中田さんは約40年前に米国文学を研究する夫に同行し、米国の思想家らの墓碑銘を拓本にしたのを機に関心を持ち、帰国後の40代後半から各地の墓碑などの拓本を始めた。70歳の時に自宅近くのツツジが描かれたマンホールに興味を抱いて以降、全国各地を巡って創作活動をしており、これまでに100カ所以上の作品を仕上げた。中田さんの夫が、旧彦根藩士とされる中田貞矩(さだのり)の末えいだといい、以前からゆかりのある彦根のマンホールの拓本を望んでいた。
彦根のマンホールのふたは直径約65㌢で、現在のデザインは市制施行50周年の1987年に採用。中央に大きな市章、その周りに小さな市章、周囲に市の木の橘の花を配置している。
松煙(しょうえん)にオリーブ油を入れて湯煎して溶かした後、藻草を混ぜて墨を作製。綿に絹をかぶせた大きさの異なるタンポをその墨につけ、マンホールにあてた上質の和紙に押し付けながら仕上げていく。彦根での作業には上下水道部の倉庫に保管されている予備のマンホールを活用。市民会館のギャラリー内で午前10時半から午後1時半まで実施し、計3点を完成させた。
中田さんは「マンホールのふたは色んな種類があって、各地域の特色がわかっておもしろい。彦根のは特に橘の花の部分が好き」と話していた。
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