慶長19年(1614)の大坂冬の陣の翌年に起こった夏の陣は徳川方と豊臣方の最終決戦として知られ、今年で400年になる。徳川方の井伊直孝率いる部隊は5月6日、若江(現在の東大阪市)で豊臣方の木村重成・長宗我部盛親軍と戦い、木村を討ち取った(若江合戦)。翌日の戦闘で大坂城は落城し、陣後に直孝は5万石の加増を受けた。
テーマ展では夏の陣で活躍した彦根藩士たちの記録など20点を紹介。自身の武功を証明するため家老らに宛てた彦根藩士・大鳥居彦三郎の起請文では、若江合戦で討ち取った敵の武将・牟礼(むれ)孫兵衛の首を彦根藩士の日下部善太らに奪われたと主張している。若江合戦で井伊家の部隊が敵陣に突撃している様子を描いた若江合戦図=写真はその一部=では、先陣を切る八田金十郎や大鳥居の姿などが見られる。八田の脇指は若江合戦で敵陣に一番槍を入れて敵の武将・山口左馬助らを討ち取った際に所持していたという。
彦根城博物館は6月1日~県指定有形文化財の指定を記念し、彦根藩井伊家伝来の甲冑を展示する。
同館は江戸時代の井伊家当主の初代から十四代までのうち、五代・直通(みち)=岡崎市美術博物館蔵=と十四代・直憲=滋賀県護国神社蔵=を除く当主の甲冑18領と、当主の子息の甲冑7領を所蔵。いずれも朱色で統一され、上質の漆や織物、飾り金具で作られた甲冑は「井伊の赤備え」として知られ、泰平の世になってからもその形式が踏襲された。
25領のうち11領を展示。そのうち初代・直政の甲冑は関ヶ原合戦時に着用したとされ、当主所用のかぶとに見られる大天衝の脇立てがなく、鉄板の表面を漆で滑らかに仕上げた胴が特徴。いずれの鉄板も厚く、重量は歴代随一の27㌔を誇る一方、腕を動かしやすい構造になっており、実戦向きの甲冑だといえる。
八代・直定の甲冑はかぶとに大天衝と正面にしょうぶの葉を象った前立てが特徴で、直政や二代・直孝のと比べると、機能性より装飾性に重きが置かれており、泰平の世に製作されたことがわかる。二代・直孝の長男・直滋(なおしげ)に初めて提供された子どもの甲冑はかぶとに銀箔が貼られている。ほかに采配や軍配など10点と井伊家歴代の甲冑などの仕様や細工をまとめた目録も展示する。開館は午前8時半~午後5時、7月7日まで。ギャラリートークは6月6日午前11時半~と午後2時半~。
昨年10月1日から休館していた彦根城博物館は6月1日に再オープンする。館内の空調設備などの改修のため、約8カ月間、休館していた。同館によると、昭和62年2月11日に開館して以降、これまでは害虫を駆除するくん蒸で約10日間休館することはあったが、今回が最長の休館だった。改修費は2億2000万円。