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2012年4月26日木曜日

彦根駅前にレンタサイクルめぐりんこ 犬上・愛荘にも

 彦根駅前に21日オープンしたレンタサイクル施設「彦根市レンタサイクルめぐりんこ」では市内のほか、犬上郡と愛荘町へのサイクリングにも利用できる。21日には駅前広場で記念式典があり、ゆるキャラたちも参加した。
 湖東定住自立圏のレンタサイクル事業として始まり、彦根市はNPO法人五環生活(中央町)に業務委託。クロスバイクとロードバイクのスポーツサイクルと、電動アシスト付き自転車の計62台を用意し、アルプラザ彦根1階のスペースを拠点に市内を訪れる観光客らにレンタルする。
 駅によっては自転車を乗せることができる近江鉄道を活用しながら、犬上・愛荘の各町への利用もできるようにした。各町でも各観光協会などが計35台を駅前などのレンタサイクル施設に置いており、彦根でレンタルした場合でも各町で自転車を返すことができる。
 料金はスポーツサイクルが3時間半300円・1日600円、電動自転車が3時間半600円・1日800円。運転免許証や保険証、学生証などの提示が必要。中学生以上が対象だが、小学生は保護者同伴なら可。
 彦根駅前以外では、五環生活の事務所、尼子・愛知川各駅、もんぜん亭(多賀)、多賀町観光案内所、豊郷小旧校舎群で自転車をレンタルしている。問い合わせは市観光推進課☎(30)6120。

楽々園 整備完了の御書院棟で見学会 6月から一般公開へ

 保存修理中の楽々園で整備が終了した御書院棟の見学会が21日にあり、寄付者314人のうち55人が参加した。6月ごろから一般公開も始まる。
 楽々園の整備は平成17年度から始まり、御書院棟は同21年度から着手。解体後、約3億円かけて建物の修理が行われ、解体後の調査では江戸時代に耐震補強されていたこともわかった。復元されたふすまは彦根城博物館に保管され、御書院棟には複製版が設置された。
 見学会では文化財部の谷口徹部長から、江戸時代には楽々園内にも能舞台があったことや、大規模な増加築があった十一代・井伊直中時代に玄宮園から延びていた池が枯山水の庭に変わったことなどが説明された後、建物内に入り、御書院棟を見て回った。なお全体の整備完了は平成37年度の予定で、今後は現存しない茶室「虎鋸(こきょ)」や長屋門などの復元、地震の間や楽々の間、前庭などの修理が行われる。

2012年4月25日水曜日

靴下でモザイクアートと復興ピアノ演奏 ギネス記録にダブルで認定、石巻の遠藤夫妻も参加「感動と感謝」


 東日本大震災で被災した後に復活した「復興ピアノ」を使っての連弾と、靴下でモザイクアートを作るダブルでのギネス挑戦が、22日に滋賀大学講堂であり、2つともギネス記録に認められた。挑戦イベントには市内外から約250人が参加し、被災地の宮城県石巻市からも3人の子どもを亡くした遠藤伸一さん(43)・綾子さん(43)夫妻が訪れた。
 復興ピアノはギネス挑戦を企画したピアノ教室講師の寺村邦子さん(56)=尾末町=宅から会場に持ち込まれ、子どもから高齢者までの103人が順番にヴェートベンの歓喜の歌を演奏。いしだみつにゃんや千葉県の獣兵衛くんらゆるキャラも参加し、これまでのフランスの記録・15人を大幅に更新した。
 モザイクアート作りは、石巻を中心に支援するボランティアグループ「UNITE TOGETHER」が考案した海と大地が手を結んだハート形の図柄を、白や黒、緑などさまざまな色の靴下4278枚を使って縦7・62㍍×横6・99㍍で製作。
 同グループとの縁で石巻から参加した遠藤さんは津波で小学生から中学生の息子1人と娘2人を亡くした。木工作家として、津波で亡くなった英語指導助手のティラー・アンダーソンさんをしのんで石巻市内の小中学校に本箱も寄贈。ティラーさんがいた小学校には遠藤さんの亡くなった子ども2人も通っていたという。
 ギネス達成後、遠藤さんは「ギネス挑戦のイベントは予想していた以上の規模で、感動と感謝の気持ちでいっぱい」「震災で亡くなられた方々の思いを心に刻んで、前を向いて一歩ずつ前進していきたい」と涙ながらに語っていた。靴下と、当日会場で販売された靴下の売上・19万5000円は遠藤さんが持ち帰り、石巻の被災者のために使われる。
 9・10回目のギネス記録を達成した寺村さんは「欲張って2つ一緒の挑戦だったので、不安だったけれど、達成できて本当に良かった」と話していた。

