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2019年12月5日木曜日

明智光秀の多賀出身説、澤田順子さん冊子に

 多賀町佐目出身の澤田順子さん=彦根市松原町=が、来年のNHK大河ドラマの主人公、明智光秀の佐目出身説について解説した冊子「明智十兵衛光秀 謎多きルーツに迫る 多賀出身説!」を作成した。
 光秀の出生地は美濃地区(岐阜県南部)が有力視されているが、明確な一次資料がなく、現在は多賀町佐目を含め6カ所の地域名があがっている。澤田さんは昨年10月以降、多賀大社の古文書や江戸時代前期の本「淡海温故録」に光秀の佐目出身説が記されていることを確認。ほかの資料も参考しながら独自に調査してきた。
 冊子では▽佐目に光秀の光から「見津」と書いて「けんつ」と読む一族が残っており、見津五人衆の口伝が残る▽佐目に3つの山城跡がある▽本能寺の変の4日後に光秀が自筆で書いた「禁制」の書物が多賀大社に現存する―などを「出身説のポイント」として紹介。
 「戦国時代の混乱で明智家は佐目に入り、見津という姓にした五人衆の家来が光秀を守った」「山城の一つのふもとに十兵衛屋敷跡が伝わる」「本能寺の変が起こった1582年6月2日の4日後に『多賀門前で暴れてはいけない』などと光秀が多賀社中に発給した文書が残る」などの内容をまとめている。
 ほかに、佐目に残る十二相神社や法蔵寺などを関連場所として、澤田さんが作った地図「見どころポイント・おすすめルート」も掲載している。
 澤田さんは「明治以降、光秀の関係者は差別を受け、隠された歴史があった事実もわかった。大河ドラマを機に故郷の歴史をひもとくきっかけになればと思う」と話している。冊子は横18㌢×縦21㌢。1000円。問い合わせは澤田さん☎090(2018)1361のメール(3ginweb@gmail.com


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