お盆の時期を迎えた今日、我々国民は、間もなく退陣し(ずいぶん前から)死に体と化している現政権に対して、同情にも値しない哀れみさえも禁じ得ないが、「多くの国民」が民主党を支持し政権交代が成された平成21年8月30日から、2年を迎えようとしている。
「多くの国民」はなぜ、民主党に政権を与えたのか。一つは、先の自民党政権による既得権益がらみ(政官財癒着構造)の政治手法への嫌悪感や、民主党が掲げた脱官僚・「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズへの期待感から。
二つ目には、民主党が「ぶら下げた」、子ども手当、戸別所得補償、高速道路無料化、高校授業料無償化のいわゆる「バラマキ4K」という甘い人参に食いついてしまったからである。
一つ目の耳障りの良いコピーへの期待感は既に虚無感へと変わっており、ここで述べるまでもなく、小生が問題視したいのは4Kについてである。4Kには政権交代直後から財源面で疑問視され、小生も当時のコラムで「必ずしも党の政策を国民が評価したのではないという前提の基で政権運営を担うべきだ」「大局的視点に立ち、抜本的な見直しを恐れる姿勢も必要である」と指摘していた。約2年が経ち、ようやく党内でも4Kなどが実現できないことに気づき始めたようで、党幹部が見直しを表明している。
先の東日本大震災後に、石原慎太郎都知事は「日本人のアイデンティティーは我欲。天罰が下った」とコメントし批判されていたが、いかにも文学者らしい、良い意味で不器用で、奥深き物言いである。
つまり石原氏の言葉に包含されているのは、4Kに飛ぶつくという、いわゆる我欲を満たそうとするお上頼みの国民性への警告であり、またこれも日本人の特性である付和雷同的な資質からの脱却を求めているのであろう。
4Kに食らいつき、民主党政権を誕生させ、今になって後悔するのは自業自得だといえようが、それ以上に前首相が(自己を省みずに)現首相を「ペテン師」と呼ぶように、国民をペテンにかけるという欺瞞に満ちた同党の責任は重大である。
トロイカ体制のうち、首相を務めた(ている?)角と飛車的存在(その実力は角と飛車以下だったが)の鳩と菅がこのザマである。頼りない民主党に「多くの国民」が愛想を尽かしたことは正しい選択であるが、そう遠くはないであろう次の総選挙までしばらく続く民主党政権に対して、「多くの国民」は欺かれることなきよう、冷徹な目をもつと共に、我欲を少しでも捨て、この国の礎を築いた、武士道精神を引き継いでいたあの時代の国民性に回帰することを決意する―。そのような時節にあるのではなかろうか。 【山田貴之】
彦根市と犬上郡の話題を中心に、関連する国政や滋賀県政のニュースもお送りします。取材依頼や身近な話題の提供などもお待ちしています。 電話0749-65-0608 FAX0749-62-4483 メール(hikone@shigayukan.com)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