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2009年7月17日金曜日

江戸期整備の七曲り通り 現在は彦根仏壇街に

 彦根市内の新町、芹中町、大橋町、元岡町、沼波町にかけた全長約1・5㌔の仏壇街は、「七曲り」通りと呼ばれている。江戸時代は中山道の高宮宿から彦根城下へ向かうための道だったが、現在は人通りが少なく、観光客の姿もほとんど目にすることはない。市は、七曲り通りを「歴史まちづくり法」に伴う開発拠点の一つにあげており、今後の整備の行方が注目される。(山田貴之)
                 
 七曲り通りは、彦根城が整備された後の江戸時代初めに、高宮宿から城下町までに築かれた道で、前方を見通せないように通りを何度も屈曲させたことから、七曲りと呼ばれるようになった。一般的に、道が幾つも曲がっていることを言うのだが、彦根の場合は偶然、7カ所の「曲がり」がある。
 正保元年(1644)に町割りが行われ、芹中、大橋、岡の各町が出き、その翌年に沼波町が誕生。通りには古鉄屋、塩屋、道具屋、桶屋などさまざまな店があった。江戸後期ごろからは、武具製造に携わっていた塗り師、指物師、錺金具師などの職人が集まり始め、現在の「仏壇街」になっている。
 県立大学の浜崎一志教授研究室の調査によると、七曲り通りで町屋形式の建物は74軒残っているという。そのうち江戸期の建物とされる旧村岸家は、高宮方面から通りに入った最初の曲がり角にあり、防火用に用いられる土戸が唯一、残っている。
 ほかに、文化財的に価値のある建物が多くあり、彦根市は今後、「歴史まちづくり法」を活用した街づくりを進める。数年以内に建物の調査をし、地元の住民と協議をした上で、歴史的景観が残る街づくりの整備を行うとしている。

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