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2010年1月29日金曜日

「鳩山首相は政治音痴」小沢独裁体制批判も 屋山太郎さん講演

 彦根商工会議所所は28日、新春特別講演会を開き、政治評論家の屋山太郎さんが「これからの政局展望」をテーマに講演。鳩山政権や小沢一郎幹事長に対して痛烈な批判を展開した。
 屋山さんは、国家体制について、武家は権力をもつが、そろばんはしないというのが日本の伝統だったと説明したうえで「ダメになったのは田中角栄の時代から。現政権では小沢さんがそれを引き継いでおり、参院選で勝てば権力をとってしまう」と、小沢独裁体制に懸念を示した。
 民主党が掲げる官僚の天下り禁止法案に関しては「最初に取り組んだのは安倍(晋三元首相)さんだが、それを潰したのが麻生(太郎元首相)さん。彼は政治の本質を理解できず、最後のバカ殿となった」と揶揄した。
 小沢氏による600人訪中団と天皇陛下の政治利用については「中国が朝貢外交をとるという歴史をまったく分かっていない」「皇室への尊崇の念もまったくない」と非難。
 小沢氏の元秘書が逮捕されたことに鳩山首相が「起訴されないことを望む」と発言したことには「その言葉がどういう意味をもつのかわかっていない。(母親からの献金)12億円を知らなかったというのは本当のことかもしれない」と皮肉った。
 また、「麻生さんの無学の失言と、鳩山さんの政治音痴の失言とどちらが悪いか」「どちらも悪いが、国家の方針を大きく間違う事にはすごい不信感がある」と述べ、今夏の参院選について「鳩山さんでの選挙はない。おそらく菅(直人財務相)首相で戦うのではないか」と予想した。

どうする?ひこにゃん、グッズ販売 継続か中止か

 井伊直弼と開国150年祭後のひこにゃんグッズの販売について、獅山市長や北村昌造・実行委会長らが28日から、協議を始めた。話し合いの行方次第では、ひこにゃんグッズが店頭から消える場合もある。
 市は、ひこにゃんグッズの販売契約の期限を今年3月末とし、在庫処分のため6月までの猶予を与えている。
 これまでの会見で市長は「ひこにゃんで儲けようという気運が見られ、これが良いのか話し合わなければならない」と話していた。一方で販売を中止した場合、ひこにゃん人気が低下してしまうことや、ひこにゃんに似た「よいにゃんこ」の製品販売が継続されることも考えられる。
 28日の話し合いでは「早急に方針を決めること」が確認されたのみで、結論は次回以降に持ち越しとなった。

滋賀彦根新聞・ツイッターキャラ「ひこっつぁん」誕生

 滋賀彦根新聞のツイッターのイメージキャラクターとして、彦根城内の白鳥を基調にした「ひこっつぁん」が誕生した。
 滋賀彦根新聞では今年からツイッターを開始。紙面で取り上げているニュースやその日にあった主なイベント・事件事故などを紹介したサイト「彦根新聞」と、弊社社員のつぶやきを載せたサイト「ひこっつぁん」を展開しており、両サイトとも好評を得ている。
 「ひこっつぁん」は、「彦根」、白鳥の英語読み「スワン」、おやじの「おとっつぁん」を組み合わせて命名。メタボでふっくらした体、薄くなった髪の毛が特徴で、背中には子どもを乗せ、片方の手にはノートを持っている。住んでいる場所は(弊社の事務所が旧外堀近くのため)旧外堀。年はヒト年齢で40歳代とか。
 「ひこっつぁん」は、「ツイッター上で皆さんと会えるのを楽しみにしているガァ~」と話している。

2010年1月27日水曜日

河瀬中学・高校 共に県代表に 吹奏楽部「全国大会目指す」

 滋賀県立河瀬中学高校の吹奏楽部が、守山市内で開かれた県アンサンブルコンテストで、中高共に県代表に選ばれ、2月11日に京都である関西アンサンブルコンテストへの出場が決まった。
 同校吹奏楽部は中学62人、高校57人が所属。県大会へは中学が金管で、高校が打楽器で出場し、中学が5年連続、高校も2年連続の出場を果たした。中高共の出場は3回目。
 同校は平成15年に中高一貫校に。吹奏楽部は、中学生が高校生と一緒に練習できることや、前の高校を全国大会に4回出場させた礒田博先生(49)が5年前から顧問に就任していることから、常に上位を狙えるレベルになった。
 部長の小杉明日香さん(17)は「昨年は悔しい結果に終わった。今年は最低でも金賞を獲得し、全国大会に出場したい」と意気込んでいる。

