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2017年6月12日月曜日

中川啓子さん曽祖父で姫路藩士だった笠原三平と江戸時代後期の徳川幕府の動向を取り上げた小説・慶喜と三平を発刊

 彦根市芹川町の作家・中川啓子さん(76)がこのほど、曽祖父で姫路藩士だった笠原三平(1841~1914)と江戸時代後期の徳川幕府の動向を取り上げた小説「慶喜と三平」を発刊した。
 三平は江戸の姫路藩巣鴨藩邸で天保12年に生まれた。本は第1章「三平お塾へ通う」で、5歳になった三平が武門入りの当日に父親の姫路藩士・笠原兼久と会話するシーンから始まる。第3章の「大政奉還いざ京へ」では上京時に中山道を通った際の彦根藩の様子も紹介。「鳥居本宿の中山道沿いの古い街道は虫籠(むしこ)窓や紅殻の塗られた格子戸の家が軒を並べて風情がある」「(赤玉神教丸の製造元・有川家は)入母屋造りの大きな家屋で、縁台に座っている旅人に薬茶を無料で振る舞っている」と記し、彦根城へつながる彦根道や湖東焼も登場する。また姫路藩の九代藩主・酒井忠惇(ただとう)や三平が彦根城に立ち寄り、琵琶湖上の多景島を見ながら、井伊直弼や江戸時代初期に彦根藩にあった小早船(こばやぶね)の歴史を振り返るシーンも出てくる。
 以降、「大坂城の光と影」「錦の御旗」「嵐に向かう開陽丸」「駿府へ」と時代が移り、徳川家が薩長の新政府軍に追い込まれていく江戸時代後期の様子を紹介。鳥羽伏見の戦いで敗北した慶喜が開陽丸で逃げるのに同行した三平が「何故、戦わないのでしょうか」「お逃げになられるくらいなら、自決なさればいいのでは」と迫る場面では、慶喜が「本当は戦いたいのだ。しかし、外国(親徳川のフランス)を巻き込むことはできない」「私の死は終わりのない死の連鎖を招くだけだ。臣下を守るためには私は死んではいけないのだ」と返答。「将軍たる者、(中略)民の家族の平和を守ることだ」と、慶喜の将軍としての使命感を表している。
 三平は慶喜が亡くなった大正2年(1913)11月22日の翌年2月8日に72歳で死去している。中川さんは笠原家に残る古文書や姫路城史などを参考に小説化。三平の思いについて、中川さんは「慶喜が敵前逃亡したのではないことを曽祖父は伝えたかったのだと思う。小説でもその点を重視して書きました」と話している。発行はぎほり舎(芹川町)。157ページ、1300円(税抜き)。銀座町の太田書店とアマゾンで販売。問い合わせはぎほり舎(47)6062。

 滋賀彦根新聞は中川さんの小説「慶喜と三平」を3人にプレゼントします。住所、郵便番号、氏名、年齢、連絡先を記入し、12日(消印有効)までに応募してください。当選者の発表は発送をもって代えさせて頂きます。

寺村邦子さん2年前の著書の改訂版この指、とまって~!!ギネスのくんちゃん奔走記を発刊

 ギネス記録の挑戦イベントの主宰者として知られる彦根市尾末町の寺村邦子さん(62)が、2年前の著書の改訂版として「この指、とまって!!ギネスのくんちゃん奔走記」を発刊した。本の収益金は東日本大震災の被災地支援に活用される。
 寺村さんは、彦根城築城400年祭に合わせて鳥居本駅で行った平成19年3月23日から31日までの182時間コンサートで初めて彦根でのギネス記録を達成。以降、毎年のように市内でギネス記録の挑戦イベントを開催し、昨年4月17日の忍者の格好をした人数とカロムの玉を並べる挑戦を入れて、これまでに11回成功させている。
 平成27年9月に発刊した1冊目の本を読んだ市民らの意見を参考にして文章を改めたほか、昨年4月のギネス成功の内容を追記。デザインや表紙も改訂した。
 2冊目の本では第1章で182時間コンサートのきっかけにもなった音楽会について説明。第4章の「東日本大震災に負けたくない」では宮城県石巻市で水没後に復活し、寺村さん宅に届けられたピアノを使って挑戦した様子をまとめている。第5章の「ギネスルール、変やわ」では忍者の姿を着ての挑戦が2回失敗したことの悔しさ、第6章の「心をつなぎ、未来に伝言を」では失敗が続いた後、寺村さん自身について取り上げられた冊子を目にした時や大学生からの激励の言葉で再挑戦を決意したエピソードを取り上げている。本紙記者の名も登場している。
 本はB6判のカバー付き、185ページ。寺村さんは「感謝と感動の思いを込めて、この本を多くの皆さまに届けたい」とした上で、「今月初めに石巻を訪れたが、被災地はまだまだ復興できていない。東北の復興を願って義援金を募りたい」と語っていた。
 本の価格はなく、カンパ制。収益金は被災地への義援金として活用される。問い合わせは寺村さん☎090(5152)3918。

