2009年6月30日火曜日

「被爆桜」の苗木が若葉小に 広島の学校から寄贈

 昭和20年に原爆が投下された広島で焼失せずに残った「被爆桜」の苗木が、育てられてきた安田女子中学高等学校(広島市)から彦根市立若葉小学校に贈られた。1日に同小6年の授業で披露される。
 安田女子は被爆時、校舎が壊滅状態となり、爆心地から2・1㌔離れた場所の兵舎跡に学校が再建された。同校によると、そこには桜の木が残っていて、樹齢70年を超えるいまでも、毎年きれいな花を咲かせているという。同校生徒会は、被爆桜の2世を育てる取り組みをし、今年3月に20本の苗木を育てることに成功。山形県から熊本県まで全国12校に1本ずつ贈った。
 若葉小は、校内で樹木を育てたり、どんぐりを発芽させて荒神山に植えたり、環境保全の活動を熱心に取り組んでいる。同小では安田女子が全国に桜の木を贈呈したことを知り、「送ってほしい」と要請。4月30日に同小に届き、鉢に入れ校庭に置いていた。県内では同小のみ。
 被爆桜の苗木は高さ約140㌢。若葉小では、この被爆桜の苗木を「平和教材」として活用し、葉が落ちた10月ごろに校内に植える。山田孝教頭は「今後は児童たちが育て、3世作りをしていきたい」と話している。
 1日は被爆桜について同小教諭がまとめた教材を使い、6年2組の児童に、道徳の授業の一環として、「平和」の大切さを教える。

カロム大会に570人

 カロム日本選手権大会(日本カロム協会主催、滋賀彦根新聞など協賛)が28日、彦根市民体育センターで開かれ、県内外の5歳から89歳まで570人(延べ)が参加した。大会はシングルスとダブルス各4クラスで行われ、白熱した戦いが繰り広げられた。

農業とふれあい、子どもたちがどろんこ遊び

 農と自然の体験イベントが28日、薩摩町の水土里(みどり)ふれあい農園で開かれ、子どもたちがどろんこスポーツなどで楽しんでいた。
 子どもたちに農業を身近に感じてもらおうと、JA東びわこなどで組織の農業体験活動実行委員会主催。今年5月24日には田植え体験やニゴロブナの稚魚の放流が行われた。イベントには、60組の親子など185人が参加し、田んぼの草取り、ニゴロブナの稚魚の引っ越しをした後、どろんこスポーツを体験。約700平方㍍の田んぼの中に入り、障害物競走や親子二人三脚をし、子どもたちはどろんこになりながら、一生懸命、走り回っていた。

彦根仏壇の歴史と展望、永楽屋・宮川孝昭社長が語る

 彦根の近現代を切り開いた地場産業をテーマにした滋賀大主催の特別講義が行われ、「永楽屋」(芹中町)の宮川孝昭社長が彦根仏壇について講演。江戸期に誕生してからの変遷や、今後の展望を話した。
 彦根仏壇街は江戸時代から「七曲がり」と呼ばれ、道沿いには蒔絵師、木地師、金箔押師など「七職」と総称される仏壇職人が軒を連ねていた。それぞれが家族間で分業する問屋制家内工業で、同社も元々は金箔押師だったという。
 彦根仏壇は、七職の製作技術が結集して一つの仏壇を仕上げ、製造卸を担う同社などが北海道から九州まで各地の小売店などに販売している。宮川社長は彦根仏壇がこれまで発展してきた背景について▽組合が明治期、各地に先駆けて顧客本位の「品質保証制度」を導入した▽問屋制家内工業が各職人家庭で機能していた―ことを紹介。その結果、業界は徐々に伸張し、昭和50年に通産大臣から「伝統的工芸品産地指定」を受けたころは空前の好況だったという。
 一方で、近年の住宅の構造やライフスタイルの変化で、将来の仏壇の有り方にも布石を打っていると展開。販促面を工夫し全国各地の顧客からのあらゆるニーズや情報を集めて把握し、この「お客様の声」が、新作仏壇の製作や新たな事業展開に挑戦する元になっているとした。
 手掛ける商品作りについて「気持ちは商品に表れ、お客様に伝わる。だから私は発注先の職人さんを大事にする一方で、厳しく指摘もする」とした上で、「お客様の声に応え、気持ちを込めて作りあげることが大事」と語った。

