万葉集は奈良時代に刊行された日本最古の和歌集で、全20巻に天皇や皇族、歌人、農民など幅広い階層の人たちが歌った約4500首の歌が収められている。
新元号に使われた第5巻の序文は「時に初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」。この現代語訳は「時あらかも初春の好き月、空気は美しく風は穏やかだ。梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のように白く咲き、蘭は身を飾った香のごときかおりをただよわせている」。
第5巻の梅の花を歌った32首は天平2年(730)1月13日、万葉集の編さんに関わった歌人・大伴家持(718~785)の父で太宰府長官だった大伴旅人(665~731)の自宅での宴席に集まった32人の役人が、庭園にあった梅にちなんで詠んだとされる。
彦根市内の歌の一つは、「淡海路(あふみぢ)の 鳥籠(とこ)の山なる 不知哉(いさや)川 日(け)のころごろは 恋(こ)ひつつもあらむ」。第三十七代の崗本(斉明)天皇(594~661)が詠み、万葉集第4巻に収められている。
彦根万葉集を読む会(現在は解散)が平成21年(2009年)12月に彦根駅東口に設置した石碑には、その歌の意味として「淡海路の鳥籠の山を流れる不知哉川の名のように、さあどうなのでしょう。この日頃もあなたを恋い慕いつつ過ごしていましょうか」とある。
鳥籠の山とは、彦根を通っていた東山道に鳥籠の駅があったとされ、その近くの大堀山や正法寺山、東山があげられる。天智天皇の子・大友皇子と、弟の大海人皇子が皇位継承を争った壬申の乱では鳥籠山で戦があった。
不知哉川とは芹川が有力だが、原町の小川との説もあり、不知也川と呼ばれている。「いさや」には「さあどうなのか」の意味もある。
市内を詠んだもう一つの歌は「犬上の 鳥籠の山なる 不知哉川 いさとを聞こせ 我が名告らすな」。
彦根万葉集を読む会の元講師で彦根城博物館建設準備室次長や彦根東中学校長などを歴任した礒崎啓さん(91)=米原市=によると、後半部分の現代語訳は「さあ、知らないとおっしゃってください。私の名を言ってくださるな」。作者は「詠み人知らず(作者不明)」で、「2作とも恋を詠んだ歌だ」と解説した。
大堀山のふもとには2つの作品を記した石碑が建っており、裏面には「平成6年夏」との建立時期が書かれている。
なお同会は昭和55年(1980)に磯崎さんが講師を務め、東地区公民館で毎月1回、万葉集の教室を開き、県内外から受講者がいた。
結成30周年の平成21年12月には彦根駅東口に万葉歌碑を建立し、12日に除幕式を開催。磯崎さんや当時の獅山向洋市長らが出席した。この模様は本紙の12月16日号でも紹介している。同会は一昨年に解散している。
0 件のコメント:
コメントを投稿