2011年3月30日水曜日

滋賀県議選・彦根選挙区出馬予定者招きラジオ討論会、滋賀彦根新聞はネット中継

 滋賀県議選が4月1日に告示を迎える(投票は10日)。彦根選挙区(定数4)には、民主現職で対話の会推薦の中沢啓子氏(52)、民主現職で対話の会と社民推薦の江畑弥八郎氏(56)、自民現職の西村久子氏(67)、自民新人の細江正人氏(64)、共産新人の中川睦子氏(53)の5人が出馬する予定。先週25日に滋賀彦根新聞社とエフエムひこねが5人を招き行ったラジオ討論会では、震災対策や嘉田県政への姿勢、地方議会のあり方などについて白熱した議論が繰り広げられた。動画は本ホームページで視聴できる(以下敬称略)。
震災・原発対策は?
 中沢「まずは備えること。今は10㌔圏内を想定した計画しかないため、関電、国、福井県ともう一度見直しをする。県民の備えについてもマニュアル化など、減災の考えが大事」
 西村「普段からの訓練が必要。防災計画も見直すべきだし、どのように確かな情報をすぐに届けるか。それぞれがどのように身を守るか。その積み重ねだと思う」
 江畑「今回は想定外の震災に加えて、原発の事故もあった。今後、滋賀県も防災計画の大きな見直しが必要になる」
 細江「国と県は情報の収集と開示。我々は共助のネットワークを進められるのではないか」
 中川「私は想定外だとは思っていない。共産党では70年代から原発について、こういうことが起こると何度も国に申し入れてきた。予算の積み上げを含め、きっちと対応するべき」
 中沢「(福井とは)間接隣接県になっていて、ヨウ素剤や防護服も持っていない。そこは早急にやらないといけない」
 江畑「県の危機管理センターも強い地震に耐えられないため、前倒ししようという話になっている。どんどん予算を詰め込めば良いのだが、財源の問題もあるため、計画的に進めていくことが大事」
 西村「原発の安全神話は完全に崩れてしまった。先ほど想定内という話があったが、私は想定外だと思う」
 中沢「関西広域連合ができた。防災は兵庫県が担当しているが、今回の震災を受けて、しっかりと関西で支えていくと、もちろん福井を含める必要もある」
地方議会のこれから
 江畑「地域政党の流れが強まっており、既成政党が厳しい局面に置かれている。それをしっかりと受け止めて、これからどういう議会にしていくべきか、真剣に考える必要がある。議員報酬や定数の削減だけでなく、議員の資質をどう高めるのかを、皆さんと意見交換をしたい」
 中沢「しっかりと議論しながら、議会のあるべき姿をつくっていって、改革していかなければならない」
 西村「議員報酬と定数を2割減らす。そして職員の数も2割減らしましょう、ということを訴えていきたい」
 細江「政党政治と二元代表制の事をきちんと抑えておかないと。地方政治は二元代表制で、首長も議員も直接に選び、首長と議会とは対局でなければならない」
 中川「報酬は何かをしたことに対するものだから、きちんと仕事をしてもらわなければ、市民は納得しない。きちんと仕事をしていれば高いとは思われない」
 江畑「議員評価制度を設けて、この議員は仕事をしている、という事を県民が判断できる仕組みを作らないと」
 細江「議員の数は減らすべきで、市議会でも削減してきた。数が少なくても良い仕事はできる」
 江畑「数を減らすことを前提にした議論ではなく、議員一人ひとりがどういう仕事をしているのか、県民に見えるようにする方が大切」
 中川「市民の皆さんの声をくみ上げる機会がなければならない」
 西村「県民生活をどう守るのか、どこを切るのかと考えた時、議員報酬と定数の削減、職員の減になる。私たちの腹も切ることになる。決してきれい事ではない」
 江畑「県の財政はほとんどが借金の返済。過去の箱物のつけであり、そこからイコール議員定数削減などにもってくるのは、直結すぎる」。
犬上郡は一騎打ちに
 犬上郡(定数1)は、民主現職の辻孝太郎氏(66)と、自民推薦で元豊郷町長の大野和三郎氏(55)が出馬する予定。

「緑の分権改革推進事業」市民出資で太陽光発電システム設置 森の子保育園とる―ぶる愛知川に、ひこにゃんスイッチ押す

 市民からの出資で太陽光発電システムが設置された森の子保育園(彦根市野瀬町)で28日、開所式が開かれ、ひこにゃんと園児代表が発電開始のスイッチを押した=写真
 総務省が平成21年度から取り組んでいる「緑の分権改革推進事業」で、湖東定住自立圏内では、森の子保育園と「るーぶる愛知川」に設置するため、市が出資者と寄付者を募っていた。
 費用は472万5000円(るーぶるは370万円)で、約半額を出資金で負担。46人から計325万円の出資、1人から100万円の寄付があった。
 太陽光で作られた電気は各施設が買い取り、余った電力は関西電力に売却され、その金が出資者に年率4~10%の割合で還元される。還元の完了期間は10~20年。

3月で閉店 自然の布館「より~な」で最後のイベント

 今月で閉店する彦根市河原2丁目の憩いの場「自然の布館『より~な』」で、25日から27日まで最後のイベントが行われ、閉店を惜しむ人たちで賑わっていた。
 彦根出身の画家・上田道三のめいとしても知られる平居圭子さん(77)=後三条町=ら女性グループが、人々が気軽に集える場所をつくろうと、元々は油問屋だったという古民家を活用し平成11年11月にオープン。彦根の方言から「より~な」と名付け、小物の展示販売、演奏会、カルチャー教室、ギャラリーなどのスペースとして活用してきた。
 県外の家主から、隣接する美容院と合わせて売却に出すとの打診があった。イベントでは、大正琴や三味線の演奏、タイの伝統舞踊などが披露。平居さんは涙を流しながら「多くの人たちと出会えて、本当に良かった」と話していた。

2011年3月29日火曜日

ひこねのよいにゃんこの商品販売取り止めなど求め 彦根市が大阪地裁に訴状提出、ひこにゃん騒動

 彦根市は28日、ひこにゃんに類似の「ひこねのよいにゃんこ」(にゃんこ)の作者や、よいにゃんこ商品の販売業者らを相手取り、大阪地裁に訴状を提出した。
 訴状では、よいにゃんこは、ひこにゃんのような「2本の角付きのかぶとをかぶった擬人化された白い猫」との観念を生じさせるとし、よいにゃんこ商品の販売などは、不正競争防止法に違反する行為で、市が所有する商標権と著作権の侵害にあたるなどと指摘。デザイン会社と同社取締役の原作者、市内外の4業者に対して、商品の販売中止と損害賠償4750万円などを求めている。
 獅山市長は「原作者側は私どもの多大な努力にただ乗りする形で、類似商品を販売し、消費者を混同させている。このような事態を早く解決したい」と話している。