2009年6月26日金曜日

ゆるキャラ切手第2弾 7月1日発売

 ひこにゃんなどのゆるキャラが描かれたオリジナルフレーム切手の第2弾が、彦根市内の郵便局で7月1日から発売される。5日午前11時~は四番町スクエアで、キャラクターたちへの贈呈式が開かれる。
 昨年9月に第1弾が3000枚限定で発売されたが、数時間で売り切れた。第2弾は、ひこにゃん、いしだみつにゃん、しまさこにゃん、かもんちゃん、おおたににゃんぶ、やちにゃんが描かれているほか、彦根りんごや彦根梨、はなしょうぶ、小泉紅かぶら、オニバス、橘、柳など彦根の名産のイラストも。FMひこねのやまもとひまりさんがデザイン。
 価格は80円切手10枚で1200円。市内郵便局20局(簡易除く)で計2万枚の販売だが、1人10枚まで。予約や通販は受け付けていない。

太陽光発電の時代に 国が補助制度、滋賀県も導入へ

 6月は環境月間―。政府は、温室効果ガスを2020年までに05年比15%削減するとの中期目標を示し、その実現に向けた最重要施策の一つに一般住宅用の太陽光発電システムの普及・拡大をあげている。
 滋賀県も、太陽光発電の一般住宅への設置を促進させるため、新たな補助制度の導入を決定。県内の自治体では、大津、草津、長浜、野洲の各市と愛荘町が今年度、補助制度を設けた。一方で、「低炭素社会構築都市宣言」をした彦根市は「補助制度を設ける予定はない」としている。
 国は太陽光発電を設置する個人を対象に、最大出力1㌔㍗あたり7万円を補助。また国指定の補助事業者で、国内での住宅用太陽光発電の普及に努めている「太陽光発電普及拡大センター(J―PEC)」によると、今年1月から6月半ばまでの申請受諾件数は全国で3万6484件、県内では559件だった。滋賀県は太陽光発電の設置数を住宅数で割った割合が2・47%と近畿トップだという。
 県は平成17年から同19年までにも補助制度を設けたが、その内容が電力会社に提供した電力量に対して補助金を支給する複雑な仕組みだった。しかし、今回は一般住宅に個人が太陽光発電を設置すれば、10万円を上限に出力1㌔㍗に対して3万円を支給する予定。県は関連議案の補正予算案(6680万円)を県議会に提案しており、可決されれば9月ごろにも申請を受け付ける。約半年間で600件前後の申請受理を見込む。
 県内の5市町も、支援内容はさまざまだが、太陽光発電を設置した一般住宅の個人にすでに補助金を支給している。今月1日から開始したばかりの愛荘町では、24日時点で7件を受理したという。
 一般住宅用の太陽光発電は発電量3~4㌔㍗が標準。仮に3・5㌔㍗の太陽光発電を屋根に設置した場合、国、県などからの補助金は34万5千円に上ることになる。メーカーなどによると、一般的な価格は210万円~300万円(工事費含む)とのことだが、補助制度により、購入者の負担が大幅に軽減されるため、設置の機運に弾みがつきそうだ。
 メーカーでは、今年度の一般住宅用の太陽光発電の設置件数について、昨年度の約5万5100件から、2倍弱の約10万件に拡大するとの見方もある。