2017年6月9日金曜日

彦根城博物館が江戸時代の大洞弁財天とその周辺の景観描いた絵図など購入

 彦根城博物館はこのほど、江戸時代の大洞弁財天(古沢町)とその周辺の景観を描いた絵図などを購入したと発表。
 大洞弁財天は彦根城と彦根藩領の安寧を祈願するため、彦根藩四代当主・井伊直興によって元禄8年(1695)から翌年にかけて建立された。
 絵図には元禄9年に建てられた弁財天堂、阿弥陀堂、宝蔵(ほうぞう)、楼門(ろうもん)が描かれている。いずれの建物とも現存しており、配置も一致している。ただ、元禄12年に建てられた経蔵(きょうぞう)と安永4年(1775)に建立されたという奥の院は絵図に描かれていない。
 大洞弁財天の周辺には、隣接する龍潭寺や清凉寺のほか、愛宕(あたご)社、松原内湖、対岸の彦根城と城下、松原村の砂浜、虫(物生)山、磯村が描かれている。また大洞弁財天のふもとには「茶店」や、番人を務めた「七人番衆」の屋敷も記されている。
 絵図に描かれている景観の年代としては、愛宕社の地に寛政10年(1798)に着工され、文化4年(1807)に完成した仙琳寺が描かれていないことから、元禄9年から寛政10年までの約100年間のいずれかの年だとみられる。作者は不明だが、絵図の裏面には当時の所有者とみられる大坂の町人・木村蒹葭堂(けんかどう)が自筆で「彦根大洞弁財天図」と記した題簽(だいせん)が貼られている。彦根城博物館は昨年3月に古書店から購入。江戸時代の大洞弁財天を描いた絵図が確認されたのは初めて。
 ほかの購入品は、彦根藩士の居住区だった内曲輪(内堀と中堀の間)から外堀までの藩士名・石高・家紋・馬印と思われる絵が記された文化11年(1814)5月11日から12月22までの家並(やなみ)帳、18世紀後半の彦根城下の家並絵図、大洞にあった彦根藩の火薬庫を示す御塩硝(ごえんしょう)蔵の実測地図、寺院の位置を目的にしたとみられる彦根城下全体を描いた18世紀の絵図など。

井伊直孝と小早船

 今号から彦根市芹川町の作家・中川啓子さん(76)が、あまり知られていない彦根などの歴史を不定期で紹介していく。初回は彦根藩二代・井伊直孝公の時代に運航されていた小早船(こばやぶね)に関する逸話。
 起工して二十年目の元和八年に完成した《金亀(こんき)城》と呼ばれる彦根城は三方が琵琶湖の入江によって囲まれ、一方のみが平野に連なって周囲約一里に及ぶ大城だ。琵琶湖の湖上権も握り、城下には兵船をつなぎ《小早船》といって井伊家自慢の二十四丁艪(ろ)の早船を備えた。
 この小早船が井伊直孝を救った話がある。
 寛永十一年七月六日、三代将軍家光がご上洛の時、彦根城に立ち寄られて一泊する。
 直孝は家士の婦女子たちを近くの村落へ立ち退かせ城下の女気をなくす。そのことで、直孝が将軍家に謀反を抱いていると、家光に告げた者がいた。それを聞いた家光は怒って夜中に出発してしまった。
 驚いた直孝は、すぐに小早船にのり、異心のない証明に、槍一本を握って舳先(へさき)に立つ。
 大津に向かった小早船は、湖面をきり風を切って進む。わずか一刻半(いっときはん)で大津に到着。
 船から下りて、家光公に申し開きするために、中山道大津宿で威儀を正しくして待ち受けていると、夜中に発った家光公のお行列が到着する。
 籠を降りた家光公は、城に置き去りにした筈の直孝が目の前にいて、一本槍を握ったまま跪き、我を待っているのに、びっくりする。
「謀反などもってのほかで、ございます。殿が静かにお休みになれますように、婦女子どもの黄色い声を移したまで、何の異心もありませぬ」と弁明した。
「わかった」と家光公は頷いた。
「小早船はそんなに速いのか。ならば、城までとって返し、京まで供奉せよ」
 以来、井伊家は参勤交代の道中も槍一本に限られるようになった。        (出典「日本の名城」)