2011年3月28日月曜日

旧外堀 袋町 七曲りで「散歩道」整備へ

 観光客の周遊性を高めようと、彦根市は今年度から旧城下町に「散歩道」を整備している。
 歴史的な建物が残っている地域の道路を土色にするほか、側道部分を石貼りにしている。ほかにも、石材を使った道しるべや案内板を各所に設置する予定。
 市は、すでに10年ほど前までに「そとぼりさんぽみち」(全長約1㌔)の旧市立病院(本町2丁目)から夢京橋キャッスルロードまでの整備を終了。今年度は外馬場公園(中央町)までの、長松院と金亀会館前の道路整備と、旧外堀にかかる道(橋)に高欄(石製の手すり)を設置する。
 平成23年度は外馬場公園から袋町界隈までの「袋町さんぽみち」(約500㍍)の一部を行う。以降、「七曲りさんぽみち」(約1㌔)でも予定している。

2011年3月27日日曜日

豊郷・被災地間を何度も往復 給油活動で 油藤商事の青山裕史さんら

 東日本大震災の被災地では、ガソリン不足で緊急車両や物資運搬車、現場での作業車などに影響を及ぼす事態になっている。豊郷町の油藤(あぶらとう)商事は震災後、自車のタンクローリーにガソリンや軽油を入れ、連日のように被災地へ運んでおり、28日からも宮城県内で燃料供給の支援をする。
 取り引き業者から15日に支援要請を受けた同社は、タンクローリーに4000㍑の軽油を入れ、17日午後2時ごろ生活協同組合コープしがの野洲事務所から、宮城県仙台市へ向けて出発。北陸道、磐越道を経て福島県郡山市から東北道に入り、出発から約18時間後の翌日午前8時ごろ仙台市内に入った。現地ではコープみやぎの大型トラック(物資運搬車)へ給油を行った後、すぐにまた帰路につき、19日午前0時ごろに戻ってきた。
 帰路の最中には再び支援要請を受けたため、次はガソリンを4000㍑積んで19日午前8時ごろ、群馬県高崎市に向けて出発。その日の午後4時ごろに現地入りし、給油施設に供給してすぐにまた帰路につき、翌日午前1時ごろに戻った。24日にも豊郷町と高崎市を往復した。
 同社は28日に再度、仙台市内に向かうのに合わせて、宮城県内で物資運搬車や被災地で作業する重機への給油活動を行うための申請を、宮城県災害対策本部に出しており、同本部の要請があれば、31日まで被災地で活動する予定だ。
 被災地への運搬は専務の青山裕史さん(39)と同社社員の2人が交代でしている。沿岸は通っていないため、津波による被害は目にしていないとのことだが、倒壊した家屋や割れた道路をみて、地震の恐ろしさを感じているという。
 また仙台市内ではタンクローリーを見た、通勤途中の女性2人から拍手で迎えられたり、信号待ちをしていた際は男性から頭を下げられたりしたという。
 青山さんは「被災地の方々が困っておられる時に支援できることをしておかないと、一生後悔すると思った。社員も協力してくれているし、できることはすべてやりたい」と話している。

MITSUNARI 11(三成イレブン) 漫画家・宮下英樹さんの三成像 「戦国無双3」武将等身大パネルなど、夢京橋あかり館で

 人気漫画家が描いた石田三成像や、三成ゆかりの地をひこにゃんが案内する映像などの企画展「MITSUNARI 11(三成イレブン)」が、26日から夢京橋キャッスルロードの夢京橋あかり館で始まる。
 三成と、島左近や大谷吉継、真田幸村、直江兼続ら10人の同志たちの肖像画などをパネル展示しているほか、ヤングマガジンで「センゴク天正記」を連載している漫画家・宮下英樹さんの三成像=写真=を初公開。
 アクションゲーム「戦国無双3」に登場する三成や左近、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの等身大パネルの展示。佐和山城跡や三成の供養塔、石田地蔵などの地をひこにゃんがガイドする映像コーナーもあり、子どもから高齢者までが楽しめる企画に。
 入場料は高校生以上200円、小中学生100円。有料観覧者には図録と特製グッズ進呈。開館は午前9時半~午後5時半。火曜休館。26日午前11時半~のオープニングイベントには、ひこにゃんといしだみつにゃんも駆けつける。

2011年3月26日土曜日

彦根市と滋賀県立大学 協定締結、地域振興・教育などで連携強化

 彦根市と滋賀県立大学は、地域振興や教育などの分野で連携を深めるため、協定を締結することにし、24日に市役所で調印式を開いた。市は滋賀大とも協定を結んでいるが、県大の自治体の単独締結は初。
 市と県大は、彦愛犬の古民家など地域資源の活用、学生の実習のための受け入れ、彦根城世界遺産登録推進委員会委員への就任、伝統的建造物群保存地区の調査など、さまざまな分野で相互連携している。
 両者は、平成23年度から新たな彦根市総合計画が策定されるのに合わせて、協定締結でこれまでの取り組みをさらに充実させていく。調印式で獅山市長は「今回の締結を機に今後も市政のために一層の協力をお願いします」とあいさつ。県立大の曽我直弘学長は「市民のためになるよう、今後も連携を進めたい」と述べた。

佐々木家住宅=旧彦根藩・表御殿の一部初の発見 彦根市指定文化財に 廃寺普光寺・塔心礎 足軽組屋敷善利組・吉居家住宅翡翠大珠も

 彦根市教委は23日、旧彦根藩・表御殿の一部とみられる佐々木家住宅(後三条町)=写真=など4件を市指定文化財にしたと発表。歴代藩主が過ごした表御殿の発見は初めてで、文化財課では「極めて貴重な歴史的建造物だ」としている。
 表御殿は、彦根城が創設されたころは天守前にあったが、直後の元和年間(1615~24)に現在の地に移され、以降250年以上、歴代藩主が過ごしてきた。明治9年(1876)に彦根城が陸軍省の管轄になり、同11年に同省が大津に移ると、表御殿などは公売に出された。文化財課によると、公売を知った日本生命の創始者で彦根出身の弘世助三郎が建物の一部を購入し、現在の地へ移し、元々あった町家と一緒に別荘にしたされる。後に税務署長の官舎として貸し出され、大正時代に署長として赴任したことをきっかけに佐々木家が購入した。
 建物は平屋でL字状に3室あり、そのうちの座敷には四方柾(しほうまさ)=民間では使われない上等な柱材=のヒノキが使われ、内壁は群青色の漆喰壁になっている。また各部屋の長押(なげし)=柱と柱の間の装飾型の横木=には彫金による釘隠=釘を覆った金具=が使われている。これらの建築材料や内部の仕上げから、文化財課は表御殿の建物が移築されたと判断した。
 ほかに指定されたのは、▽旧彦根藩足軽組屋敷善利組・吉居家住宅(芹橋2)=江戸時代後期▽廃寺・普光寺(普光寺町)の塔心礎(とうしんそ)=寺院内の塔の中心部を貫く柱の礎石=白鳳時代(7世紀後半~8世紀初頭)▽丁田遺跡(高宮町)から出土した縄文時代の最高級の装身具・翡翠大珠(ひすいたいしゅ)=縄文時代中期末(紀元前約2500年)。
 今回で市指定は71件。国指定22件、県指定12件。