官僚体制の打破訴える 民主・原口氏が長浜で

 民主党の「次の内閣」総務大臣の原口一博衆院議員を招いた政策フォーラムが25日、長浜市内で開かれた。テレビのバラエティ番組でお馴染みとあって、約600人が訪れ、会場は立ち見も出ていた。
 フォーラムは、年金や医療、国直轄事業負担金などの問題について、原口議員と滋賀2区選出の田島一成衆院議員とが討論する形式で行われた。
 国直轄事業の滋賀県の負担金が平成20年度で93億円にのぼることを紹介した上で、原口議員は「負担金の2割は天下り団体に使われている」「(自民党は)道路を持ってきたというが、実は負担を持ってきただけ」と切り捨てた。
 田島議員は「自治体は財政が厳しいのに、国から請求書が来る。維持管理費は道路が県の3倍、河川は10数倍」と語り、原口議員も「地域でやれることは地域でやり、税金を奪っている者に奪うなと言うべきだ」と訴えた。
 田島議員は、佐藤勉総務大臣が内閣府特命大臣として沖縄・北方領土対策、地方分権改革、防災などを担当し、国家公安委員長も兼務している実態を取り上げ、「誰が(大臣の仕事を)やっているのか。官僚だ」「大臣は役人の原稿を読むだけ。役人のやりたい放題だ」と非難した。

2009年6月23日火曜日

近江絹糸「人権争議」 元彦根支部長の朝倉克己さんに聞く

 昭和29年に近江絹糸(オーミケンシ)で起こった「人権争議」の際、元県議の朝倉克己さん(74)=城町2=は、近江絹糸労働組合彦根支部長を務め、彦根工場の組合員を先導した。その10年後には三島由紀夫が小説化しており、彦根にも取材に訪れている。朝倉さんに当時の争議前後の様子や三島との思い出を聞いた(以下敬称略、聞き手・山田貴之)。

 近江絹糸社長の夏川嘉久次は、労働者を「子」と思い、労働者は社長の事を「父」と思っているという昔ながらの家父長制度の考えに基づき経営をしていた。夏川について、朝倉は「生産アップを第一に考え、労働者を道具のように扱っていた。軍隊的な経営だった」と振り返る。
 労使対決は昭和22年、24年、28年にもあったが、いずれも決裂。しかし昭和29年6月2日、大阪本社に「全繊同盟」の労組ができ、ストに入ったとの情報が入る。当時19歳だった朝倉らは7日午前2時に彦根でのスト決起を決意。前日、朝倉は工場の外から大阪の労組事務所に一報を入れたが、大阪で電話に出ていたのは経営陣側の社員だった。工場へ戻ると、経営陣側につかまり、隔離された。
 朝倉は7日午前1時半ごろ、トイレに付き添った経営者側の社員に「もうすぐ社会が変わる」と話し、午前2時に工場の電気が消え、機械が止まると、社員を振り切り仲間の元に向かい、労組結成を宣言したという。戦いはほかの工場に波及し、9月16日まで106日間にも及んだ。
 人権争議では、労使とも飛行機を飛ばして東京や大阪、名古屋などの上空からビラをまくなど「出動しなかったのは戦車ぐらい」の激しい戦いだった。経営者側は全国から暴力団を集め、彦根工場にも多くの暴力団員が押しかけ、鉄パイプで大けがをする労働者もいたという。しかし、全国で支援する募金活動や世論の味方により戦い抜くことができ、「仏教を強制しない」「教育や結婚の自由を尊重する」などの要求を経営陣は受け入れた。

「三島さんは聡明で礼儀正しい」
 三島が彦根を訪れたのは、人権争議から10年後の昭和39年。その年の9月2日夜、朝倉は玄宮園内にある料亭・八景亭で、「絹と明察」の出版元・講談社からの要請で朝倉を紹介した天晨堂の細江敏と3人で食事をした。酒をくみ返すうち、三島は10年ごとに力を入れた作品を書くことにしていると話し「20代終わりが『金閣寺』で、30代の終わりがこの人権争議の作品(絹と明察)になるだろう」「50歳になったら藤原定家を書いて、筆を下ろそうと思っている」と明かしたという。しかし、三島は45歳で自決している。酒の席では、色紙にサインもお願いし、朝倉は好きだった言葉「人生意気に感ず」も書いてもらった。朝倉は翌日、三島を近江絹糸彦根工場や夏川社長宅を案内した。
 朝倉は「聡明という言葉は三島のためにある言葉だと思う。年下の私にも見下すことなく、礼儀正しい人だった」と話す。三島からは、取材の礼状や年賀状が届き、朝倉はいまも大切に保管している。
 激しい労使対決を経験した朝倉だが、経営者が労働者を軽視する状況については「当時と現代を比べて、派遣社員への対応など、労働環境はちっとも変わっていない。むしろ、もっと悪質になっている」「労働者も骨抜きにされて、抵抗力が無くなっている。旧式の経営のままではまずい」と話した。