路地を生かした街づくりを 安易な道路拡幅反対も、東大・西村幸夫教授

 江戸時代の旧家が残る彦根市芹橋2丁目のまちづくりの方向性を探るセミナーが24日、四番町ダイニングで開かれ、都市計画専門の東大教授・西村幸夫氏が「これからのまちづくりには路地を生かすことが大事」と訴えた。
 西村教授は「路地からのまちづくり」と題して講演。芹橋地区は道幅2・7㍍で車が通りにくいため、新しい住民が住まず、町の高齢化が進んでいる。西村教授は「狭い路地が本来、人間の体の寸法に合っている」とし、路地が生活に馴染んでいる例として、岡山の倉敷、神奈川の葉山などをスライドで紹介。また、東京・お台場にも横丁のような商店街ができ路地がクローズアップされていることをあげ、「歩く事、脱車社会へと、生活様式が見直されている」と話した。
 建築基準法が防災面から4㍍道路を義務付けている点については、路地でも防災面が考慮されれば、大阪・法善寺横町など火事後の再建で路地の維持を認められた例があると解説。「画一的な道路拡幅は生活感覚を削ぎ、人と人とを遠ざけてしまう」と解説した。

2010年1月22日金曜日

児童虐待 一時保護が急増、県彦根子ども家庭相談センター「満室状態」

 親からの虐待などで滋賀県彦根子ども家庭相談センター(小泉町)に一時保護される子どもが急増しており、平成21年度(今月14日時点)の入所数は、前年度総数の93件をすでに上回り、132件となっていることがわかった。17日には嘉田由紀子知事が同センターを視察した。
 132件のうち、虐待による保護は9割超の120件。同センターは湖東、東近江、湖北の各地区を管轄しており、命にかかわる虐待を受けたり、育てる自信がない親からの要請があった子どもを一時保護している。
 施設内には男女別に6畳間が2部屋ずつある。定員10人だが、子どもが非行や障害などの場合は一人が一部屋で過ごしており、ほぼ毎日満室状態だという。一人につき2週間から2カ月間、保護される。
 虐待者は「実母」が7割を占めている。母親などが子どもを虐待する原因の一つに、「核家族化により、相談する者がいなく、育児ストレスから虐待に走ってしまう」ことが考えられる。
 また、同センターの金澤秀樹次長は「子育て支援教室を受けてほしい保護者が受けていない」と話し、広報の仕方の改善も求めている。
 満室状態が続く同センターでは施設の拡充を要請している。嘉田知事は「一時保護が増えているということは、それだけ母親たちが子育てに悩んでいるということ。厳しい財政状況だが、(施設拡充の)優先順位は高い」と話した。

彦根城の屋形舟 松居直和さん撮影写真展、高宮駅で

 彦根城の内堀で運航している屋形舟を撮影した松居直和さん(50)=米原市=の写真展が、2月1日まで高宮駅コミュニティセンターで開かれている。
 作品は、桜が咲き誇る春、新緑の夏、紅葉の秋、雪が降り積もる冬―の中で、運航される屋形舟を撮影したカラー写真20点以上。一部は屋形舟の宣伝用チラシの表紙にも使われている。開館は午前8時半~午後5時半。入場無料。

昨年休止の鳥人間コンテスト開催へ 来年以降は「白紙」

 読売テレビ(本社・大阪市中央区)は18日、開催を休止していた「鳥人間コンテスト」を今年7月24、25日(予定)に開くと発表した。
 鳥人間コンテストは、昭和52年に「びっくり日本新記録」の企画の一つとして始まり、毎年夏の2日間、彦根市の松原水泳場で開かれていた。これまでに32回の開催実績がある。
 鳥人間コンテストの制作には、大がかりなセットや救助システム、タレント出演料などで、数億円かかるとされる。主催の読売テレビは財政難により、昨年の開催を中止し、その分の予算を今年の開催費用にまわすとしていた。
 昨年7月18日には彦根市の琵琶湖ビューホテルで説明会が開催。すでに書類審査を終え、3部門に40数チームが出場する予定。
 来年以降の開催について、読売テレビの大会事務局は「まったくの白紙状態で何とも言えない」としている。

2010年1月19日火曜日

2月の香港パレード前に やちにゃんが市役所訪問、ひこにゃんと彦根リキシャで記念撮影

 香港で旧正月を迎える2月14日に行われる「チャイニーズ・ニュー・イヤー・ナイトパレード」に、彦根の「やちにゃん」を含む関西のゆるキャラ「関西ゆるキャラオールスターズ」が出場することが決まった。19日には出発を前に、やちにゃんが彦根市役所を訪れ、ひこにゃんにあいさつをした。
 チャイニーズ・ニュー・イヤー・ナイトパレードは、世界中のパフォーマーが集結する年に一度のパレードで、今年で15回目を迎える。香港政府の観光局・日本オフィスが日本と香港の観光交流促進のために、「関西ゆるキャラオールスターズ」と、岩手の「盛岡さんさ踊り」を招いた。
 「関西ゆるキャラオールスターズ」は、やちにゃんのほか、奈良の平城遷都1300年祭のせんとくん、ひょうご観光大使のはばタン、京都タワーのたわわちゃんなど関西2府4県で活躍している14体。当日は、そのうちの12体が参加し「ゆるキャラ音頭」を踊りながら行進するほか、竹内洋行さん(38)らが開発した「彦根リキシャ」もゆるキャラを乗せて一緒にパレードする。ひこにゃんは「多忙」のため参加しない。
 19日に彦根市役所へ訪れたのは、やちにゃんと、関西ゆるキャラオールスターズ・チームリーダーの荒川深冊さん(39)、竹内さん。やちにゃんは、ひこにゃんと一緒に彦根リキシャに乗って記念撮影に応じていた。荒川さんは「滋賀、関西、そして日本のPRをしていきたい」と話していた。