湖東定住自立圏 地産地消の給食コンテスト、田中桂子さんの「オムレツのkotouのラタトゥユ添え」最優秀賞

 湖東地域の農産物を活用し給食メニューを考えるコンテストが行われ、彦根市内に勤務する田中桂子さん(40)=守山市=の作品「オムレツのkotouのラタトゥユ添え」が最優秀賞に輝いた。23日に市民会館で表彰式が開かれた。
 湖東定住自立圏の事業で、彦愛犬に在住・在勤の女性6人から応募があり、1月27日に書類選考、2月24日に調理選考が行われた。
 田中さんは、県立大の前身の短大時代に食物学科で料理を学び、実習では給食メニュー作りも経験。「料理は作るのも食べるのも大好き。子どもたちに野菜をたくさん食べてもらえるようなメニューを考えた」と話していた。
 優秀賞は、市内勤務の木村千景さん(42)=米原市=の「豚肉とアスパラのしょうが焼き」と、北川和江さん(63)=愛荘町=の「鶏茶漬け」だった。3人の作品は来年度の彦愛犬内の学校給食に出される予定。

2011年3月24日木曜日

ラジオ討論会をユーストリームで生中継 県議選出馬予定者招き ツイッター・フェイスブックで意見募る、滋賀彦根新聞社初の試み

ラジオ討論会の模様をインターネットで生中継するという、滋賀彦根新聞社の初の試みが、あす25日午後3時から行われる。
ラジオ討論会は、4月1日告示・10日投票の県議選・彦根選挙区に出馬予定の5人を招き、エフエムひこね(立花町)のスタジオで行われる。本紙とエフエムひこねの共催で、彦根青年会議所が後援する。
討論テーマは、震災対策、地方議会のあり方、嘉田県政への姿勢、高校統廃合などの問題を予定しているが、市民からも随時、質問や意見を受け付けている。
本紙によるネット生中継は、パソコンなどで動画が視聴できる「ユーストリーム」を採用。本紙担当者が撮影した討論の様子がネット上に流れ、出馬予定者の意見に対して、ツイッターやフェイスブックなどを使って瞬時に質問や感想が書き込める。当日の視聴方法は、本紙のホームページか専用アドレス(http://www.ustream.tv/channel/hikonenews)から。ラジオ討論会は1時間半。エフエムひこねでは26日と28日の午前9時からも放送。

米国ミシガン州立大学連合日本センターの留学生帰国へ 福島第1原発事故で

 福島第1原発の事故を受けて、彦根市松原町の米国ミシガン州立大学連合日本センターの留学生44人が帰国することが、21日わかった。
 米国政府は原発から半径80㌔圏内に滞在する自国民に帰国勧告を出しており、米国内でも連日、原発の報道が繰り返されている。ミシガン州立の各大学にも彦根に留学する学生の一部の保護者から帰国を求める要請があった。留学生は昨年9月からと今年1月から訪れており、残り1カ月の滞在期間があったが、同センターは本部の指示に従い、25日までに順次、帰国させることにした。
 原発からの放射能漏れは彦根には影響していないが、同センターによると「テレビなどは日本語の放送だけで、不安がっていた学生もいた。東日本に出かける学生もおり、安全を第一に考えた」としている。

彦根西中学・生徒会が彦根城で募金活動

 被災地支援のため、彦根西中学校の生徒会が19、20日の両日、彦根城表門橋の前で募金活動をした。
 生徒会のメンバーは、「東北への義援金をお願いします」や「あなたの気持ちで多くの人を笑顔にできます」と書かれたプラカード、募金箱を自分たちで作り、19日と20日に11人が、観光客らに「協力をお願いします」と言いながら募金活動をしていた。
 生徒会長の正木貴大君(14)は「震災現場には行けないので、僕たちができることは募金だと思い活動した」と話していた。
 西中では15日の卒業式や16日から18日までの校門前でも、生徒や保護者らが募金活動しており、彦根城と合わせて計26万0799円を集めた。市社協を通じて現地に渡される。

障害者の就労移行支援事業所「働き教育センター彦根」 関西福祉学園がブリヂストン彦根工場に開設

 障害者が安心して働き続けることができるようにする施設(就労移行支援事業所)「働き教育センター彦根」が、ブリヂストン彦根工場(高宮町)内に完成。21日に開所式と見学会が開かれた。企業内に就労移行支援事業所ができるのは全国で初めて。
 障害者の就労に関しては、就職してもいじめを受けるなどで仕事をすぐに辞めてしまうことが問題となっている。
 ブリヂストン彦根工場では10年以上前から交流を続けている甲良養護学校と昨年度、障害者の就職支援などを進めるためのプロジェクト会議を発足。障害者に企業での対応力や社員とのコミュニケーション能力を身につけてもらうための教育施設の設置を進めていた。
 設置・運営主体は平成19年に大津市内に「本部」となる働き教育センターを設立した関西福祉学園(京都市)。教育(甲良養)、企業(ブリヂストン)、福祉(関西福祉学園)が三位一体となり、障害者雇用の安定化を目指す。同学園では今後、県内各地の企業にも、彦根のような「支所」施設を設ける。辻勝司理事長は「障害者の離職率は8~9割。社会と障害者の間にはサポートが必要だ」と話す。
 障害者は、大津でコミュニケーション能力を、彦根などで実践を学び、専門学校の修了資格も取得。定員は年間10人だが、新年度、彦根では、すでに大津でコミュニケーションを学び、ブリヂストンへの就職を希望する4、5人でスタートする。施設には介護福祉士、社会福祉士などの資格をもった3人が常駐し、障害者のケアにあたる。
 ブリヂストン彦根工場の橋本誠工場長は「甲良養護学校との交流で思いやりの大切さを学んだ。思いやりの基本は弱者の気持ちがわかること。ものづくりの現場は危険だが、皆さんの支援をいただきながら、協力していきたい」と話している。

2011年3月23日水曜日

JICA・シニア海外ボランティア 彦根の藤下宗世さんコロンビアへ

 JICA(国際協力機構)のシニア海外ボランティアとして、彦根市の藤下宗世(むねよ)さん(65)=写真=が24日にコロンビアに向けて出発する。
 シニア海外ボランティアは、中高年がさまざまな分野で長年培ってきた技術を、アジアやアフリカ、中南米など発展途上国で生かしてもらおうと、1~2年間、各国に派遣する制度。平成2年度に創設され、今年1月31日時点で66カ国に4518人が派遣されている。彦根市からは今回の藤下さんを含めて2人のみ。
 藤下さんは元小学校の教諭。派遣先はコロンビアのメデジン市で、現地の教育研修所に所属し、算数や理科の分野の教材開発、指導法などについてアドバイスする。期間は平成25年3月までの2年間。
 藤下さんは「現地の人がレベルアップのための努力をされるようなアイデアを伝えたい」と話している。