「夏川社長は優しい人」
近江絹糸の元従業員が反論
 滋賀彦根新聞の17日付けの近江絹糸・人権争議の記事に関して、元従業員の男性から夏川社長を擁護する意見を頂いた。
 この男性は、夏川社長が昭和13年に創設した近江実修工業学校(後の近江高校)に入学。働きながら学ぶことができる学校だったため「1週間学んでは、1週間仕事をするという形式で、我々、金の無かった者には良かった」「夏川社長は非常に優しい方だった」と賞賛した。
 また講演の内容をまとめた17日の記事中、地方から中卒の子どもを寮に入れて働かせていたと書かれていたことにもふれ、「食事もタダで食べさせてくれて、小遣いもくれた」「いまの時代ならどうかと思うが、当時の貧しい時代ならホームレスになっていた人も多くいただろうし、助かった人も多くいたはずだ」と話した。
 人権争議については、戦後、共産党員や活動家が就職してきたことから、この男性も夏川社長を排除する空気や労組結成の動きを事前に察知。しかし、不満がなかったため、加わらなかったという。

聖泉大女子ホッケー部 全国大会出場へ25日初戦

 聖泉大学女子ホッケー部が、25日開幕の全日本ホッケー王座決定戦に関西地区代表として出場する。全国大会への出場は昨年4月の結成以来、2回目。
 同部は結成2年目のため、部員が1、2年生の19人だが、今春に行われた関西1部リーグ予選を3勝1分けの1位で通過し、王座決定戦の出場権を獲得した。
 昨年8月に同部監督に就任し元全日本選手でアテネオリンピックの代表だった宮崎奈美さん(33)=米原市=は、同部について「中盤が強くて攻守ともに要の選手がいる。そこの頑張りでリズムがつかめれば、いい戦いができるのでは」と話す。
 全国大会出場は昨年秋の全日本学生選手権大会に続いて2回目。キャプテンの小林真弓さん(20)=2回生=は「初めての王座決定戦だが、昨年の全国大会の経験を生かして悔いのない試合ができれば」と意気込んでいる。
 王座決定戦は25日から28日まで岐阜県グリーンスタジアムで行われ、全国12チームが出場。聖泉大は25日に関東3位の早稲田大と初戦。

2009年6月19日金曜日

彦根市の2人目の副市長、総務省の藤井比早之さん

 彦根市は7月1日付けで、新たな副市長に総務省職員の藤井比早之氏(37)を迎える。藤井氏は会見で「彦根に来ることが出来て光栄。身の引き締まる思い」と述べた。
 市は、愛荘・犬上の4町との定住自立圏構想や歴史まちづくり法など、国との連携を強化するため、国の「頑張る地方応援プログラム」を活用し、総務省に職員派遣を要請していた。藤井氏は国絡みの事業を担当する予定で、市と国とのパイプ役を務める。
 藤井氏は、彦根の印象について「歴史と伝統、文化のある街で、さまざまな資源があり、可能性を感じる」と話した。岐阜県に出向していた際に、彦根城や玄宮園に訪問したこともあるという。副市長の就任については「赴任させて頂くことは光栄で、重責を感じる。身の引き締まる思いだ」と抱負を述べた。
 彦根の条例では副市長の任期は4年だが、藤井氏の場合は総務省からの派遣のため、任期は原則2年。なお副市長の2人制は、助役制度の時代を含めて彦根で初。
 ※藤井比早之氏=兵庫県西脇市出身。東京大学法学部卒業後、平成7年に自治省(現総務省)に入省。大臣官房総務課主査、岐阜県農林商工部課長兼交流産業室長、内閣官房郵政民営化準備室参事官補佐などを歴任。現在は内閣府参事官補佐などを務める。