「七曲り三軒茶屋」観光拠点として来春オープン、仏壇街の「技の駅」に

 彦根市内の「七曲り」通りにある井上仏壇店(井上昌一社長)=芹中町=は、店舗隣の旧民家を改装し「七曲り三軒茶屋」と名付けた。今春にもオープンし、七曲りの観光拠点として活用していく。
 七曲り通りは、市内の新町、芹中町、大橋町、元岡町、沼波町にかけた全長約1・5㌔の仏壇街。彦根城が整備された後の江戸時代初めに、中山道の高宮宿から彦根城下へ向かうために整備。江戸後期ごろからは、武具製造に携わっていた塗り師、指物師、錺金具師などの職人が集まり始め、現在の「仏壇街」になっている。
 県立大学の浜崎一志教授研究室の調査によると、通りには町屋形式の建物が74軒残っているとされ、歴史的、文化財的に価値のある建物が多くある。
 しかし、七曲り通りは人通りが少なく、観光客を目にすることもほとんどない。
 井上社長らは、観光客が七曲り通りに来てもらえるよう、その拠点作りを企画。空き家だった旧民家を買取り、上田道三が七曲り通りを描いた絵に記した「七曲り三軒茶屋跡」から「七曲り三軒茶屋」と命名した。
 「七曲り三軒茶屋」では、セミナーや講習会などサロン的な役割のほか、仏壇の技が体験できるような「技の駅」作りを計画している。井上社長は「観光客や市民の皆さんに七曲り通りを歩いてもらえるための一つの拠点にしていきたい」と意気込んでいる。

新聞とは何か―「使命感」と「忘己利他」の精神を抱きながら

 阪神・淡路大震災15年目に合わせて先週16日、フジテレビ系列で放送されたドラマ「神戸新聞の7日間」は、新聞とは何か、記者の役割とは何か―を改めて考えさせられた真に迫る作品だった。
 ドラマは、震災で本社ビルや新聞を製作するためのメインコンピューターが破壊された中で、新聞製作を続ける社員の奮闘と、悲惨な街で取材をする記者たちの葛藤をえがいていた。
 友人を亡くした写真記者、血まみれになりながら新聞製作に打ち込む整理記者、父親が亡くなったことを社説で紹介する論説委員、身内が行方不明になっている社員たち―。そのような状況でも黙々と新聞を作る生き様に、新聞記者または新聞作りに携わる者にとって、使命感がどれほど大切かを理解するのは容易であろう。
 小生は、労働とは、自分自身や家族のために働くというよりも、「忘己利他」の精神、つまり「他」の幸せや喜びのために働くことをいうと考える。特に新聞社で働く者にとっては、その精神が他業種よりも求められ、他の喜びが自身の喜びにも繋がるという情念を抱かなければならない。
 新聞業界は、テレビやインターネットに押され気味であるのは否めぬが、立法・行政・司法の「三権」を動かし、世論を形成させるのは元来、新聞の役割である。
 社会の急速な変化により、新聞社の多くが紙媒体とネットの両輪で展開しているが、新聞社に与えられた使命は不変である。要領だけを覚え、ねじが緩みがちな我々、新聞人にとって、「神戸新聞」の社員の勇姿は、自戒の念を抱かせたと共に、意気に感じさせられた。 (山田貴之)

幻の佐和山城天守がお目見え? 田中家石材3年かけ製作

 昨年来の戦国ブームで石田三成やその居城、佐和山城跡などの盛り上げ機運が高まる中、「幻の佐和山城」がこのほど高宮町に完成した。
 「田中家石材」(高宮町、田中寿信社長)が黒御影石や白御影石などを使って組み上げた。高さ約2・1㍍、土台が1・7㍍四方。天守の内部にライトを配し、日没後は窓から灯りが漏れるようになっている。
 同社は一昨年の彦根城築城400年祭に際して彦根城天守を製作しており、北村昌造・商議所会頭から佐和山城の製作を提案され着手。
 佐和山城の天守には三層説と五層説があるが、西明寺所蔵の絵馬「石田三成居城佐和山城之図」や龍潭寺(古沢町)所蔵の屏風絵にある五層天守をモデルにした。
 京都の建築デザイン学校の生徒らに図面起こしを依頼。合い間を縫っての作業のため3年以上かかってこのほど完成にこぎつけた。 今後の展示場所は未定で現在は同社に展示されている。田中社長は「佐和山城は、彦根城と対にして展示しています。一度ご覧ください」と話している。