歴史的風致形成建造物と景観重要建造物 彦根市が指定

 彦根市は22日、市内の5件を歴史的風致形成建造物に、7件を景観重要建造物に指定したと発表した。
 歴史的風致形成建造物は、歴史的な町並みを維持または向上させるために保全をする必要がある建物で、市はこれまでに6件を指定。今回は、①旧西郷屋敷長屋門(金亀町)の附袖塀(つけそでべい)と高麗門②旧広田家住宅(城町1)③旧足軽屋敷善利組・林家住宅(芹橋2)④旧池田屋敷長屋門(尾末町)⑤旧彦根藩武家屋敷・大村家住宅(京町3)。
 景観重要建造物は、外観の優れた建造物や一体となっている庭園などのことで、これまでに6件を指定。今回は歴史的風致形成建造物の①~④と、滋賀大学陵水会館(馬場1)、同講堂、スミス記念堂(本町3)。

2011年3月20日日曜日

「分かち合い」の心を―被災地への方々へ―

 天皇陛下は16日、東日本大震災に関する国民向けのお言葉を述べられた。体調がお悪い中でのお言葉に、感動した被災者を初めとする国民も多かったのでないか。
 陛下のお言葉で、特に感銘を受け、共感させていただいたのが「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆がさまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」という箇所である。
 被災地の方々へ、食品や生活用品など支援物資を届けたいし、電力やガソリンも節約する分を提供したい―。秩序と礼節ある日本国民なら、誰しもが同じ思いであろうが、現地の物流や配給体制が整備されておらず、また西日本と東日本では電力の周波数が異なるため、それらの供給は限られている。
 今、我々ができることは募金などのほか、陛下が述べられた通り、被災地の方々と少しでも分かち合おうとする気持ちを抱くことである。その気持ちを表す手段が▽節電をする▽ガソリンの使用を控える▽買いだめをやめる―ことではないか。陛下も自主的に毎日2時間、節電されているという。
 被災地の方々が苦しんでおられることを共感し、少しでも行動に移すことが「分かち合い」であろう。
 また、我々日本人(他国の国民もそうかもしれないが)はマスコミの報道が少なくなると、被災地への思いも薄弱になる傾向があるが、陛下の「被災者のこれからの苦難の日々を(中略)分かち合っていく」というお言葉の通り、分かち合いの気持ちを継続して抱くことも求められる。
 物流体制が整えば必要な物資を届ける、受け入れ状況ができればボランティアとして参加する―、被災地が求めることには出来る限り応じ続けることが、今後、必要となろう。
 本紙16日付けの小生のコラムに対しては、多くの読者の方から「同意見だ」とする声をいただいたが、読者の方が特に共感したという言葉が「偽善でも良いではないか」であった。
 偽善者といえば聞こえは悪いが、小生は、人間は大なり小なり偽善者だと思っている。しかし、偽善は決して悪ではないとも考えている。ボランティアでも何でもそうだが、偽善を恐れているようでは何も事は進まない。
 被災地の方々へ分かち合いの心を抱き、それを継続し、行動に移すことが、同じ日本人としての務めであり、使命であると確信している。         【山田貴之】

2011年3月19日土曜日

被災地支援 義援金や募金活動広まる 平和堂は3000万円寄付 滋賀大「いぶき」20日に

 東日本大震災の被災地を支援するため、市内の団体が義援金や募金活動を進めている。以下、各団体の活動内容。
 彦根市は16日から義援金の受付を始めた。問い合わせは市危機管理室℡0749(30)6150。
 彦根商工会議所(中央町)は2階事務局のカウンターに募金箱を設置したほか、会員企業からの特別相談窓口を開設。
 彦根市共同募金委員会も義援金を受け付けている。問い合わせは市社協内℡0749(22)2821。
 滋賀大学の学生ボランティアサークル「いぶき」は20日午前11時から彦根駅前で募金活動を行う。午後3時まで。
 12日から15日まで被災地支援の活動していた滋賀レイクスターズは16日、募金額が617万円5114円(うち彦根市民体育センターが466万1539円)で、支援物資も現地へ輸送することが決まったと発表した。
 平和堂は15日、義援金3000万円を日本赤十字社に寄付。全128店の屋上看板などの消灯や店内BGMを控えるなど節電をしている。
 彦根観光協会は17日、春に開催している「彦根城桜まつり」と「ご城下にぎわい市」の名称を、被災地への配慮から「城下の春」(4月1日~20日)と「城下の市」(今月19日~5月5日)に変更すると発表した。城下の市での収益金の一部は被災地へ寄付されるほか、募金箱が彦根観光協会と彦根駅観光案内所、「城下の市」会場の金亀児童公園に設置される。同協会では義援金も受け付けている(本紙は今号から、名称を東日本大震災に改めました)。

2011年3月18日金曜日

被災地で救援活動 彦根隊・第1次派遣隊戻る 川添誠三隊長「未体験の惨状」 新地町などで活動

 被災地で救援活動をしていた彦根隊・第1次派遣隊が14日に市消防本部に戻り、彦根消防署の川添誠三隊長(53)が16日、市役所で活動報告をした=写真
 彦根隊は消火部隊5人、救急部隊3人、後方支援部隊2人で組織。11日午後7時半に市消防本部を出発し、県内のほかの8隊と合流。約17時間後の12日午後1時20分に福島県郡山市に到着した。当初は県内の大熊町で活動する予定だったが、第1原発で放射能漏れの疑いがあるとのことで、二本松市へ移動。原発付近の病院から自衛隊ヘリで搬送されてきた入院患者21人を市内の医療施設に移した。21人のうち2人が微量の被曝の疑いがあるとされたため、隊員全員が上着を廃棄した。
 13日には、海岸から約1・5㌔の集落が津波で飲み込まれた相馬郡新地町で生存者の捜索活動をした。約5時間半、倒壊した建物内で呼びかけたりしたが、生存者はおらず、1体の遺体を発見したという。
 活動をした隊員は「今までの災害現場で体験したことがないほどの惨状で、住民の情報がないため、活動がかなり手間取った」と話していたという。第1次派遣隊は14日朝に第2次と引き継ぎ、夜に彦根に戻った。彦根隊は第3次が16日夕方に福島へ出発、今後第4次まで派遣される予定。
 川添さんは「消防人として使命感をもち、救出活動に全力を尽したい」と話していた。

降雪の中 懸命な募金活動 救援物資も提供受け付け、彦根青年会議所

 被災者を支援するため、彦根青年会議所は物資の提供を受け付けている。15日から17日まではメンバーが市内の各駅で募金活動をした。被災地への輸送が困難なため、物資はカップめん、使い捨てカイロ、紙おむつ、電池の4種類に絞り、箱単位での提供を求めている。受け取り場所は彦根市安清町の清水鉄工所。4月末までの月~木曜日の午前10時から午後3時。
 募金は彦根、南彦根、河瀬、稲枝の各駅前で午前7時から1時間、行われた。雪が降っていた16日は、10人が彦根駅の東西口に分かれ、プラカードと募金箱を手に、寒さに震えながらも懸命に募金を呼びかけていた。
 彦根JCでは中央町の事務局でも、随時、義援金を受け付けている。