世界遺産登録へ 「地域住民の協力必要」

 世界遺産に登録されている石見銀山の関係者を招いての「彦根世界遺産シンポジウム」がこのほど、夏川記念館で開かれ、登録までの経緯が説明された。
 招かれたのは、民間の立場から活動をしてきた石見銀山協働会議世話人の波多野諭さん。波多野さんは、▽石見銀山が平成13年に暫定登録(彦根城は同4年)されてから、わずか6年後に世界遺産登録されたこと▽暫定登録から4年後に地域の老若男女約150人と行政約50人で協働会議が設置され、「守る」「伝える」「活かす」「招く」の分科会に分かれて短期間で行動計画をまとめたことを―紹介。
 「いかに地域(住民)が関わるかが重要」「最初は行政を信用していなかったが、一緒に行動計画を作ったことにより信用できるようにもなった」と述べた。
 一方で、彦根と石見地区の違いについて、石見地区は過疎地化していて地域の利害関係が少なかったが、彦根は城下町にも生活者が多いため「意見の調整は大変ではないか」との見方も示した。

2009年6月16日火曜日

近江絹糸での労使対立の歴史、滋賀大学でシンポジウム

 富岡製糸場から彦根製糸場、近江絹糸(オーミケンシ)への歴史を紹介したシンポジウムが13日、滋賀大学で開かれた。近江絹糸での人権争議と、それを題材に三島由紀夫が小説化した背景を専門家が推察した。
 シンポジウムではまず、富岡製糸場総合研究センターの今井幹夫さんが、明治3年(1870)に政府による2番目の官営工場として同製糸場が設立され、同5年から創業が開始。昭和62年まで生産し、現在まで創業当時のままの姿で残っており、一昨年に世界遺産の暫定リストに登録された経緯を説明。彦根からは全国最多の732人(延べ)の子女が同工場に送られた歴史も紹介した。
 その後、滋賀大の筒井正夫教授が▽井伊直弼の墓守・遠城謙道の妻・繁子も子女として参加し子女取締役になった▽明治11年に県営彦根製糸場が平田町に開場した▽製糸用のカラン(蛇口)の製造が彦根バルブ産業の興業につながった▽明治33、34年の恐慌で同製糸場が経営破綻した―ことを紹介。
 近江絹糸については、彦根製糸場にいた夏川熊次郎ら彦根の有力者が大正6年(1917)に創設。役員の相次ぐ死や昭和恐慌で一時は経営難に陥るも、息子の夏川喜久次専務(後の社長)のもと躍進。しかし、一日15時間以上の労働や、命令厳守など「工場の軍隊化」などで「戦後の労働争議に爆発していった」と展開した。

 続いて近江絹糸人権争議研究者の上野輝将さんが、昭和29年(1954)に近江絹糸で起こった労働組合と経営者との血みどろの対立を、作家の三島由紀夫が小説(絹と明察)で取り上げたことに着目。
 上野さんは、夏川社長の経営で近江絹糸が鐘紡や日清紡など「十大紡」に迫る勢いになった背景に、▽低賃金にしていた▽労働者が逃げないよう、鹿児島や秋田など遠方の中卒の子どもを寮に入れた▽大銀行から大口の融資を得ていた―ことをあげ、「このような人権抑圧と劣悪な労働条件からの解放を求めた彦根など7工場の1万2000人の労働者が立ち上がった」と説明。「夏川社長は暴力団と組み、組合をつぶそうとしたものの、世論の圧倒的な支持を得て組合側が勝利した」と解説した。
 三島由紀夫が小説にした理由について、上野さんは「三島は自由や平等、平和などという外来思想の民主主義や女性論理への嫌悪感があり、家父長制度に似た夏川社長の経営手法への共感があったのでは」と分析。「もっと深い所では戦後の天皇の位置づけに不満を持っていたのではないか」と展開。
 一方で上野さんは、三島が小説の中で描かなかった夏川社長の仏教信仰の労働者への強制にもふれ、人権争議に加わったクリスチャンの女性の詩やインタビュー記事を読みながら、「結局は外来思想=女性論理という戦後民主主義が勝利し、三島などの家父長制度は敗北したといえる」と述べた。