ベトナムの子供へ贈る文房具の寄付を JA東びわこ受付

 JA東びわこ(本部・彦根市川瀬馬場町)は、ベトナムの子どもたちに贈る文房具の寄付を受け付けている。
 農業国のベトナムには経済的な理由で中学校へ進学できない子どもが多くいる。JA東びわこは平成13年から、国内で募った支援者(里親)がベトナムの子ども(里子)たちに奨学金を支給する「里親制度」を始めている。平成21年までに延べ175人が里親となり、ベトナムのソンナム、タイホア、テュイバン、アンニンに住む計350人の里子を支援。高校や大学へ進学できる子どもが増えたという。
 平成20年からは、より多くの子どもたちに支援の輪を広げるため、その年11月のJAふれあいフェスティバルで、ノートや鉛筆、消しゴムなど未使用の文房具を集め現地に届けた。
 今年も2月22日から6日間、里親の一部とJA職員が文房具を持って現地を訪れることになっている。生活福祉部の池尻良文課長は「少しでも多くの文房具を持参していきたい」と協力を求めている。
 問い合わせはJA東びわこ生活福祉部℡0749(28)7860へ。

2010年1月15日金曜日

医療再生で湖東・湖北圏域に25億円交付へ 彦根市立病院産科再開へ道筋

 厚生労働省は昨年末、県の医療再生計画に対し、50億円を交付すると内示した。湖東・湖北圏域にはその半分の25億円が交付される予定。県は平成25年度までに、圏域内の市町や医療機関などと連携しながら、医師不足で出産ができない彦根市立病院の産科の再開など、圏域内が抱える医療問題の改善を目指す。
 救急医療体制の構築や医師不足の解消など地方病院が抱える医療問題を改善させるため、厚労省は昨年6月、各都道府県に医療再生計画の策定を要請。
 滋賀県は東近江と、湖東・湖北の各圏域に25億円ずつの交付を受けるための計画を作成し11月4日に申請。厚労省は昨年12月18日、総額約2349億円の地域医療再生臨時特例交付金を内示した。
豊郷病院にリハビリ病床
彦根・長浜との連携強化も
 湖東・湖北圏域の整備内容は、▽脳血管疾患や頸部骨折などの患者の家庭復帰を目的とした「回復期リハビリテーション病床」がないため、市立長浜病院に回復期リハビリテーション病棟を、豊郷病院に同病棟30床を整備(5億3000万円)▽休日急病診療所や訪問看護ステーションなどを連携させるための施設「地域医療支援センター」を湖東・湖北にそれぞれ設置(6億1000万円)▽病院、診療所、訪問看護ステーション、薬局間の情報共有のための地域医療連携ネットワークを構築(2億3000万円)―することなど。
 交付金50億円の中には県の取り組みとして約14億7000万円も盛り込まれており、そのうち約7億円が医師確保対策。県は滋賀医科大学に協力を要請しながら、彦根市立病院の産科などの再開を目指す。
 また湖東・湖北圏域では、彦根市立病院と市立長浜病院による二次救急医療の連携強化、長浜日赤病院の三次救急体制の構築も要請する。
 県は今後、市町や医療機関、医師会などに「推進協議会」の設立を依頼。来年度から平成25年度まで順次協議が行われ、再生計画を実現していく。

「鉄砲サミットin彦根」のシンボルキャラ完成 「井伊の赤備え」イメージ、名前募集

 今年3月20、21日の両日、彦根城内で開かれる「全国古式砲術・鉄砲サミットin彦根」に合わせ、サミット実行委員会はこのほど、シンボルキャラクターを作成した。名前も募集している。
 サミット実行委では、サミットのシンボルキャラクター作りを企画。「しまさこにゃん」や「いしだみつにゃん」などを考案した、やまもとひまりさんにキャラの作成を依頼していた。誕生したキャラは、「井伊の赤備え」の鉄砲隊をイメージしており、赤色の具足を着、「井」の紋章が入った旗印を背に、鉄砲を構えている。着ぐるみは彦根総合高校の生徒が作製し3月までに仕上げる予定。
 命名の申し込みは、はがきかA4用紙に住所、氏名、電話番号、キャラクター名、命名の理由を記入し、彦根商工会議所内の全国古式砲術鉄砲サミットin彦根実行委員会まで郵送するか、ファクス0749(26)2730へ。彦根商議所のホームページからも可。今月22日消印有効。採用者には賞品贈呈。
全国の鉄砲隊が演武披露
 「全国古式砲術・鉄砲サミットin彦根」は、3月20、21日の両日、井伊直弼と開国150年祭のフィナーレを飾るイベントの一つとして開かれる。
 20日は彦根城博物館で、記念講演会とパネルディスカッション(午後4時~)。
 21日は大手前公園で、彦根商議所青年部古式砲術研究会(彦根鉄砲隊)など全国各地の鉄砲隊約20団体による演武、大物産展、甲冑変身体験などが行われる(午前9時半~午後3時半)。 なお、サミット実行委員会では当日のスタッフも募集している。問い合わせは実行委事務局℡0749(22)4551へ。