2011年3月17日木曜日

ラジオ討論をネットで生中継へ ユーストリーム活用 県議選候補予定者招き、滋賀彦根新聞社初の試み

滋賀彦根新聞社とエフエムひこね(立花町)は25日午後3時から、滋賀県議選(4月1日告示・10日投票)彦根選挙区(定数4)の立候補予定者を招いて、ラジオ討論会を行う(彦根青年会議所後援)。また本紙ではその模様をインターネットで生中継し、視聴者から随時、質問を受け付ける。
参加予定者は、民主党から中沢啓子氏(52)と江畑弥八郎氏(56)、自民党から西村久子氏(67)と細江正人氏(64)、共産党から中川睦子氏(53)の5人。本紙で設定したテーマで論じてもらうほか、それを聴いたラジオやネットの視聴者から質問を受け付ける。
ネットでは、パソコンなどで動画が視聴できる「ユーストリーム」を採用。本紙担当者が撮影した討論の様子がネット上に流れ、ツイッターやフェイスブックなどを使って瞬時に質問や意見が書き込める。当日の視聴方法は、本紙のホームページか専用アドレス(http://www.ustream.tv/channel/hikonenews)から。
ラジオ討論会は1時間半。エフエムひこねでは26日と28日の午前9時からも放送する。候補予定者への事前の質問も受け付けている。問い合わせは本紙かエフエムひこねへメールなどで。

Live TV : Ustream

彦根の中村憲一さん自宅に写真工房兼用ギャラリー「アトリエのだ山」、作品展

 彦根市野田山町の中村憲一(のりかず)さん(64)が、自宅にギャラリー「アトリエのだ山」を完成させ、作品展の第1弾として中村さん撮影の写真を18日から展示する。20日には自宅の枝垂れ梅の下でコンサートも開く。
 中村さんは昨年3月に会社を退職した後、彦根に帰郷。カメラ歴約40年の腕前で、全日本山岳写真協会にも所属しており、山や近畿各地の風景を写真に収めてきた。昨年9月からは自宅の約30平方㍍の敷地に、写真工房を兼ねたギャラリーを建て始め、昨年末に完成させた。
 アトリエでの個展は初めて。「湖国、癒やしの風景」をテーマに、玄宮園から見た雪景色の彦根城天守、桜が湖面に浮かんだ八幡堀、伊吹山を背景に師走の柿の木などを撮影した写真18点を展示する。23日までの午前10時~午後5時。コンサートでは女性3人がピアノとフルートで春の曲を演奏する。入場無料。
 中村さんは「写真だけでなく、ほかの芸術作品の展示にも使ってほしい」と話している。問い合わせは中村さん℡090(1956)8733へ。

2011年3月16日水曜日

彦根工業高校 防災対策「かまどベンチ」普及拡大で防災教育大賞受賞

 彦根工業高校が普及活動を続けている防災対策の「かまどベンチ」作りが、先月末に東京都内で開かれた内閣府主催の報告会で、最高の防災教育大賞を受賞した。
 同校都市工学科では平成20年10月から生徒たちが、学校や地域の公園などにかまどベンチを製作。幅156㌢、奥行き46㌢、高さ36㌢のレンガ作りで、災害時には炊き出し用のかまどとして利用できるほか、普段は木製の板を置くなどしてベンチとして使うこともできる。これまでに市内に計15基を作っている。
 防災教育チャレンジプラン最終報告会には、全国の防災教育に取り組み学校や地域の団体などから書類選考を通過した17団体が参加。彦工は、「高齢者と共に活動~モノづくり防災活動~」と題して、担当教員の田中良典さん(42)と生徒4人が、かまどベンチの製作方法や防災対策の向上に貢献していること、高齢者との交流で防災の知恵を学んだことを発表した。
 受賞は平成21年度の防災教育特別賞に続いて2度目。田中さんは「継続してきたことや県外にも普及が広まったことが評価されたと思う。これからも製作を続けたい」と話していた。

2011年3月15日火曜日

彦根市立病院の災害派遣医療チーム・DMATが被災地任務終え戻る「被災情報得られぬ」

 被災地へ12日から派遣されていた彦根市立病院の災害派遣医療チーム=通称DMAT(ディーマット)が任務を終え14日に戻った。
 DMATは、災害発生後の急性期・48時間以内に被災した傷病者を被災地以外の医療機関に搬送したりする機動性に優れた医療チーム。
 今回派遣された市立病院のDMATは医師と看護師が2人ずつ、臨床工学技士の計5人。県の要請で12日朝に伊丹空港を出発し、夕方に花巻空港に到着。翌日早朝から、花巻空港の格納庫に臨時に設けられた広域搬送拠点医療管理所・通称SCUで患者のトリアージや傷病者の搬送業務などをした。
 花巻空港のSCUでは約60チームが活動にあたり、岩手や宮城から運ばれた約40人の患者を診、うち6人が羽田空港に運ばれたという。
 戻った直後の会見でリーダーの脳外科医・金子隆昭(たかあき)さん(52)は「SCUの現場では被災地の正しい情報を得ることができず、誤った情報が流れてきて大変だった」と話していた。

東北・関東大震災 被災者支援、彦根城ライトアップ自粛 彦根青年会議所が支援物資受付と募金

 東北・関東大震災の被災者を支援するため、彦根市内でも節電や募金活動の輪が広がっている。彦根市は、節電と哀悼の意味を込めて、14日から彦根城のライトアップを当分の間、自粛することにした。
 市内商店街でも登り町グリーン通り商店街の一部店舗が節電のため、イルミネーションの点灯を消している。
 平和堂とフタバヤ彦根店には募金箱が設置されている。
 彦根青年会議所は支援物資の提供を受け付けているほか、17日までは午前7時から1時間、市内の各駅で募金活動をしている。
 被災地への輸送が困難なため、物資はカップめん、使い捨てカイロ、紙おむつ、電池の4種類に絞り、箱単位での提供を求めている。受付場所は彦根市安清町の清水鉄工所。4月末までの月~木曜日の午前10時から午後3時。
 募金は16日が彦根駅東口と南彦根駅東口で、17日が河瀬、稲枝の各駅前で行われる。以降、中央町の彦根青年会議所事務局でも随時受け付ける。

被災地支援で自衛隊や彦根署、市消防署不参加 「わーくメッセ」彦根商工会議所青年部が初開催

 彦根商議所青年部は13日、子どもたちに仕事を体験させる「わーくメッセ」を文化プラザで初めて開いた。会場には東北・関東大震災の被災者救援のため募金箱も設置された。
 震災の救援活動のため不参加となった、自衛隊滋賀地方協力本部彦根地域事務所、県警彦根署、市消防本部を除く41団体がブースを設置。子どもたちは、木工細工やラジオのアナウンサー、ソーセージ造り、ミニブーケの花束作りなどを体験した。
 回鮮寿司・海座が開いた「巻き寿司」教室では、1回の講座に8人ずつが参加。「いらっしゃいませ」などの掛け声やおじぎの仕方などを習った後、4グループに分かれて、すし職人から巻き方を教えてもらいながら、キュウリ巻きなどを作っていた。
 将来の夢が料理人だという城南小4年生の守沢竜之甫君(10)は「巻き寿司は初めての体験でとても楽しかった。これから家でも作っていきたい」と話していた。