彦根の庄堺公園内、はなしょうぶ見ごろ

 彦根市開出今町の庄堺公園内のはなしょうぶ園が見ごろを迎えている。 園内約1200平方㍍には、紫、薄紫、ピンク、白、薄ピンクの色など28種類の花約3000本が咲いており、すべて満開となっている。今月25日ごろまで見ごろだという。

自民滋賀2区で決起大会 金子大臣も応援演説

 自民党滋賀県第二選挙区支部の総会と決起大会が13日、米原市の県立文化産業交流会館で開かれ、湖東・湖北の党員約280人が参加。近く行われる解散総選挙への結束を確認した。
 総会では役員が発表、支部長に藤井勇治衆院議員、副支部長に中村善一郎県議が再任した。
 決起大会では、来賓の金子一義・国土交通大臣が講演。現政権が約100兆円の財政出動をしたことに「その中身は公共事業だけでなく、太陽エネルギーなどエコ対策や子育て支援策も盛り込んでいる」「国交省関連は10%ほどだが、地域が元気になるような公共事業をやらせて頂きたい」と述べた。
 藤井議員は、政権交代を訴える民主党に「高速道路の無料化や高校までの教育費タダなどをあげているが、財源はまったく不明」「労働組合と深い関係があるのに公務員制度改革はできるのか。外交や防衛、憲法など国のあり方も定まっていない党に国を任せるわけにはいかない」と批判。一方で自民党についても「権力に対するおごりなどは反省が必要」としながら、「国民のための政治を実現するため、また湖東・湖北の声を国に届けるために、スクラムを組んでいきたい」と述べた。最後には、ガンバローコールをし、一致団結を確認した。
 この後、金子大臣と藤井議員らは愛荘町に計画されている湖東三山スマートICの設置現場を視察した。

2009年6月12日金曜日

荒神山古墳の国史跡指定目指す 彦根市南部振興の足がかりに

 彦根市南部の中心拠点として、市は荒神山古墳(市指定文化財)を国指定の史跡にするため、これまでの調査結果などをまとめた報告書を作成し、年内にも文化庁に提出。年度内の史跡指定を目指している。
 市南部の振興は、現市政の諸課題の一つにあがっており、荒神山の整備は南部振興の足掛かりになるとみられるため、史跡指定の行方が注目される。
 荒神山は市の西南、琵琶湖岸の宇曽川左岸に位置する標高約284・1㍍の独立の丘陵。山中には前方後円墳(荒神山古墳)、群集墳、日夏城跡など、数多くの文化財がある。
 古墳時代前期後半(4世紀後半)の前方後円墳は、山頂から北方へ張り出した斜面に築造。市教委文化財課が平成15年度から19年度にかけて4回の調査をしており、全長124㍍、後円部が径80㍍・高さ16㍍、前方部が幅61㍍・高さ10㍍で、県内2番目の規模を誇ることがわかっている。円筒や筒型の埴輪なども見つかっており、赤色顔料を塗っているなど4世紀後半に作られた埴輪の特徴があるという。同古墳は平成16年度に市指定文化財に指定されている。
 古墳時代後期の「群集墳」は、これまでの調査で、稲村神社の奥に17基以上(山王谷支群)、県立荒神山少年自然の家の裏手に6基(日夏山支群)、ほかの単独のものを含めて30基以上が確認されている。これらの群集墳は直径10㍍前後の円墳で、中央に横穴式石室、石室内には棺が置かれ、「須恵器」などが供えられていた。
 日夏城跡は、15~16世紀の戦国時代に土豪の日夏氏が荒神山山頂から北側の尾根に築いた城。土塁や曲輪の跡が見つかっている。
 市は昨年度すでに、文化庁と県教委に荒神山古墳の国史跡指定のための協議をしており、今後は報告書を文化庁に提出し、史跡指定を目指す。史跡指定後は保存管理計画を策定し、荒神山一帯の整備を進める。
 また市は荒神山のほか、周辺の山崎山城跡、曽根沼、肥田城跡などを一帯させた文化財ゾーンでの街づくりを進めるための「歴史文化基本構想」を制定する計画も立てており、市南部の中心拠点づくりとして期待される。
 なお市内の国指定の史跡は、彦根城跡(昭和31年7月19指定)と井伊家墓所(平成20年3月28日指定、清涼寺・豪徳寺・永源寺)の2件。

