今月11日で東日本大震災から1年半となる。滋賀彦根新聞は、被災地・宮城県気仙沼市本吉町に住み込んで支援活動をしている彦根市本町の正村圭史郎さん(44)に、「今、我々が被災地にできることは何か」などを聞いた。 (聞き手・山田貴之)
―私たちは大なり小なり被災地を支援したい思いがあるが、今 被災地には何が必要で、私たちに何ができるでしょう
正村 正直なところ「することはない」というのが答えです。もし3カ月間、住み込んで活動をするなら別ですが、数日来て炊き出しや支援物資を配ったとしても、支援を受けた方は喜びますが、ほかの地域からのねたみを買うだけです。仲介役は現地のボランティアが務めるわけですが、ボランティアは日々の活動で精一杯です。
―この思いはどこにぶつけたら良いのでしょう
正村 (マグニチュード9級の)「南海トラフ」による巨大地震に備えることです。被害が大きくなるであろう地域との関係・ネットワークをつくったり、地元市民の防災意識を高めるための活動につなげれば良いと思います。
どうしても被災地へ支援のために行きたいのなら、「観光ボランティア」をすすめます。支援活動に向かうための交通費は数万円かかりますが、そのお金は被災地には落ちません。それなら、被災地を回って、宿泊して、飲食して、お土産を買えば、多くのお金が被災地に落ちます。
また、これまでの災害と違うのはインターネットを被災者を含め多くの人が利用していることです。だからネット通販で被災地の魚や野菜などを購入するのも一つです。
―正村さんはあと2、3年は東北に住むとのことですが、被災地の方々との関係を構築する中で心がけていることは
正村 例えば、学生たちが被災地へ来て子どもたちと遊んであげるとします。子どもはその時は楽しいかもしれませんが、学生たちが帰ると悲しみます。明るいことの次には必ず暗いことがあるのです。明るいことをするのなら、それを続ける必要があります。
世間では頻繁に「絆」という言葉を耳にしますが、そう簡単に絆はできません。私は「寄り添い」という言葉が正しいと思います。被災者を支援するというよりも、持ちつ持たれつの関係を心がけています。そうしないと長続きはしません。
―被災地で今後はどのような活動を
正村 情報を記録して残していきます。例えば、気仙沼市でも被災していない地域があるため、そこに住む市民が震災当時、何をしたか、どのような思いだったのかなどをまとめたい。
私のこれまでの20年間の災害ボランティアの経験は、東日本大震災の被災地で生かすためだったと思っています。そして今回のこの経験は、次に必ず来る南海トラフの巨大地震にも生かすことができるはずです。
ボランティア論を解説
正村さん(44)は大学サテライトプラザ彦根で講演も行い、被災地の現状や必要なボランティアなどについて話した。
正村さんは被災地の現状について、国や自治体が提供する賃貸住宅(いわゆる見なし仮設住宅)に避難所から移った家庭が「支援物資が来ずに、避難所以上に手が届かない状態になっている」と報告。
ボランティア活動の実態については「ボランティアは加盟する各団体を維持するために、助成金を受けながら海岸清掃やがれきの撤去をしている」「(震災から2年目の)来年3月までには多くのボランティア団体が撤退し、その数は減るだろう」と指摘した上で、「ボランティアの手は必要だが、これからはある程度の経験がある人間にしかできない」「私はあと2、3年は向こう(被災地)にいるだろう」と話した。
被災地での生活の様子にもふれ、洗濯や風呂の大半は近くの川を使っていることや、冬を含めてテント生活をしていることを紹介。「ボランティアは必要な時だけではなく、災害現場に入れば24時間、活動する思いでいないといけない」と述べた。
【正村圭史郎】災害OUT・SIDE代表。1991年、九州地方を旅行中に雲仙普賢岳が噴火。その時に、避難所や仮設住宅の慰問、物資の仕分けなどボランティア活動にあたったのを機に、以降、全国各地で災害が発生した時には現地で支援活動をしている。これまでに95年の阪神・淡路大震災、97年の日本海重油流出事故、2000年の北海道有珠山噴火、04年の福井および新居浜水害と高松高潮などで活躍。昨年3月11日の東日本大震災以降は気仙沼市本吉町でテント暮らしをしながら、冊子「すきまかぜ」を作って仮設住宅に届ける活動をしている。