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2023年2月20日月曜日

彦根藩の足軽が鉄砲で撃った跡の残る的を張り付けた扁額 西明寺で発見

 旧彦根藩の足軽たちが鉄砲で撃った跡の残る的を張り付けた「扁額(へんがく)」(縦約1㍍×横約1・9㍍)が、甲良町の西明寺に残されていることがわかった=写真は谷口徹さん提供。実在した足軽の氏名や文政11年(1828年)に奉納されたことがわかる墨書が記されており、調査した彦根城博物館では「歴史的に重要な史料だ」としている。
 扁額は寺社の建物内外に掲げられる額。西明寺では本堂を整理していた中野英幸副住職(30)が昨年6月に宝庫で発見。元彦根市文化財部長の谷口徹さんや彦根城博物館の学芸員らが調査したところ、約12㌢四方の薄い木に貼られた紙の中央に、直径約5・8㌢の黒い丸が記された的65枚が平らな板に釘でそれぞれ張り付けられていた。
 的には鉄砲で撃った穴があいており、そのうち解読できた12枚には「小澤久右エ門」や「筒川加内」といった足軽の氏名が書かれていた。当時の旧彦根藩の足軽は37組に分かれていたが、足軽大将が変わるたびに組名も変更していたという。文政11年時、小澤は夏目外記(げき)組、筒川は鈴木平兵衛組に在籍していたとする記録が残る。
 彦根城博物館によると、足軽の末えいの家では単独の的が見つかったことはあるというが、調査した学芸員の北野智也さん(33)は「色んな足軽たちがまとまって奉納した扁額は見たことがなく、歴史的にも非常に重要だ。ただ、練習で撃った的なのか、奉納のためだったのか、なぜ西明寺に奉納したのかはわからない」と話している。
 旧彦根藩と西明寺は江戸時代を通して、藩主が諸物を寄進したり、重臣の藩士が本堂の修繕をしたりするなどの交流があった。

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