フランス大使が彦根へ訪問、彦根城も登る

 駐日フランス大使のフィリップ・フォールさんが11日、獅山市長を表敬訪問。飛び入りで登場したひこにゃんと記念撮影にも応じていた。
 日仏修好通商条約の締結150年を記念し昨年10月に市長や北村昌造150年祭実行委会長らがフランス大使館を訪れた際、彦根への訪問を要請していた。
 フィリップ大使は、「(昨年の市長らの訪問時に)ひこにゃんのぬいぐるみを頂いたのを覚えている。ひこにゃんの角は、(フランス人の祖先ともいわれる)ガリア人の甲冑の角と同じで親近感をおぼえる」。彦根については「人をもてなすことに長けている人が多く、居心地が良い場所」と述べた。
 市長は、窓から見える彦根城などを説明し、会談後、フィリップ大使らと彦根城に登った。

2009年6月9日火曜日

ひこにゃん世界デビュー ハワイでパレード

 ハワイで8日開かれた「まつりインハワイ」のパレードに、ひこにゃんが彦根と井伊直弼と開国150年祭のPRのために参加。初の海外遠征で、同行した市職員によると、約8万人(主催者発表)の観衆から大きな歓声を受けていたという。
 まつりインハワイは、日本とハワイの文化、芸術、芸能の交流の場として毎年、行われており、30回目の今年は日本から145団体・約2300人と、見学として約1000人、台湾と米国本土から約1000人が参加。メインイベントのパレードには78団体・約2300人が出席した。
 彦根からは、ひこにゃんのほか、北村昌造実行委会長と市職員が参加。職員によると、フォート・ルーシー(米軍保養所)からカピオラン公園までの約1・7㌔㍍のパレードの中で、沿道からは驚きの声と歓声があがり、ひこにゃんを初めて見た観衆からもシャッターを切る人が多くいたという。北村会長は「ひこにゃんは世界の舞台にデビューした。もはや、彦根、日本を越えて、世界のキャラクターになってくれたかな」と話していたという。

2009年6月5日金曜日

伊吹高の金藤祥子さん(彦根) 日本代表に 女子ホッケーでアジア杯出場へ

 伊吹高校女子ホッケー部で彦根市日夏町の金藤祥子さん(2年)=写真=がこのほど、7月中旬に中国・上海で開かれるU18アジアカップの日本代表に選ばれた。
 金藤さんは、若葉小の低学年の時に「若葉スポーツ少年団彦根ワイルドキッズ」に入部、彦根南中でもホッケー部で活躍した。伊吹高ホッケー部では1年生からレギュラーとなり、フォワードとしてチームのポイントゲッターになった。
 U18アジアカップは2000年以来、2回目の開催。2年生になった今年4月に越前町(福井県)で選考会があり、全国の101人から日本代表18人の中に選ばれた。同校からの代表選出は10年連続。
 金藤さんは、「リフトしながらのドリブルと、ゴール前でのプレーには自信がある。積極的にシュートをして点を取っていきたい」と抱負を語った。監督で全日本代表コーチにも就任した樋口修監督は、金藤さんについて「ボールの取り方や得点の能力が優れている。アジアカップでも活躍してくれるはず」と話している。
 同部からは金藤さんのほか、米原市の要石蘭奈さん(3年)もディフェンダーとして代表に選ばれた。2人は7月13日から15日まで越前町で合宿をし、16日に出国。アジアカップは28日まで行われる。