2012年4月24日火曜日

彦根城の桜に新説浮上 大正時代に何らかの品種、昭和9年に吉田繁次郎 ソメイヨシノ千本植樹

 彦根城内には約1200本の桜がある。これらのうち9割以上を占めるソメイヨシノは、元彦根町会議員(昭和8年~同12年)の吉田繁次郎(以下、繁次郎)=写真=が昭和9年(1934)2月に植えたのが最初とされている。しかし、ほかにも大正時代初め~後期にかけて何らかの品種の桜が城内に数百本単位で植えられていたことが滋賀彦根新聞の取材で明らかになった。市教委文化財課では「大正時代に城内に植えられた桜があったのかは確認できていないが、古木が残っているのは確かだ」としている。【山田貴之】
元彦根町議の繁次郎
台風の日もリヤカー乗り見回る
 繁次郎は明治20年(1887)生まれ。繁次郎の五女・山岡定子さん(79)=大薮町=(写真)と孫の寺村邦子さん(56)=尾末町=によると、繁次郎は、現在も立花町に残る「ござれ食堂」で、すし屋や旅館業、食堂などを営んでいた。彦根町議を務めていた昭和8年に皇太子殿下(現・明仁天皇)がお生まれになったことから、その祝いを兼ねて城内とその周辺を桜でいっぱいにしようと、翌年2月、46歳の時にソメイヨシノの苗木1000本を植えた。
 桜は害虫に弱いため育てにくいこともあり、資金集めの際には「育つはずがない」など皮肉も言われたが、約2カ月かけて何とか当時の金額で大金の1200円を集めたという。繁次郎は店を妻・キミに任せ、自身は現在の邦子さん宅(尾末)の以前の建物があった敷地内に置いていた苗木を、2、3人の友人たちと運んで一緒に植えたという。
 場所は内堀沿いを含めた城内と金亀公園のほか、中堀沿いと旧外堀沿いなどで、残った苗木は一部の芹川沿いにも植えられたが、その後、引き抜かれるなどの嫌がらせも受けた。昭和8年に生まれた定子さんによると、幼稚園児のころ、尾末町の家から金亀公園などまで繁次郎に手を引かれて散歩に行き、子どもたちが桜の枝を折ったりしているのを見て、注意した後、くやし涙を流していたという。
 キミは50歳代で死去。繁次郎はその約4年後にてつと再婚。60代半ばのころに倒れた後は足が不自由になったが、その後、ほぼ毎日、雨や雪、台風の日もリヤカーの上に乗って、てつに引かれながら城内などの桜を見て回ったという。昭和12年に県知事から表彰状、同28年に彦根観光協会長から感謝状が贈呈。同32年に70歳で亡くなっている。
 なお、ござれ食堂は現在も孫の滋さん(62)が経営しており、「ござれ」という名称は昭和初期の店の電話番号が「530」だったため、客からの提案で繁次郎が名付けたという。
「大正2年 金亀公園に植樹」
当時の新聞、内堀沿いにも
 繁次郎が植えたソメイヨシノは、昭和20年前後の戦中期に金亀公園がサツマイモ畑にされたことや、同34年の伊勢湾台風、テングス病などの病気で、半分程度が無くなったとされる。
 城内ではほかに、昭和53年12月に市民から寄贈されたヨシノザクラ(ヤマザクラ)の苗木250本、同54年12月に市民からのソメイヨシノ300本と八重桜200本の苗木が補植され、同57年3月には彦根商工会議所青年部が桜(品種不明)200本を植樹。ソメイヨシノは樹齢60~70年とされ、樹齢80年ほどになる繁次郎が植えたソメイヨシノが現在、どれほど残っているのかは不明。
 また市教委市史編さん室の管理データによると、京都日出新聞が大正11年3月14日付で「彦根中学(現・東高)から彦根高等商業学校(現・滋賀大)までの内堀沿いに桜を植える計画がある」とする記事を掲載。また朝日新聞が大正15年2月17日と同20日付で「城内の黒門口から大手口までの土手に300本、内堀沿いにヨシノザクラ70本を植える計画が決まった」と報道。
 さらに京都日出新聞は昭和12年3月15日付で、その年の2月11日の彦根市制施行を記念し「24年前(大正2年)に金亀公園に桜を植えた八田宗三郎が桜500本を寄贈し、市は長曽根公園に植樹」と報じている。
 つまり、これらの報道が正しいと仮定すると、内堀沿いや内堀の土手、金亀公園には大正時代にすでに何らかの品種の桜があったことになる。実際に邦子さんによると、繁次郎も「ソメイヨシノを植えるころ、すでにヤマザクラがあった」と話していたという。
 樹木医の川崎昭重さん(76)=平田町=や市教委文化財課によると、繁次郎が植えたころの樹齢80年ごろのソメイヨシノを見つけることは難しく、山崎郭一帯にあるほかの品種の桜は樹齢80年超の古木だという。
 大正時代に植えられたという桜は何の品種で城内にあるのか、繁次郎が植えたソメイヨシノは何本残っているのか、彦根城またはその一帯の桜の謎の解明が急がれる。 【山田貴之】

