大正時代にカナダのバンクーバーで結成された日系人たちの野球チーム「バンクーバー朝日軍」(※、以下朝日軍)に、彦根市開出今町の出身者が複数人いた。朝日軍の会長だった松宮外次郎の孫にあたる松宮哲さん(68)=開出今町=が朝日軍に関する情報を求めている(=結成時の写真は小林隆さん所有の本「Asahi:A LEGEND IN BASEBALL」より)。
哲さんによると、外次郎は24歳の時の明治28年(1895)に初めてカナダに渡って以降、帰国と渡航を繰り返し、3回目に渡航した明治38年の時にバンクーバーのパウエル街で食料品を扱う松宮商店を開業。その後、和洋雑貨や運送なども手がけ、バンクーバー市商業組合会頭も務めたという。
そんな際に野球チーム設立の機運が高まり、開出今出身の宮崎伊八の提唱で大正4年(1915)に朝日軍が結成されて現地の白人リーグに加入。結成当時のメンバーには、北川初太郎、堀居由太郎、北川英三郎(以上3兄弟)、松宮惣太郎、西崎与惣松ら開出今出身者がおり、在留邦人でも英雄視されていた。特に3兄弟はチームの大黒柱的な存在で、長男の初太郎は投手として山なりのカーブで観衆を沸かせ、次男の由太郎は捕手で強肩、三男・英三郎は俊足と華麗な守備の中堅手だった。
初代監督には設立した宮崎伊八のおじにあたる松二郎が就いたとされるが、哲さんが伊八の長女に確認したところ「父親は伊八と呼ばれるのをすごく嫌がっていて、(おじの名の)松二郎や松ぁんなどと名乗っていたため、初代監督は伊八だ」と話していたという。
朝日軍は太平洋戦争が勃発する昭和16年までの約25年間、現地で白人たちのチームと対戦し続け、在留邦人を楽しませたほか、その後の日加親善にも貢献した。平成15年にはカナダ野球殿堂入りを果たしており、時銘板には74人が刻まれている。そのうち創設時のメンバーは前記の開出今出身者の5人のほか、古本忠義、的場仁市、ケン鈴木、児玉基治がおり、的場は湖北出身だという。
哲さんは「創設時の9人や朝日軍に関する情報なら何でもよいので知りたい」と話している。問い合わせは哲さん☎090(9878)4193。
バンクーバー朝日軍をえがいた映画「バンクーバーの朝日」が昨年12月20日から全国公開されており、ビバシティシネマでも上映されている。石井裕也監督。出演は妻夫木聡さん、亀梨和也さん、宮崎あおいさん、佐藤浩市さんら。
※【バンクーバー朝日軍】日系2世を中心に設立されたアマチュアの野球チーム。堅い守備と盗塁、バントなどスモールベースボールを駆使して地元のリーグで何度も優勝した。北米に遠征した「東京ジャイアンツ」(現読売ジャイアンツ)ともバンクーバーで試合をした。チーム名は朝日野球団、朝日野球クラブなどとする記録もあり、正式名は不明。
(参考文献=バンクーバー朝日物語(岩波書店・後藤紀夫著)、開出今物語)