我々は何をすべきか―東北・関東大地震の被災者の方々へ―

 東北・関東大震災で被災した女児(5)が避難所に持参したパンフレットに、「じしんのばか じしんきらい」と記していた―(毎日新聞12日付夕刊)。この女児が震災でどのような境遇に遭ったのかはこの記事だけでは知る由もないが、多くの国民を奪った地震に対し、我々はこの女児が表したかったであろう強烈な怒りと憎悪と共に、人間の力ではどうすることもできない無力さに、虚無感さえも禁じえない。
 また、経済の先行きは暗く、政治も混迷が続いていた中で、更なる追い討ちをかけられたことで、日本の国力は間違いなく衰退の途をたどるであろうし、その復興のための足がかりさえ見えないことに絶望感さえもただよっている。
 ここまでペンを進めたころには、老夫婦につれられて避難する幼児の後ろから、津波が猛スピードで接近している映像がテレビで流れていた(前方を歩いていた消防士撮影)。その老夫婦と幼児の運命はどうなったのか。
 そのような思いの中で、我々ができることは何なのか。その明瞭な答えは見当もつかないが、一つ言えることは、近年まれにみる大惨事による国難に対して、我々に求められているのは日本民族の団結しかないということだ。例えそれが間接的で小さな力(支援)であろうと、まずは精神的、肉体的に苦しむ同士たちを助けることしかなかろう。
 日本には幸いにも、世界的に時に復興の妨げとなりうる、宗教的、民族的な対立は存在しない。政治的、思想的な対立は世界同様あるが、この国難にそれらの陳腐な対立は無用であり、全国民が東北地方(一部関東も含む)の同士のために立ち上がらなくてはならぬ。
 被災者の方たちが、電気や水道、ガスがなく、飢えや寒さに苦しみ、家族の行方不明や死に悲しんでおられる光景をテレビなどで見ると、普段の我々の生活はおこがましく思うし、現地に赴くことができないことへの苛立ちもある。
 しかし今、我々にできることは、募金活動や節電などであり、それらが少しでも早く現地へ届き、幾ばかりかの恩恵になることを祈ることである。
 偽善でも良いではないか。国民1人1人の善意が、この国の再興に繋がることだけは間違いないのだから。  【山田貴之】

2011年3月12日土曜日

東北・関東大震災の被災者へ募金と救援物資の提供呼びかけ、彦根市民体育センターで滋賀レイクスターズの選手団

 東北・関東大震災の被災者を救援するため、プロバスケ・滋賀レイクスターズの選手たちが12日、試合が予定されていた彦根市民体育センターで募金と救援物資の提供を呼びかける活動をした。13日正午から午後3時までも行われる。
 滋賀レイクスは12、13日の両日、同センターでリーグ戦の予定だったが、地震により全国で試合が中止になったため、急きょ支援活動をすることにした。会場では、根間洋一・ヘッドコーチ代行、主将の藤原隆充選手、小川伸也選手・レイ・シェファー選手が支援を呼びかけ、メールマガジンで活動を知ったファンらが救援物資などを手渡していた。
 以前所属していた新潟でも大地震を2度経験したという藤原選手は「このような行動を起こせたことをうれしく思う。募金や物資の提供を待っています」と話していた。
提供を呼びかけている物資は、カップラーメン、割りばし、紙皿、粉ミルク、ラップ、レトルト食品、ほ乳びん、おむつ、生理用品、歯ブラシ、歯磨き粉、新品の肌着、カイロなど。水や医薬品などは受け取りできない。
 集まった金や物資は専門の機関を通じて現地に届け、後日ホームページやメルマガで報告する。テッシュなどを提供した小泉町の杉山郷子さん(61)は「テレビを見て、少しでもお役に立ちたいと思って来た」と話していた。
 滋賀レイクスでは今後も支援活動を続ける予定。

東北・関東大震災の被災者救援で救助隊員・医療チーム・給水車を派遣、彦根市

 11日に発生した東北・関東大震災の被災者救援のため、彦根市は11日夜から12日にかけて、救助と治療、給水を行う担当者を現地に派遣した。
 派遣されたのは、市消防本部から救助隊員10人とタンク車・災害対策車・救急車1台ずつ、市立病院から医師・看護師2人ずつ・臨床工学技士1人、水道部から給水車1台と職員2人。ほかに被災者が搬送された際に受け入れるベッドも3床用意した。

彦根市芹橋出身の画家・上田道三の絵画展 銀座のギャラリーコジマで

 彦根市芹橋出身の画家・上田道三(みちぞう)の絵画展が16日まで、ギャラリーコジマ(銀座町)で開かれている。12日午後2時~は展示品の説明会もある。
 道三は昔の史料を参考に、戦後、城郭や城下町を数多く描いたことで知られる。今回は、天保7年(1836)の彦根城とその周辺、江戸時代の外堀や長曽根口など周辺の町割りのほか、明治時代の山の湯やだん治家具、親玉饅頭(まんじゅう)、丁子屋など市街地の様子を描いた作品計52点を展示している。開館は午前11時~午後6時。入場無料。駐車は平和堂銀座店へ。問い合わせは同ギャラリー℡0749(22)0347。
 ※上田道三=明治41年(1908)9月28日生まれ。昭和11年(1936)京都市立絵画専門学校卒業後、数多くの展覧会に出品。21年4月から彦根に戻り、日本城郭史料画や記録図の制作を開始。30年「彦根城原形全景図」、33年「彦根城郭旧観全景図」、35年「佐和山古城図」などを完成させる。47年に市功労者、54年に県文化功労者を受章。59年3月30日に彦根で死去。

2011年3月11日金曜日

ひこにゃん騒動 彦根市が原作者ら提訴へ 議会に関連案提案、よいにゃんこ商品販売停止など求め

 彦根市は9日、ひこにゃんに類似した商品の販売の取り止めや4900万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴すると発表。関連議案を議会閉会日の22日に提案することにした。
 議案で市は、類似商品の販売などは、ひこにゃんについて市が所有する商標権と著作権の侵害で、ひこにゃんの知名度をあげた市の努力にただ乗りしてきた不正競争防止法違反にあたるとし、販売などの禁止と損害賠償を求めている。訴えの相手方には、ひこにゃんやひこねのよいにゃんこなどの作者、所属するデザイン会社、商品を販売する市内外の4業者をあげている。
 獅山市長は、類似商品をひこにゃんと思って買ったという苦情が昨年4月以降で計19数件あったと報告したえで、「我慢に我慢を重ねてきたが、市として許しておけない」と話した。
 22日に議会提案され、総務常任委員会に諮られた後、議会での採決になる。

