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2008年11月26日水曜日

村山たか女 晩年の肖像画、脇家・宇津木家の菩提寺・高源寺

 井伊家家老の脇家や宇津木家の菩提寺・高源寺(多賀町)には、井伊直弼や長野義言の愛人とされる村山たか女の晩年の肖像画が残っている。彦根城博物館によると、たか女の晩年の肖像画は同寺でしか発見されていないという。
 高源寺は鎌倉時代に創建されたとされるが、戦国時代には廃寺となった。彦根藩の脇家と宇津木家は江戸時代初期の慶長年間(1596~1605)に、京都の高僧・禿翁禅師を招いて、両家の菩提寺として再興。脇五右衛門豊久と宇津木治部衛門久豊の院号にちなんで、天徳山高源寺と名付けられた。
 総門は佐和山城の裏門を移築されたものとされる。最盛期には書院、仏殿、禅堂などがあり、学僧50人以上が住んでいたというが、明治9年(1876)原因不明の火災で、総門以外が焼失。書院は昭和8年に新築、総門は昭和22年4月に改築された。
 昭和63年に、同寺の桂木庸道住職が押し入れを整理していた際、たか女の心情が書かれた「讃」入りの肖像画を見つけ、たか女の肖像画だと判明した。明治初期に京都で描かれたものとされる。平成18年7月に多賀町文化財に指定。
 たか女は多賀町出身とされ、直弼や義言の死後、京都・三条大橋でさらされた後も、生き残り、晩年は京都の金福寺(左京区)で、妙寿尼として過ごした。明治9年67歳で死去。明治14年に多賀大社にあった正覚院と般若院、不動院が移築された際、般若院と一緒にたか女の肖像画も同寺に移されたという。問い合わせは同寺℡(49)0821へ。

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