2009年6月3日水曜日

江戸時代の「神教丸」看板、期間限定で戻る、有川製薬

 「赤玉神教丸」で知られる有川製薬(彦根市鳥居本町)に、江戸時代に設置されていた置き看板が、委託保管されていた内藤記念くすり資料館(岐阜県羽島市)から期間限定で同店に戻り、展示されている。
 置き看板は木製で高さ約2㍍。黒を基調に表面に「神教丸」と金色で書かれ、土台には龍などの彫刻が施されている。看板の裏には作成者として、「京都額師 中村嘉兵衛」と書かれている。
 文化11年(1814)出版の近江名所図絵(浪華書林)にも、有川製薬の店先に置き看板を設置し商売が行われている様子を描いた絵が載っている。市教委文化財課も「江戸時代の物で間違いない」としている。
 有川製薬は万治元年(1658)創業。「赤玉神教丸」は下痢止めの妙薬として全国でも知られる薬になった。同店は昨年、創業350年を迎えたことを記念し、置き看板を同店に戻し展示してきた。近く、資料館に再び寄託するという。
 見学自由。問い合わせは同店℡0749(22)2201。

彦根仏壇の技が米国で好評 井上仏壇が工芸品出展

 彦根市芹中町の井上仏壇店(代表・井上昌一さん)は、米国・ニューヨークで先月中旬に開かれた国際現代家具見本市のジャパンパビリオンに、彦根仏壇の職人が制作した工芸品を出展。米国を中心に世界中の人たちから高い評価を得た。
 彦根仏壇の職人の技術を世界中にPRするため、今年3月から蒔絵師や塗師、木地師などの協力を得ながら、壁掛けや花器、テーブルなど17点の工芸品を制作。中には県立大生がデザインした作品もあった。
 漆塗りと金箔を組み合わせた絶妙なデザインが好評を得て、同店のブースには4日間で200社以上が訪れ、10件以上が商談中だという。 井上さんは「海外のニーズにマッチすれば、彦根仏壇の技術は十分に受け入れられると手応えを感じた」と話しており、今後も海外へのPRを続けるという。

ゆるキャラテント展、始まる

 井伊直弼と開国150年祭の彦根ゆるキャラテント展が1日から、高宮町内で始まった。
 高宮町蝸牛会がアート展に合わせて、芸術家や市内の団体、個人に依頼し、幅4㍍×高さ1・72㍍のテント地に描かれたさまざまな絵を、徳性禅寺の側壁などに展示している。
 12回目の今年は、井伊直弼をテーマに作品を募り、芸術家ら11人と、市内の保育園、幼稚園、小学校、中学校など25団体から過去最多の計43点が出展。徳性禅寺の側壁と高宮小学校のフェンスに掛けられている。
 作品には、書家の堤豊宏さんの「一期一会」や「赤鬼」、FMひこねのパーソナリティ・山本ひまりさんが描いた彦根のゆるキャラたち、画家の岩下哲士さんらのものもある。作品は今月30日まで高宮町内で展示された後、8月1日から、ゆるキャラ祭りが終了する10月25日まで四番町スクエアに展示される。
 なお蝸牛会アート展は13、14日に高宮文化センターと徳性禅寺で開かれる。

3回目の議場コンサート、彦根市会

 第3回目の議場コンサートが1日、彦根市議会の議場で開かれた。
 市民に開かれた議会づくりの一環として、「議会開放プロジェクトチーム」が企画。今回の演奏者は、金井彰柳さんと瀬戸川まき子さんで、共に新海浜2丁目在住。
 2人は、箏と三弦、胡弓を使って、竹生島やさくらなど3曲を演奏。幻想的な音色が議場を包み、約80人の来場者を魅了させていた。

豊郷小学校旧校舎改修終え、一般開放始まる

 「白亜の教育殿堂」と呼ばれた豊郷小学校旧校舎の耐震補強と改修工事が終了し、30日から一般開放されている。30日には町民ら約350人が見学に訪れた。
 工事は、一粒社ヴォーリズ建築事務所(大阪市)の設計のもと、昨年10月から補修と耐震補強が行われた。総工費約5億3800万円。内部は、講堂、約5万5000冊所蔵の図書館、子育て支援センター、町出身の偉人紹介コーナーなどが設けられているほか、2階と3階は当時の教室がそのままの形で残っている。旧図書館では、絵画コンクールの入賞作品展が今月27日まで行われている。 開館時間は午前8時半~午後5時15分。管理人が確保できた後は年末年始以外、原則開館。図書館は第3日曜日と月曜休館。