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2022年1月17日月曜日

豊郷町の名所ウォーキング

 豊郷町観光協会が主催し、昨年末に開かれた町内の歴史的な名所を歩く「中山道散策『豊郷の先人を訪ねて』」に本紙の山田貴之記者が同行。彦根市民にもあまり知られていない名所を含めて紹介する。
 
「雨ごい蛇伝承」残る池
辰年に四十九院練り歩く神事も
 
 一行は県内の市町から参加した21人。午前10時、2グループに分かれてボランティアガイドと一緒に豊郷駅を出発。最初の四十九院にある蛇(じゃ)池は約760年前に、雨ごいによって大雨が降り、竜が天に舞い上がったという「雨ごい蛇伝承」が残る井戸。以降12年に一度の辰年に、全長約6㍍の竜を手作りして練り歩く神事が行われている。ここに咲くスズムシバナはスズムシが鳴くころに咲く多年草で、朝開いて夕方に散る一日花。滋賀や京都など西日本8府県では絶滅危惧種に指定されており、豊郷町が最北端の地とされる。
 
豊郷の偉人 功績を紹介
先人を偲ぶ館 唯念寺 旧豊郷小
 次に同じく四十九院の先人を偲ぶ館、薩摩治兵衛記念館、唯念寺を訪問。先人を偲ぶ館では、北海道の地で漁業を開発し又十の商標で独立開業した藤野喜兵衛(1770~1823)、関東で商人として成功した薩摩治兵衛(1829~1909)、現代の伊藤忠商事と丸紅を築いた伊藤忠兵衛(1842~1903)と七代目・伊藤長兵衛(1868~1941)、私財により豊郷小学校旧校舎群を建てた古川鉄治郎(1878~1940)らの功績を学んだ。
 豊郷小学校旧校舎群では音楽室などの教室、弁当を保温していたという階段下のボイラー室、講堂などを見学した。
 
伊藤忠兵衛を育てた旧宅
明治13年建設、貴重な品々も
 
 午後はまず、伊藤忠兵衛記念館を訪れた。明治13年に敷地面積約1785平方に建物面積延べ約700平方㍍で建設された初代・伊藤忠兵衛の旧宅で、二代・忠兵衛の生家でもある。玄関を入ると、実際に使われていたという提灯(ちょうちん)が目に入る。左手に女中部屋、右手に店の間と台所があり、その奥に仏間、隠居部屋、明治40年代に作られた当時では珍しい西洋風のバスルームの洋式風呂などがある。庭園を見ながら廊下を進むと、離れや土蔵2棟があり、土蔵には伊藤家が保存してきた貴重な品々が展示されている。庭園の奥には2000年に復元された茶室がある。初代が使っていた様式の帳簿類、二代目愛用のステッキなど、当時がしのばれる品も見学できる。同記念館は入館無料。月曜休館。同記念館の近くの「くれなゐ園」は初代33回忌を記念して建設され、園内には初代の肖像画をはめた石碑がある。
 
あかぼの印缶詰の藤野家
又十屋敷、井伊家ゆかりの品
 
 次の「豊(ゆたか)会館」は、江戸時代後期生まれの藤野喜兵衛喜昌の旧宅。建物の別名を又十(またじゅう)屋敷とも呼ぶが、その理由として、若くして北海道に渡った喜兵衛が「又十」の商標と「柏屋」の屋号で店を構え、漁場を開いて廻船業者として活躍したことから。四代目の辰次郎は明治20年(1887年)に根室の官営工場の払い下げを受ける形でサケ缶の製造に着手。その4年後には官製商標だった函館五稜北辰の星印を北海道庁から譲与された缶詰に貼り付け、そのブランド力によって、海外進出と陸海軍の御用達となった。北海道の缶詰王と称されるほど成功を収め、県議会議員を2期、衆院議員にも当選した。明治42年に亡くなるが、「あけぼの印缶詰」として現代まで受け継がれている。
 最盛期、藤野家の旧宅は二十数軒の家屋があったが、現在では本宅、文庫蔵、長屋門が残っている。昭和初期には役場などとして使われたが、その後は荒廃。そのため地元の企業家らの協力で再興し、明治100年にあたる昭和43年に「豊会館」郷土資料館として開館した。井伊家とのつながりも深く、赤備えの甲冑、湖東焼などを展示。「松前の庭」と言われる庭園も一見の価値がある。豊会館館長で豊郷町観光協会ボランティアガイド協会会長の北村進さん(77)の歴史解説も見ものだ。豊会館は月水金が休館、入館料は高校生以上200円・小中学生100円。
 
江州音頭生まれた千樹寺
相次ぐ焼失も又十二代目再建
 
 最後の千樹寺は奈良時代の僧・行基が江州四十九院の一つとして創建。1568年に織田信長を交えた戦火で焼失したが、観音菩薩は難を免れ、1586年に地元の藤野家の浄財で再建。その時に江州音頭の基礎が仕上がったとされる。1784年の村の大火で再び焼失するが、「又十」二代目の藤野四郎兵衛良久が亡き父の遺志を継いで再建。八日市の西澤寅吉を私邸に招いて、経文や祭文を入れた音頭を作らせ、絵日傘や扇を組み込んで、同年8月17日に躍らせた。「踊らにゃ損」の音頭が人気となり、江州音頭として各地に広まったとされる。
 その後、一行は豊郷駅で解散し、約5時間の旅を終えた。

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