2010年1月13日水曜日

阪神・淡路大震災15年目の写真展、渡邊弘俊さん撮影

 17日に阪神・淡路大震災発生から15年を迎えることから、渡邊弘俊さん(72)=彦根市芹橋2=と、西村忠幸さん(61)=彦根市京町2=は15日から、夢京橋キャッスロードのキャッスルいと~で、震災直後の街を撮影した写真展を開く。
 渡邊さんは、19歳のころから神戸製鋼所で勤務。30歳の時に少林寺拳法の普及のため彦根へ来た1969年(昭和44年)までの11年間、神戸市内で過ごした。
 震災当時は、神戸市内に住む妹の家も全壊。無事を確認した後、翌18日から2月4日まで計5回現地を訪れ、支援物資を届けた。その際にはビルや家屋、阪神高速道路の倒壊した街をカメラに収めた。翌年と翌々年にも神戸を訪れ、復興の様子を撮影。震災直後と復興時を合わせて約300枚の写真を撮った。
 西村さんも若いころ神戸で勤務した経験があり、震災後10年が経った平成17年、渡邊さんに写真展を依頼し2人で10周年展を開いた。
 15年目の写真展では、渡邊さんが撮影した▽阪神淡路大震災で倒壊した阪神高速道路やビル・民家の写真と当時の新聞▽倒壊や焼失した場所とその復興の様子の写真▽パキスタン大地震(平成17年)の被災写真のほか、スマトラ沖大地震(同16年)と新潟県中越沖地震(同19年)後の新聞記事を展示している。写真はB4~A2判の約80点。開館は午前10時~午後5時、17日まで。入場無料。
 渡邉さんは「写真を見て頂いて、つい忘れがちな防災意識を高めてほしい」と話している。

滋賀大学空手部、寒さと風雨に耐え琵琶湖で寒稽古

 滋賀大学(馬場1)空手部は12日、松原水泳場で、恒例の寒稽古を行った。
 50年以上続けているという伝統行事で、今年は女子の部員2人とマネージャー2人を含む13人が参加した。
 部員たちは滋賀大学から約1㌔走って浜辺に到着し、見学に訪れたOBら約20人にあいさつをした後、準備運動。男子が上半身裸、女子がTシャツ姿になり、横一列に並んで、「エイッ、エイッ」と掛け声に合わせて突きをしながら約30㍍沖合まで進み、再び突きをしながら岸に戻った。
 この日は最高気温5・9度の寒さに加え、冷たい雨と強い風が吹く中だったが、部員たちは一人も欠けることなく2セット行った。主将で3回生の森駿也さん(21)は、「余裕でした」と強気の表情をみせながらも「(水が)刺すように痛かった」と話していた。

成人式、彦根は1330人 ひこにゃんも祝福

 彦根市の新成人のつどいが10日、ひこね市文化プラザで開かれ、948人(男498人、女450人)が出席した。来賓あいさつなどの場面で一部の新成人がヤジを飛ばしたりしていたが、大きな混乱はなかった。
 市の新成人は昨年12月1日時点で1330人(男706、女624人)。そのうち当日は71%が出席した。
 式典の一部では、新成人代表の木村安紀子さん(20)が、高校の恩師から教わったという詩を読みながら「はじめまして、ありがとう、がんばって、おめでとう、さようなら。私たちの心はこの一秒の言葉によって時には励まされ、勇気づけられ、涙する。そのひと時、出会いを大切にしたい」とあいさつした。
 2部の抽選会には、ひこにゃんもゲストで登場し、くじを引いていた。

須田慎一郎氏が米原市で講演 内需拡大への転換求める

 経済ジャーナリストの須田慎一郎氏が8日、エクシブ琵琶湖(米原市)で「地域経済の明日を読む」をテーマに講演し、経済政策の転換の必要性と内需拡大の方策を紹介した。
 須田氏は、1991年のバブル崩壊以降に訪れた2002年2月~07年11月の69カ月続いた「いざなみ景気」について、期間中の実質経済成長率が年平均2・1%だったことをあげ「実感なき景気拡大だった」と解説。その理由として、成長率のうち自動車や電機、機械など輸出関連業が61%だった一方、66年~70年の「いざなぎ景気」では8%、80年代の「バブル景気」では12%しか占めていなかったデータを示した。
 日本経済を機関車に例えた場合、先頭車両が輸出産業、後方車両が内需産業としたうえで「02年以降は先頭だけ外して、後方は置いたままだった」「内需を拡大してこそ、外需も拡大できる」と経済政策の転換を求めた。現政権の目玉政策の「子ども手当」と「農業個別補償制度」については、「川上(大企業)よりも川下(消費者)を重視した政策で評価できる」と持論を述べた。
 日本のGDP(国内総生産)に占める個人消費の割合が先進国の平均(6割程度)並みの57・7%だとする数値を紹介したうえで、「携帯電話やiPodなど消費のカテゴリーが広がっており、消費者が決まった所得のなかで何に価値観を求めているかを把握する必要がある」とアドバイス。不景気の中で業績を伸ばす衣料品販売店のユニクロやアーバンリサーチ社をあげ、「消費者ニーズをキャッチすることで勝ち組になる。マーケットの事はマーケットに聞く必要がある」と述べた。

