

特性については、彦根や米原の後背地の山岳地帯に築かれた「霊山山系の山城」として、八講師城跡(米原)を取り上げながら「山奥からの出撃拠点であり、山奥へ侵入する際の防御拠点との構造が男鬼入谷城と似ている」と解説。「江南の六角氏と江北の浅井氏のはざま地帯で、統治権が及ばない治外法権のアジール(聖域)だったのでは」とも述べた。
戦国時代のこの地域を支配した武将としては、天文22年(1553年)に六角氏に敗れた後に消息不明になったとされる京極高広(高延)をあげ「ゲリラとして支配し、その拠点として男鬼入谷城を築いたのかもしれない」と推測。その後の動向として、中井教授は「霊山山系は堀氏が引き継いだが、堀氏の解体をもって織田信長政権下に組み込まれたと思われる」と語った。
セミナー後のフィールドワークでは中井教授の解説で、男鬼入谷城の遺構跡を見学した。
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