2011年3月9日水曜日

大江戸吹雪 城西小学校の児童が演舞、「直弼のこころを伝える会」(直心会)指導で

 彦根市立城西小学校の3年生が5日、井伊直弼の開国への思いをうたった民謡「大江戸吹雪」の舞いを披露した。
 昨年3月までの井伊直弼と開国150年祭時に結成された市民有志による「直弼のこころを伝える会」(直心会)が、子どもたちに大江戸吹雪を知ってもらおうと、昨年に続いて企画。
 先月末から3回の練習を重ね、この日は児童33人が背中に「井」の家紋が入った赤色のかみしもを着て登場。扇子を片手に持ち、華麗な舞いを見せていた。
 城西小ではこの日、「春のつどい」が催され、会場の体育館には保護者や地域住民ら大勢が詰めかけ、児童たちの舞いが終了すると、大きな拍手が沸き起こっていた。

北政所(おね)と淀殿(茶々) 豊臣政権での活躍解説 田端泰子・京都橘大教授、大学サテライトプラザ彦根で

 日本中世史が専門の田端泰子・京都橘大教授が5日、大学サテライト・プラザ彦根で、豊臣政権を支えた北政所(おね)と淀殿(茶々)をテーマに講演=写真。秀吉が生きていたころと死後との2人の生き方を解説した。
 田端教授は、秀吉が長浜城主だった天正2年(1574)の秀吉からおねへの手紙を紹介。町人の諸役を免除したことで百姓から町人になる者が増えたため、町人に諸役を課そうとしたものの、おねに反対されたため、免除を続けるという内容で「秀吉とおね、夫婦で協力して領国を統治していこうという姿勢がうかがえて、すばらしい」と話した。
 秀吉が関白、おねが北政所となったころ、おねは朝廷との付き合いや人質となった島津家との交流を行うなど、「その役割が拡大した」と解説。一方、淀殿は文禄2年(1593)に捨丸(後の秀頼)を産み、その後、後見として表舞台に出てきたとした。
 慶長3年(1598)8月に秀吉が亡くなり、以降、おねは京都の城に住みながら秀吉を祭神とする豊国神社(京都)に月参りをし、淀殿は大坂城で秀頼の後見となり、「このころから役割が分割されてきた」と説明。
 大坂冬・夏の陣(1614~15)のころは「淀殿が大坂城内で軍勢を仕切っていた」とし、「おねは政治には関与せず、豊臣政権下での『かかさま』としての役割を貫いた」と述べた。講演は大学サテライト・プラザ彦根運営協議会が主催し約100人が来場した。

2011年3月8日火曜日

彦根城・天守前広場で初の鷹狩り 日本放鷹協会の鷹匠 諏訪流の渡りなど披露

 彦根城の天守前広場で6日、鷹(たか)狩りが初めて行われ、日本放鷹(ほうよう)協会の鷹匠らが諏訪流の技を披露した。
 江戸時代、彦根藩でも鷹狩りが行われていたとされる。諏訪流は織田信長が重用した鷹匠・小林家鷹を祖とする流派で、実演には会長の室伏三喜男さん(56)ら15人が参加。
 羽を広げた時の大きさ約120㌢から約160㌢の鷹8羽が用いられ、鷹匠の手から飛び立ち、樹木などにとまった後、再び鷹匠の元に戻る「渡り」などの技が披露され、約500人の観客からは技ごとに大きな歓声が起こっていた。
 なお彦根市内の旧町名にも、餌指町や鷹匠町(元町や佐和町付近)など、鷹に関する名称があった。

2011年3月6日日曜日

おたふく風邪 「ワクチン接種必要」小児科医・松井克之さん、1000人に1人がムンプス難聴に

 滋賀彦根新聞は2月9日付で、ポリオ(脊髄性小児麻痺)の生ワクチン接種による乳児の感染事例が報告され、ほかの先進国が導入している不活化ワクチンの採用を求める動きがあることを報じた。この記事を見た、豊郷病院に勤務する小児科医・松井克之さん(38)=写真=が、ポリオだけでなく、おたふく風邪(ムンプス)などのワクチン接種についても「日本は後進国だ」と指摘。乳幼児への接種を勧めている。
 今年2月から彦根を含む多くの自治体で、ヒブワクチンや小児用肺炎球菌ワクチン、ヒトパピローマ(子宮頸がん)ワクチンの公費負担による接種が始まった。松井さんはこれらのほかに、おたふく風邪や、水ぼうそう、B型肝炎のワクチンの接種が必要で、特に回復不可能の難聴(ムンプス難聴)を発症するおたふく風邪については、欧米などほかの先進国を含めた118カ国(平成21年WHO調査)で定期接種をしていることから、「日本でも早急に導入するべきだ」と求めている。
 近畿外来小児科学研究グループによると、おたふく風邪の感染者7400人のうち、7人がムンプス難聴になったと報告している。松井さんが豊郷病院で診察した中にも発症者がいた。子どもを早めにおたふく風邪にかからせようと、わざと感染させる親がいるが、「そのような事は絶対に止めてほしい」と忠告している。
 おたふく風邪のワクチンは、ほとんどの国で2回接種となっており、WHOはワクチン接種で撲滅が可能な疾病にリストアップしている。
 日本でも平成元年からおたふく風邪を含む混合ワクチンの定期接種が行われていたが、副反応としてまれに起こる無菌性髄膜炎の発生が問題視され、平成5年に中止された。国立感染症研究所によると、現在の日本での接種率は約30%で、4年に1度、全国規模の流行を繰り返している。
 おたふく風邪ワクチンの接種は1歳からの受付で、1回5000円~6000円。松井さんは「おたふく風邪で回復不可能な難聴にかかることは、あまり知られていない。ワクチン接種のまれな副反応よりも、自然に感染し合併症を起こす確率の方がはるかに高く、接種をすすめたい」と話している。松井さんは滋賀医科大学(大津市)で小児科助教を務めながら、豊郷病院で毎週金曜日に診察を担当している。
 ※おたふく風邪=世界的にはムンプスと呼ばれる感染症。唾液や尿を感染源とし、主に発熱と耳下腺の腫張などを発症し、耳下腺の腫れは発症後1~3日間がピークとなる。日本では3~6歳が全患者数の約60%を占める。ほかの合併症として、発熱や頭痛、おう吐などを伴う無菌性髄膜炎があり、入院が必要なこともあるが、ほとんどの場合改善する。ただ、ムンプス難聴は治らず、ムンプス脳炎では死亡することもあり、神経の障害を残しやすい。思春期以降に初めて感染すると、睾丸炎や卵巣炎の合併症を起こし、男性では精子が減少することがあるが、不妊になることはまれだ。