2010年1月8日金曜日

彦根の古い街並みにひかれ旧水流町に移住 「Family~おかだ兄弟~」岡田健太郎さん

 「ひと目見て、ここだ!と思いました」。兄弟ユニット「Family~おかだ兄弟~」の長男・岡田健太郎さん(33)は昨年6月に、古民家が残る旧水流町(彦根市京町3丁目)に引っ越してきた。
 岡田さんは、米原市(旧山東町)出身。彦根東高時代から作詞・作曲活動を始め、卒業後は東京芸大に進学。同大卒業後、帰郷し、平成13年に二男の和宏さん(32)とユニットを結成した。2年後に再び上京し、作品がドラマの挿入歌に採用されるなど活躍した後、「地元の文化を守ることに貢献しよう」と思い、同20年秋に帰郷。今年5月に結婚を予定している佐々木友美さん(23)の通勤の都合で昨年6月から旧水流町に移り住んでいる。
 家は昭和初期ごろに建ったとされる4軒長屋の1軒。1階は前の持ち主によって改装されているが、格子窓や裸電球、ちゃぶ台などがあり、趣深い。外見と6畳2間の2階は建設当時のまま。「古い家に住みたい」との思いから市内の古い街並みを半年間探し回り、5月末に見学に訪れ、即決した。
音楽で皆さんと交流したい
 「古い家は、現在の材や建築法では出来ない良さがある」「また、ただ単に古いから良いというのではなく、その土地で長年培われてきた事に魅力がある」と話す。
 ユニット結成時は県外での活動が多かったが、次第に「滋賀県内の文化を守ることに貢献できないか」との思いが強くなり、「音楽活動を通じて、その地域の良さを滋賀県の人たちにアピールしていきたい」と意気込んでいる。
 家を探していた時や彦根に住み始めてから、高宮や芹橋地区、花しょうぶ通りなどの古い街並みのほか、市内の寺社仏閣も巡った。
 「彦根には魅力的な街並みが多く残っている。これからもそれぞれの地域で活躍している人たちと交流していきたい」と話している。

ひこにゃんへ年賀状6924枚、1万枚超えなるか

 ひこにゃんへの年賀状が7日までに、彦根城などに計6924枚届いた。最終的には初めて1万枚を超える可能性もある。
 ひこにゃんへの年賀状は築城400年祭が始まった翌年の平成20年から届き始め、その年は最終的に1672枚。同21年は1月4日時点で1283枚、最終的には8564枚だった。
 今年は4日時点で昨年よりも約3・6倍多くなっている。都道府県別では大阪が最多の972枚で、次いで滋賀614、兵庫468、京都413、東京353―などとなっている。彦根市内は123枚だった。
 年賀状では、ひこにゃんの顔型にしたものや、「ひこにゃんのお嫁さんになりたかった」と記しながら結婚を報告する便りもあった。彦根市は集計した後、「今年も元気いっぱいのひこにゃんが彦根城でお待ちしております」というメッセージを記し、1枚ずつ礼状を送る。