2012年4月23日月曜日

新修彦根市史・第11巻 民俗編 刊行

 彦根市内の伝承や祭礼、伝統産業などを全ページカラーで紹介した「新修彦根市史・第11巻 民俗編」=写真右=が18日に発売された。
 彦根城下・鳥居本・日夏・磯田・河瀬・稲枝など市内15のすべての集落をまとめた「民俗誌」、城下の町家・農村・街道・山村の日々を取り上げた「生活誌」、彦根仏壇の「伝統産業誌」の3章で構成。合間には「戦前の中薮」、「彦根市の無形民俗文化財」、「彦根の和ろうそく作り」などをテーマにしたコラムを載せている。
 各章では、佐和山神社の春祭りや鳥居本の山村部で行われていた太鼓踊りなど現在は無くなった祭礼のことや、佐和山神社の武者行列が昭和30年からの城まつりになったこと、鳥居本で有名だった三つの赤い名物(合羽(かっぱ)・赤玉神教丸・スイカ)のうちスイカが高宮でも作られていたことなどを記している。
 全ページカラーでA4サイズは前年度刊行の「景観編」=写真左=に続いた形式。356ページ。1冊3500円。1500部作成。市内書店や市役所出納室、支所・出張所、彦根城博物館などで販売。郵送の申し込みは市史編さん室☎(27)3544。

2012年4月21日土曜日

本町の奥野家住宅と上野家住宅 国の登録有形文化財に

 国の文化審議会は20日、彦根市本町2丁目の奥野家住宅=写真右=や上野家住宅=写真左=を含む県内13件を登録有形文化財にするよう文科省に答申した。
 奥野家住宅は安政2年(1855)に314平方㍍の建築面積で建てられた木造2階建ての町家。江戸時代は遠方の彦根藩領に住む公用人が泊まる公事宿(くじやど)として使われ、明治時代から昭和30年ごろにかけてはしょう油屋を経営し、最近までは診療所だった。2階の虫籠(むしこ)窓や出格子は建築当時の形式で、城下町に残る大型商家として貴重だという。
 上野家住宅は江戸末期に97平方㍍で建てられた木造2階建ての町家。防衛のため道を折り曲げて見通せなくする枡(ます)形の突き当たり部分に位置する。建物の2階は格子窓、漆喰塗り、虫籠窓を残し、箱階段や彦根城を望むことができる座敷も保存されている。
 今回の13件が登録されると県内の登録有形文化財は315件になる。

2012年4月19日木曜日

靴下でモザイクアート 復興ピアノみんなで演奏 ギネス記録ダブルで挑戦、石巻からも参加

 2つのギネス記録に挑むイベントが22日に彦根市馬場の滋賀大学講堂で開かれる。そのうち「靴下でモザイクアート」で集まった靴下は、東日本大震災の被災地・宮城県石巻市に渡されるが、当日は石巻から津波で3人の子どもを亡くした夫婦も来場しギネス挑戦イベントに参加する。
 尾末町の寺村邦子さん(56)による9回目のギネス記録挑戦。一つ目は、石巻で津波によって水没した後 復活し寺村さん宅に届けられた「復興第1号ピアノ」をみんなで弾く。曲目は第九の「歓喜の歌」。これまでのギネス記録はフランスでの15人。ピアノの演奏の経験や年齢など問わない。
 二つ目の「靴下でモザイクアート」は、復興支援活動をしているボランティアグループが作ったTシャツのデザイン画を、1000足以上の靴下を床に置いて表現する。参加方法は、原則新品の靴下を当日持参または寺村さん宅に送るか、会場で購入(1足100円で全額義援金に)するかの3パターン。
 寺村さんと石巻から来場する夫婦は「復興ピアノ」の縁でつながりができ、当初は寺村さんが石巻に靴下を送る予定だったが、夫婦の強い思いで彦根に訪れることになった。靴下を並べる手伝いをするほか、集まった靴下と義援金を受け取り、石巻に持って帰る。靴下は石巻の仮設住宅に住む被災者に配られる。
 当日は午前9時~演奏の練習と靴下を並べる作業を行い、同11時までに演奏と靴下並べを完成。ギネス・ワールドレコーズ(本部・英国ロンドン)から公式認定員2人が来場。2人同時に訪れるのは世界初だという。
 寺村さんは「ギネス挑戦によって、被災地の復興への願いを込めた私たちの思いを世界に届けることができれば」と話しており、ピアノの演奏と靴下集めの協力を呼びかけている。問い合わせは寺村さん☎090(5152)3918。