2017年6月7日水曜日

彦根城でブルーインパルスの展示飛行に5万人以上が来場

 ブルーインパルスの展示飛行が4日、彦根城周辺の上空で行われ、5万人以上が来場した。
 彦根城築城410年祭を記念して開催され、関連イベントが行われた彦根眺城フェスの会場となった金亀公園には朝早くから入り口前に並ぶ来場者がいた。開場後も眺城フェスの中で行われた井伊椀グランプリなどの各テナントの商品を買い求める人たちの行列ができていた。
 ブルーインパルスの展示飛行では6機が彦根城から半径10㌔㍍の空域を使って、スモークで桜模様やハート型などを描いた。約20分間の展示飛行だったが、ブルーインパルスが登場し技を披露するたびに歓声が沸き起こっていた。
 なおこの日の彦根城への入山者数は彦根城管理事務所によると8849人で、いつもの日曜日の入山者数と比べて2倍ほどだった。

 この日の彦根はまさに人、人、人でごった返しの一日だった。公式には城内2万人、金亀公園3万人だったが、小生の見た感じでは5万人以上は来場し、市内全域を入れると倍近い人が観覧したのは間違いない。一日の来場者数としてはここ近年で最多であろう◆大きな混乱もなく、終了することができ、また多くの観光客が前日または前々日から宿泊し、夢京橋キャッスルロードなど市内の飲食店や土産店も多くの人で賑わっていたことを考えると、経済的効果はかなりあったに違いない◆ブルーインパルスのイベントは彦根商工会議所青年部が主管し、当日も会員たちをはじめ、市民ボランティアが会場の運営や清掃に尽力していた◆願わくば2回目も開催して頂きたいが、そうは問屋が卸さないであろう。ここまで成功するイベントを模索するのはなかなか難しいかもしれないが、観光の関係者各位には今回のイベントを一過性に終わらせず、良き手本としてご尽力頂きと願う今日この頃だ。       (山田)

2017年6月6日火曜日

パナソニックの日本のお掃除 再発見プロジェクトがスタート、第1弾は彦根城天守と西の丸三重櫓を掃除、彦根市立城西小学校の児童参加

 ごみゼロの日の5月30日、パナソニックの「日本のお掃除 再発見プロジェクト」がスタートし、その第1弾として彦根城天守と西の丸三重櫓を掃除するイベントが開催。彦根市立城西小学校の児童たちも天守内などをきれいにしていた。
 パナソニックは細部まで目を配るといった日本の掃除のあり方を、日本各地の象徴的な建物の掃除を通して再認識してもらおうと同プロジェクトを計画。ナビゲーターに日本文化への造詣が深い京都外国語大学のジェフ・バーグランド教授を迎えて、日本各地の象徴的な建築物で大掃除イベントを展開していく。
 第1弾の彦根城の掃除イベントを控え、5月23日にはジェフさんを招いた事前学習が城西小で行われ、児童たちは日本の掃除の仕方が世界的に注目されていることなどを学んだ。掃除イベントがあったこの日はパナソニックの社員35人と城西小の6年生62人が参加し、新製品のスティック掃除機「iT(いっと)」50台とロボット掃除機「ルーロ」10台も使用された。
 児童たちは天守1階、2階、3階、西の丸の1~3階に分かれ、カーペット部分を掃除機で、板の間を雑巾の乾ぶきで、壁の部分をはたきできれいにしていた。天守最上階の乾ぶきをした北川美優さん(11)は「ほこりがいっぱいとれてすっきりしました」と話し、宮田結衣さん(11)は「天守もすっきりした気持ちになっているのでは」と笑顔で話していた。
 閉会式ではジェフさんが「今日からは自分のまちをきれいにすることを考えて欲しい。日本をピカピカにする取り組みが彦根城から始まり、うれしく思う」と語り、天守前に参加者全員が集まって記念撮影をした。

2017年6月3日土曜日

彦根城でのブルーインパルス展示飛行 電車での来場者に特製うちわ進呈

 彦根城築城410年祭を記念し、航空自衛隊のブルーインパルスの展示飛行が4日午後1時~約20分間、彦根城周辺の上空である。当日、市内は交通渋滞が予想されるため、築城410年祭推進室では電車など公共交通機関での来彦を要請しており、彦根駅西口では特製のうちわを配布する。
 うちわは表面が米原の切り絵作家・早川鉄兵さんデザインで、彦根城天守の上空をブルーインパルス6機が飛行している様子が描かれている。裏面にはブルーインパルス1機の写真が掲載。当日は午前8時半~1万5000枚が配られる。
 エフエムひこねでは当日の展示飛行をはじめ、金亀公園で開催される「彦根眺城フェス」の模様をラジオ中継する。なお3日の同時刻にテスト飛行がある。