2010年1月3日日曜日

「靖国神社と戦後教育」 多賀大社・中野幸彦宮司×滋賀彦根新聞・押谷盛利会長

 滋賀彦根新聞は、多賀大社の中野幸彦宮司と本紙の押谷盛利会長との新春対談を行った。対談では、日本の伝統や文化が崩壊されている現代の世に警鐘を鳴らしながら、その解決策のヒントが取り上げられた。
多賀大社とは?
 押谷 この地に多賀大社が出来たいわれは
 中野 古事記の中で「伊邪那岐大神は淡海の多賀にまします」と記されています。地元の民話の中では、杉坂山(多賀)の尾根にそびえる三本杉に伊邪那岐大神がご降臨になり、栗栖の地に調宮神社を作り、その後、芹川を下って多賀の里を開き、冬になると調宮神社に戻るという話があります。古事記が出来たのは約1300年前の大和朝廷時代。こんな片田舎に伊邪那岐大神が祀られていることがなぜ大和朝廷に伝わったのか。この土地が信仰を集める場で、よほど文化度の高い地だったといえます
 押谷 近江は日本の国づくりの中では無視できない。鳥居本に原神社があるが、あそこは丁寧にお祭りをされ、村人がこぞってお参りしています。私たちの子どもの時分を思い出します
 中野 地域の人が信仰する中心が氏神。そこでの祭りが地域住民の絆になってきましたが、それがだんだん面倒だ、非科学的だといってやらなくなっています
 押谷 湖北に行くと、オコナイがあります。村人が一帯となって、お互い健康や発展を祈り合う。あれが日本の良いところです
 中野 日本人が存続するなら、そういったものを続けないとならない
 押谷 社会教育の原点があるように思います
 中野 私は、家では子どもや孫に、ご飯を食べる前や学校に行く前に神棚を拝むようにさせています
 押谷 子どもの時分から続けさせると、神様は大事にしなあかん、親を大事にしなあかん、仲良くしなければならないと自然にわかってくるものです
 中野 お互いの絆が深まり、年寄りの言うことを若い者が聞くという縦の関係がきっちりできます
 押谷 そういうことを考えると神社の役割は大きい
 中野 おろそかにできない事は多い。神社にお出で頂いた方には色んな形で、お話をし、お伝えしなければならないことは務めだと思っています
 押谷 整備されていて、年間の利用者も多くなったのでしょうね
 中野 一昨年に40年ぶりに社殿を整備、一新して皆さんに喜んで頂いています
靖国神社と戦後教育
 押谷 最近の日本を見て残念に思うのは、靖国神社の問題。靖国神社は国のために命を捧げた方の霊を祀っているが、最近の総理大臣は一部の外国から批判されるからか、参拝することに引け目を感じています。そういう事が国民にどんな影響を与えるか。日本の国体そのもの、伝統、歴史を否定したうえで政治をしているのが戦後強まっているようだ。それが現代の悪しき風潮や犯罪の根源にもなっていると思います
 中野 日本の国がGHQの占領政策から独立した昭和27年の時に、戻すべき事は元に戻さなければならなかった。だから、その当時の政治の責任は大きい。左翼思想が蔓延し、革新と保守の中で、憲法改正や教育など、もう一度戻しておかなければならなかった問題を戻さなかった。それを60年間やってきた政治の責任は免れない。またそれを国民が良しとしてきたこともあり、国全体の責任でもあると思います
 押谷 戦後政治は、社会主義政策を唱える革新(社会)党と自由民主党との馴れ合いできた。経済が発展すれば良いという考えに重点を置き、心の問題を置いてけぼりにした。1番困ったことは教育勅語を廃止し、道徳教育を無視したこと。それが日本の国民をおかしくした原因。
 中野 近江聖人の中江藤樹についての資料館(高島市)の見学から帰ってきて、滋賀県出身の子に中江藤樹を知っているかと聞いたら「知らん」と言った。私は唖然とした記憶があります
 押谷 中江藤樹は近江聖人で親孝行の鏡。教えないと分からないでしょう
 中野 意図的に一部思想の中で教えられなかったのが、そのまま良しとしてきた今日の結果がこういう事態を招いています
 押谷 左翼の連中にしてみれば、神社なんてなくなってしまえと思っているのだろうが、やはり国民の神社に対する憧れや尊敬の気持ちは、心の中に残っています
 中野 それは理屈ではない。毎日、皆さんをお迎えしていますが、1人1人思いがあって、鳥居をくぐられる。その思いを十分にかなえる事が我々の務めであり、職員にも強く言っています
 押谷 国民は、家を建てたり、七五三、結婚の時にも、神様にお祓いをしてもらう。理屈ではない
 中野 色んな事を自然にやっている事は、古事記に記載されている教えが今に生きているといえます。古代の方たちの考えが文章として残されたのは大変、貴重。それが生活の基盤になっています
 押谷 天照大神様が岩谷に隠れて、いったん世の中が真っ暗になったという話があるが、本当に分かりやすくて、ロマンチック
 中野 民主主義は戦後、米国からもたらされたと誤解している方が多いが、民主主義は日本の原点だという事が古事記を読めばわかります。天照大神様が岩谷に隠れられた時、ほかの神々は会議をして、そして意見を集約した上で宴をした。それが私は民主主義の原点で、今日の日本にも続いています
 押谷 古事記は非常に日本人の奥ゆかしさが出ています
 中野 日本は征服の思想ではない。非常に穏やかな考え方をしています
(続きは本紙紙面正月号で)

今年は夏に参院選と県知事選 民主追い風、自民厳しく

 今年は、参院選が7月25日に、県知事選が7月19日に行われる。両選挙とも日程が近いため、国会の日程次第では同日選の可能性もある。
 参院選には昨年までに、民主党の現職・林久美子氏(37)と、共産党県書記長の川内卓氏(54)が出馬を表明している。
 一方で、県選出の国会議員がいない自民党は候補者未定のまま。参院選では2004年と07年で連敗しており、昨年の衆院選でも全選挙区で敗れている。県連会長もごたごたの末、昨年末にようやく決定。党再生委員会で議論を始めた段階で、候補者選びが進んでいない。
 知事選には、これまでのところ正式な出馬表明はないが、現職の嘉田由紀子氏(60)が再選を目指し出馬を表明した場合、民主党や社民党が支援するとみられる。また県議会派が分裂している自民党からも嘉田氏を支持する勢力が出てくる公算が大きい。
 自民党内では、県出身の現職で女性の参院議員(全国比例)や県出身の放送局アナウンサーなどを推す動きがあるが、これまでのところ現実味はない。参院選と同様、候補者選びに苦慮している。
 昨年の衆院選での全敗以降、党基盤が崩壊した自民党に対し、民主党は衆参共に議席を獲得し盤石な体制を維持しており、今年の参院選と知事選でも支持する候補者が選挙戦を有利に展開するとみられる。
 自民党としては、現政権の「不祥事」など敵失による追い風を待つのみで、同党支持の候補者の苦戦は必至。
 今夏に行われる2つの選挙が、「熱い」戦いになることを期待し、決戦までの動向が注目される。

