東中生がインタビュー。お互いの印象や彦根の良い所などを質問した。
お城大使になろうと思った理由は
 浅井 彦根の良さをもっと多くの人に伝えたいと思ったことと、彦根の人と観光客との架け橋になれればと思った
 藤野 彦根が好きで、お城大使の仕事に魅力を感じたし、何かをやり遂げたいと思ったから
 彦根の好きな所は
 浅井 彦根市民の皆さまがとても温かい人ばかりで、友好都市から訪れる方たちも皆さん、彦根は温かい人ばかりで、すばらしいまちとの声を聞く
 藤野 キャッスルロードなど買い物ができる場所や、稲枝では昨年、ひこにゃん田んぼアートも行われた。観光施設や自然が豊富で、色んな楽しみができるまち
 お城大使になって楽しいことは
 浅井 色んな所でたくさんの人とふれ合うことができるし、「彦根のことが好き」と言ってくれること
 藤野 彦根で行われるイベントで、それまでの見る側から(イベントを)見てもらう側になって、違う立場になったことが新鮮で楽しい
 お城大使になって自分自身が変わったことは
 浅井 人のコミュニケーションをとることが好きになった。彦根が多くの人に愛されているということを今まで以上に感じることができた
 藤野 まだ知らないことが多くあることがわかった。ブログをしているが、いかにそこの良さを伝えるかは、実際に足を運ばないとわからない
 彦根の課題は
 浅井 例えば京都は誰もが知っているけれど、東京の人らからは「彦根ってどこにあるの」「ひこにゃんってどこのキャラ」という声を聞く。彦根をもっと多くの人に知ってもらうことが必要では
 藤野 何回も彦根に来てもらうリピーターをつくることが課題だと思う。すてきな場所やイベントが多くあると思うけれど・・・
 お互いの好きなところは
 浅井 恵衣ちゃんとは一緒にいて落ち着くし、互いに黙っていても大丈夫。(年が)一つ下という感覚なく、馬が合う
 藤野 初めて合った時から打ち解けていた。恋の話もできるし、信頼関係もできている。プライベートでもよく遊んでいる
 ありがとうございました
 2人 こちらこそありがとうございました。東中生の皆さんも是非、お城大使になってください。

2012年1月1日日曜日

彦根城博物館で正月恒例・具足飾展、八代・直定

 彦根城博物館は元日から10日まで、恒例の正月行事として「具足飾(ぐそくかざり)」を展示する。
 武士が出陣やがい旋などの際、よろいを飾る風習は室町時代から始まったとされる。江戸時代には飾り方に形式があり、正月には具足や太刀、弓具が飾られた。前には鏡もちも供えられ、正月11日にそのもちを開いて食べる習わしがあった。
 同博物館では毎年、井伊家の歴代藩主の具足を展示。今年は八代・直定が着用し、かぶとに金箔押しの天衝脇立(てんつきわきだて)をつけた藩主象徴の具足「朱漆塗紅糸威縫延腰取二枚胴具足」を展示。歴代藩主の中で最も装飾性に富んだ仕上がりだという。ほかに、いずれも江戸時代の太刀や弓具、燭台(しょくだい)、三宝(さんぽう)も並べる。開館は午前8時半~午後5時。入館料が必要。