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2020年9月21日月曜日

彦根藩士・平石久平次発明の陸舟奔車の復元品 墓がある長松院に

 自転車のルーツとされる三輪車「陸舟奔車(りくしゅうほんしゃ)」。発明したのが彦根藩士・平石久平次時光(1696~1771)だということを知る市民は多くないだろう。陸舟奔車の復元品は彦根市民会館に保管されていたが、久平次の墓があり、10月に250回忌を営む長松院(中央町)に1日、移された。復元品の見学自由。

天文暦学者の旧彦根藩士
遺著に「新製陸舟奔車之記」
 久平次は元禄9年に彦根藩士の平石弥右衛門家に誕生。幼少期から和算を好み、京都の和算家に入門して天文と和算を究めた。200石を受領し、鉄砲薬煎合奉行や大津蔵目付役などを経て、宝暦2年に蔵奉行に。また年暦を編さんし、新製日本天文分野図や星極運暦などを著し、当時の一流の天文・暦学の学者だった。
 明和8年8月12日に亡くなった後、天文暦学の本180冊や馬術書類69冊、軍学書類23冊、日記56冊などの遺著が、長松院に建立された三重塔に寛政2年(1790年)8月12日に納められた。大正3年(1914年)1月に書物類549点が取り出されて横浜に移されたが、大正12年9月1日の関東大震災で焼失。昭和8年(1933年)に彦根史の編さん委員の申出で、残りの書類が塔から取り出され、以降は図書館が保管。郷土史料目録第5集「平石家文書606点」として昭和44年に刊行している。三重塔は戦時中に徴収され、現在は土台部分が残る。
平石家文書のうち「新製陸舟奔車之記」には、武州児玉郡北堀村(埼玉県本庄市北堀)の門弥という人物が陸船車を発明した噂が8代将軍・吉宗の耳に入り、享保14年(1729年)3月3日に江戸へ持参江戸へ持参。その際に彦根藩士が見た絵図と見聞記が収録された。一方で「新製陸舟奔車之記」には、別の陸船車を紹介した本の絵なども載っていた上、門弥が江戸へ持参した前の享保13年から同17年までに久平次が3種類の異なる機構の舟形の自転車を考案したことがわかる設計図などもあった。
3種類のうち陸舟奔車はペダルを効率よくこぐためのハンドルを設け、車輪に付けたクランク軸に回転するペダルを取り付けている点が特徴だ。世界最古の自転車はドイツのドライジーネが1818年に2つの車輪を一直線に並べてハンドルを付けて足で地面をけって走らせたもの。ペダルを付けた自転車はフランスのピエール・ミショーが1860年に考案。久平次が発明した陸舟奔車はそれらよりも前ということになる。

テレビ番組で復元
1025250回忌
 復元品は平成15年(2003年)1025日に放送されたテレビ番組「ビートたけしの!こんなはずでは!!」のために作られた後、彦根市立図書館に寄贈された。幅約2㍍27㌢×奥行き約1㍍×高さ約1㍍4㌢。
 長松院は久平次の250回忌に合わせて、墓所にあった墓を今年7月初めに本堂前に移動。陸舟奔車の復元品を借り、今月1日から11月末まで久平次の位牌がある弁天堂で展示する。見学希望者は寺に一声を。250回忌は1025日にある。手塚紀洋住職(48)は「250年を経て(陸舟奔車が)この寺に来た。非常に感慨深い。彦根の偉人について、これを機会に多くの方に知っていただけたら」と話している。


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