自然の布館「より~な」3月で閉鎖 「残念の声」、元・油問屋の古民家 閉鎖後の解体懸念

 彦根市河原2丁目の憩いの場「自然の布館『より~な』」が3月いっぱいで閉鎖することが、2日わかった。施設の利用者や周辺住民からは「残念だ」との声があがっている。
 彦根出身の画家・上田道三のめいとしても知られる平居圭子さん(77)=後三条町=が、人々が気軽に集える場所をつくろうと、元々は油問屋だったという古民家を活用し平成11年11月にオープン。
 彦根の方言から「より~な」と名付けて、地元の女性グループが中心となり、古い着物やちりめんを利用しての編み物や小物を展示・販売してきた。ほかにも、演奏会やカルチャー教室、ギャラリーなどのスペースとしても活用。小学生から高齢者までが集う憩いの場として、市内外から親しまれてきた。
 建物は江戸時代末期から明治時代にかけて建てられたともいわれ、母屋と離れ、蔵2棟、庭から成る。県外の家主から、同じ建物で隣接の美容院と合わせて売却に出すとの打診があり、3月いっぱいでの閉鎖が決まった。知らせを聞いた利用者らが毎日のように詰めかけており、「出会いの場だっただけに、閉鎖となるのはとても残念だ」との声があがっている。
 今月26、27日には大正琴やよし笛のコンサートなど最後のイベントを催す予定。平居さんは「愚痴や不満などをここで置いていって、すっきりして帰っていかれる場所でもあった」と懐かしんでいた。
 閉鎖後については「不明」とのことだが、歴史的、まちづくり的にも重要な建物の一つのため、更地化や取り壊して建物新設など、彦根のまちづくりに逆行する方向に進むことは懸念され、扱いが注目される。

2011年3月5日土曜日

「ひこねプレミアム商品券」発売、販売場所は朝から大行列

 1万円で1万1500円分購入できる「ひこねプレミアム商品券」の発売が、5日から市内9カ所で始まった。5日朝からはそれぞれの販売場所で大行列ができていた=写真は彦根銀座街事務所
 彦根商店街連盟が市からの補助を受けて発行する商品券で、平成21年5月、同9月に続いての第3弾目。579店舗で使用でき、売り場面積が1000平方㍍を超える大規模店でも使用できる全加盟店共通券・5500円分と、中小加盟店専用券・6000円分。販売数は1万セット(1億1500万円分)。1人1セットのみ。利用期間は6月30日まで。抽選など特典もあり。
 発売場所は、アルプラザ彦根、彦根銀座街事務所、彦根商議所、パリヤ、高宮商工繁栄会館、フタバヤ彦根店、川瀬馬場町駅地区自治会集会所、稲枝商工会館、ビバシティ(同10時~)で。

彦根東高野球部 甲子園出場の記念碑建立、平成21年春のセンバツ 21世紀枠で56年ぶり

 彦根東高校(金亀町)の校門近くの前庭に、硬式野球部の2年前の甲子園出場を記念した石碑=写真=が設置され、先月28日には除幕式が開かれた。
 野球部は平成21年春のセンバツで、21世紀枠で56年ぶりに甲子園へ出場した。その際に、東高OBや保護者、職員で組織した甲子園出場実行委員会が寄付を集めており、その剰余金を使って記念碑を建てた。
 石碑は縦1・5㍍×横約1・8㍍×厚さ約40㌢で、校章を中央に、入場行進する部員たちや真っ赤に染まったアルプス席のカラー写真、校歌や応援歌の一文のほか、センバツが開幕した日付・平成21年3月26日などが記されている。

2011年3月4日金曜日

キジ30羽を放す 城北小学校の児童、彦根城山崎郭で

 彦根城の山崎郭で2日、城北小の児童がキジを大空へ放した。
 野生鳥獣の保護を目的にした県の取り組みで、6年生37人が参加。キジは甲賀市の土山鳥獣実験場が育てている生後6~8カ月の30羽で、大きさ約60~70㌢。
 児童たちは2~5人ずつに分かれて、キジを順番に受け取り、合図に合わせて空へ放した=写真。羽ばたいていくキジを見て児童たちからは「元気にね」などの声があがっていた。児童の徳田凌果さん(12)は「キジは思ったよりもかわいかった。元気に育ってほしい」と話していた。県内では城北小を含めて17カ所で、約600羽が放たれる。

2011年3月3日木曜日

ニュージーランド・クライストチャーチ大地震の支援で、彦根ロータリークラブ 会員が募金、元会員で留学中の正村嘉規・元市議の要請

 ニュージーランドのクライストチャーチ市で22日に起きた大地震の被災者を支援するため、彦根ロータリークラブ(RC)は会員から寄付金を集めることを決めた。
 同クラブに2年前まで所属していた元市議の正村嘉規さん(70)が、留学のため同国を訪れており、震災にあった後の24日に支援を求める連絡が同クラブの事務局へあった。
 正村さんは、同市から車で10分ほど離れたエイボンヘッド地区でホームステイをしながら、同市の語学学校で英語を学んでいる。地震が起こった時は、ホームステイ先で昼食をとっていて、テレビや棚のものが落ちたりしたという。「彦根RCの温かい支援をお願いしたい」と話している。
 彦根RCの募金活動は3日の例会で会員67人を対象に行われる。目標は15万円で、西村昭会長は「会員の善意を少しでも早く届けたい」と話している。
 集まった金は、正村さんが同市で所属するエイボンヘッドRCを通じて、同市長に渡される予定。

2011年3月2日水曜日

1万円で1万1500円分「ひこねプレミアム商品券」彦根商店街連盟・発行

 1万円で1万1500円分購入できる「ひこねプレミアム商品券」の発売が、5日から市内9カ所で始まる。
 彦根商店街連盟が市からの補助を受けて発行する商品券で、平成21年5月、同9月に続いての第3弾目。579店舗で使用でき、売り場面積が1000平方㍍を超える大規模店でも使用できる全加盟店共通券・5500円分と、中小加盟店専用券・6000円分。販売数は1万セット(1億1500万円分)。1人1セットのみ。利用期間は6月30日まで。抽選など特典もあり。
 発売は5日午前9時半から、アルプラザ彦根、彦根銀座街事務所、彦根商議所、パリヤ、高宮商工繁栄会館、フタバヤ彦根店、川瀬馬場町駅地区自治会集会所、稲枝商工会館、ビバシティ(同10時~)で。

湖東圏域河川整備計画を説明 芹川は堆積土砂除去 野瀬川と平田川の拡幅も新たに追加

 湖東圏域河川整備計画(原案)の説明会が27日、ひこね燦ぱれすであり、芹谷ダム建設中止に伴う芹川の改修計画などが発表された。
 県は平成18年に同様の計画を策定したが、芹谷ダム中止などの影響で計画の変更が必要となったため、新たな計画を策定することにした。
 説明会で示された計画では、湖東圏域にある38の一級河川のうち、整備の緊急を有する「Aランク河川」に、犬上川、芹川、矢倉川、不飲(のまず)川、野瀬川、平田川をあげ、優先的に整備を進めるとした。
 整備内容として、芹川では河口から約4㌔㍍上流の川底に堆積した土砂の除去、堤防の安全性の点検と強化を行う。また、今回新たに改修計画に入った野瀬川と平田川では、河道の拡幅などの整備を進める(平田川は調査を検討)ことにしている。
 県は今後、流域住民との「川づくり会議」や学識者との「淡海の川づくり検討委員会」で協議をした後、湖東圏域河川整備計画を策定し国へ申請。来年度中の同計画の実施を目指している。