静岡県浜松市の龍潭寺の武藤全裕・前住職と浜松歴女探検隊の武藤美知江さんが14日、「井伊直虎・直政」をテーマに彦根城博物館の能舞台で講演。博物館友の会の会員ら計116人を前に、直虎=男説や直政の武功などを取り上げた。
講演会の前半では武藤美知江さんがNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でこれまでに取り上げられた内容を紹介した上で「直虎は滅亡寸前の井伊家を救うために城主となった女性であり、いわば倒産寸前の会社を救った女性社長だと言える」と解説。
直虎が出家して学んだ龍潭寺については、直虎と父・直盛の戒名から龍潭寺と命名された経緯を紹介しながら「当時のお寺は今の大学院のような場所で、建築・土木、栽培学など最先端の学びの場だった。直虎はそこで領主としての素養を身につけることができた」と説明。
直虎が城主となったころの井伊家の状況としては、桶狭間の戦いで多くの戦死者を出したことから「人なし、金なし、物なし」の三重苦だったとし「直虎は領地の経営、財政再建、次期当主の育成に尽力した」と語った。
昨年末から今年にかけて一部で「直虎=男説」が唱えられたことについては「女説の史料も男説の史料も(言い伝えを写した)二次史料であり、歴史の醍醐味(だいごみ)。新しい史料の発見は議論が深まるので面白い。ただ井伊家に女城主がいたのは事実であり、浜松では直虎=女説を四半世紀の間やってきたのでこれで良し」と話し、会場の笑いを誘った。
後半では武藤・前住職が虎松(直政の幼名)が15歳の時の天正3年(1575)に徳川家康に仕えたころを取り上げ、「家康は虎松の父・直親が徳川家とのつながりの疑いで今川家に殺され、その子が虎松だったことを知った時は驚き、必ず立派に育てようと思ったのではないか」との持論を展開。その後の直政の武功を紹介した上で「井伊家はちょう落の時期があったものの、浜松で600年間、そして彦根で400年間続いてきた。井伊家の再興こそが直虎の最大の夢であり、良かった」と締めくくった。