ドラマは、震災で本社ビルや新聞を製作するためのメインコンピューターが破壊された中で、新聞製作を続ける社員の奮闘と、悲惨な街で取材をする記者たちの葛藤をえがいていた。
友人を亡くした写真記者、血まみれになりながら新聞製作に打ち込む整理記者、父親が亡くなったことを社説で紹介する論説委員、身内が行方不明になっている社員たち―。そのような状況でも黙々と新聞を作る生き様に、新聞記者または新聞作りに携わる者にとって、使命感がどれほど大切かを理解するのは容易であろう。
小生は、労働とは、自分自身や家族のために働くというよりも、「忘己利他」の精神、つまり「他」の幸せや喜びのために働くことをいうと考える。特に新聞社で働く者にとっては、その精神が他業種よりも求められ、他の喜びが自身の喜びにも繋がるという情念を抱かなければならない。
新聞業界は、テレビやインターネットに押され気味であるのは否めぬが、立法・行政・司法の「三権」を動かし、世論を形成させるのは元来、新聞の役割である。
社会の急速な変化により、新聞社の多くが紙媒体とネットの両輪で展開しているが、新聞社に与えられた使命は不変である。要領だけを覚え、ねじが緩みがちな我々、新聞人にとって、「神戸新聞」の社員の勇姿は、自戒の念を抱かせたと共に、意気に感じさせられた。 (山田貴之)
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