三平は江戸の姫路藩巣鴨藩邸で天保12年に生まれた。本は第1章「三平お塾へ通う」で、5歳になった三平が武門入りの当日に父親の姫路藩士・笠原兼久と会話するシーンから始まる。第3章の「大政奉還いざ京へ」では上京時に中山道を通った際の彦根藩の様子も紹介。「鳥居本宿の中山道沿いの古い街道は虫籠(むしこ)窓や紅殻の塗られた格子戸の家が軒を並べて風情がある」「(赤玉神教丸の製造元・有川家は)入母屋造りの大きな家屋で、縁台に座っている旅人に薬茶を無料で振る舞っている」と記し、彦根城へつながる彦根道や湖東焼も登場する。また姫路藩の九代藩主・酒井忠惇(ただとう)や三平が彦根城に立ち寄り、琵琶湖上の多景島を見ながら、井伊直弼や江戸時代初期に彦根藩にあった小早船(こばやぶね)の歴史を振り返るシーンも出てくる。
以降、「大坂城の光と影」「錦の御旗」「嵐に向かう開陽丸」「駿府へ」と時代が移り、徳川家が薩長の新政府軍に追い込まれていく江戸時代後期の様子を紹介。鳥羽伏見の戦いで敗北した慶喜が開陽丸で逃げるのに同行した三平が「何故、戦わないのでしょうか」「お逃げになられるくらいなら、自決なさればいいのでは」と迫る場面では、慶喜が「本当は戦いたいのだ。しかし、外国(親徳川のフランス)を巻き込むことはできない」「私の死は終わりのない死の連鎖を招くだけだ。臣下を守るためには私は死んではいけないのだ」と返答。「将軍たる者、(中略)民の家族の平和を守ることだ」と、慶喜の将軍としての使命感を表している。
三平は慶喜が亡くなった大正2年(1913)11月22日の翌年2月8日に72歳で死去している。中川さんは笠原家に残る古文書や姫路城史などを参考に小説化。三平の思いについて、中川さんは「慶喜が敵前逃亡したのではないことを曽祖父は伝えたかったのだと思う。小説でもその点を重視して書きました」と話している。発行はぎほり舎(芹川町)。157ページ、1300円(税抜き)。銀座町の太田書店とアマゾンで販売。問い合わせはぎほり舎☎(47)6062。
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