「戦国」座談会 佐和山城と肥田城の魅力など「彦根に60以上の城跡」、花しょうぶ通りの「戦國丸」で

 彦根の滞在型観光の方策を協議してきた「ひこね集客戦略懇話会」は昨年、井伊直弼と開国150年祭後のテーマを「戦国」にすると決めた。滋賀彦根新聞では、その中心となる「佐和山城」と「肥田城」について、それぞれの城に詳しい方々による座談会を、花しょうぶ通りの「戦國丸」で行った。
 出席者は、有限責任事業組合「ひこね『街の駅』」駅長・小杉共弘さん、崇徳寺(肥田町)住職・高瀬俊英さん、佐和山城研究会代表・田附清子さん、市教委文化財課・谷口徹さん(コーディネーター・山田貴之)。
 ―肥田城跡の魅力を教えてください
 高瀬 肥田城跡の魅力は一つも無いんですよ。というのも彦根城のような遺構がないので、特色をあげるのなら、平地に建った平城(ひらじろ)という事。彦根城よりも100年以上前の城で、石垣や城壁、瓦がない、いわゆる中世の城だった。
 谷口 城というか館の延長上といえる。そのため戦が多くなり、堀や土塁を築いていた。平城の一つの典型。
 高瀬 遺構は一つもないが、小字の一つ一つが歴史的な意味を持っている。江戸時代に入り彦根城以外の城が壊され、肥田城も慶安3年(1650)に取り壊されたという記録がある。その記録を見ると、堀を埋め、土塁を崩し、開墾して新田を作ったとされる。県教委が調査されたが、ほとんど何も残っていなかった。
 谷口 周辺の調査は終わったが、中心部分はしていないため、何か出てくる可能性はある。土塁と堀の跡も残っているので、本当は全体を文化財にしたい思いがある。
 高瀬 彦根かるたに「水攻めの歴史に残る肥田城跡」とあるように、現在の聖泉大学の北の方には六角氏が堤防を築いていた跡もあった。攻める内側から土盛りをしたと言われる。
 谷口 田んぼの下を発掘したところ、土を取った跡が見つかった。その面積を計算すると、高さ2㍍ぐらいの土塁があったとみられる。
 ―佐和山城の魅力は
 田附 私は佐和山のふもとの古沢町で生まれ育った。古図によると、私の実家は「餅木谷(もちのきだに)」と呼ばれる場所にあった。いわゆるそこは石田三成の屋敷があったと言われている場所で、そこで生まれ育ったことが何かの縁なのかはわからないが、子どもの時から家の裏には城があって、城主は三成だったと聞かされてきた。子どもの頃は普通に里山で遊ぶ感じだったが、その時に「何でこんな所が平地なのだろう」「何で山の斜面に溝が掘ってあるのだろう」と子どもながらに不思議に思っていた。でも大人になって、それが遺構であることを知り、佐和山城に興味を持ち始め調べてきた。城跡の概要図や古図をもとに山中を歩く中で、こんな所に石垣があるとか、草むらがかなり広い曲輪跡だったとかを見つけていった。
 小杉 2000年ごろだったと思うが、補助金を頂いて彦根の新しいもの見つけようという彦根市の新世紀補助事業があり、夏川記念館で「彦根再発見」をテーマに田附さんに講演をお願いした。三成について当時は悪者の描き方をされるのが多かった。だから佐和山や三成の事を取り上げる事は、地元でありながらも取り上げることはなかった。(三成のように)人気のない武将よりも、「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」とうたわれるように、島左近が優れた武将であったことがわかっていた。私は当時「彦根左近の会」を作っていたが、その時に花しょうぶ通り商店街では、よそと同じ事をしてもなかなか活性化は難しいという考えから、佐和山城に目をつけた。実際、活動してみて、全国的には彦根城も誇りだが、石田三成や佐和山城はそれに負けず劣らずの人気があり、知名度もあることがわかった。勝った者がすべて正しい、強いという世の中だったのが、今はネット社会により色んな情報が氾濫している。また勝ち組、負け組という世相も反映してか、負けた方にも色々と志があった、すばらしい人がいたということを再発見してもらえる世の中になった。(続きは本紙紙面・正月号で)

陰山英男さん「学力低下要因はテレビ」 琵琶湖塾で講演

 百マス計算で知られる立命館大学教授の陰山英男さんが昨年末、県立大学主催の琵琶湖塾で講演し、日本の子どもの学力低下に強い懸念を示した。
 陰山さんは、世界経済と同じく教育もグローバル化しており、米国の大学へ留学しているアジア人の1位がインドで、日本は4位に低迷しているデータを示しながら「10年前は1位だったが、年々減少しており、日本の若者は引きこもり状況にある。欧米でも活躍する日本人が見られなくなっている」と指摘。
 国際的に比較した日本の子どもの学力においても、得点や順位が年々下がっている数値をあげ「危機的な状況にある」と警告。イギリスやフランスのトップ校で公文式の問題集や陰山さん考案の百マス計算が取り入れられていることを紹介しながら、基礎学力の重要性を訴えた。
 また、睡眠時間4~9時間の国語・算数の平均得点を1時間ごとに見た場合、7~9時間の睡眠時に高得点だった表を示しながら「脳の働きは生活習慣によって、大きく変わる」と述べ、早寝と早起きの重要性を訴えると共に、脳への栄養として朝ごはんの大切さにもふれた。
 「早寝・早起き・朝ごはん」を崩している最大の要因には、テレビ(ビデオやゲームも含む)をあげ、検証データを紹介して「世界で最もテレビを見、宿題をしていないのが日本の子ども」「2時間以上見ると学力が下がる」と断言した。 来場者からの「家庭での学習法」についての質問には、漢字と基礎的な計算をあげ「短時間で集中してやることが学力のあがる特効薬だ」と持論を述べた。