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2009年9月30日水曜日

彦根市・犬上郡3町・愛荘町、定住自立圏で協定締結へ 旧豊郷小で調印式

 彦根市、犬上3町、愛荘町の各議会が28日までに、1市4町による定住自立圏の関連議案を可決したことを受け、彦根市は10月4日午前に、豊郷小学校旧校舎の講堂で調印式を開く方針を決めた。
 少子・高齢化による人口減や都市部への人口流出などにより、地方経済の情勢が厳しいことから、国は地方の住民がその地域に定住するよう、中心市と隣接市町による「定住自立圏」の設置を促している。総務省の認定を受けると、中心市への交付税・地方債など財政措置、県から中心市への権限移譲など優遇される。
 県内唯一、認定を受けた彦愛犬1市4町では、▽市立病院を核とした医療体制の整備▽図書館など公共施設の設置▽農作物の地産地消▽交通インフラの整備―などを連携事業としてあげている。
 協定締結により、近く「湖東定住自立圏推進協議会」が設置され、各項目の具体的な政策を協議。国へ申請後、補助を受けながら整備を進めることになる。
 焦点の図書館については、彦根市が市立図書館として整備した後、4町の住民も利用できるようにする。

2009年9月29日火曜日

滋賀夕刊新聞社創立50周年式典 知事や議員ら200人来場

 「しが彦根新聞」の姉妹紙「滋賀夕刊」を発行している滋賀夕刊新聞社は26日、創立50周年記念式典を長浜市内で開き、嘉田由紀子知事や田島一成環境副大臣、湖東・湖北の首長、県議、市議、商工関係者ら約200人が出席した。
 同社は、現在の押谷盛利社長が昭和34年(1959年)に長浜市内に設立し、8月13日に「滋賀夕刊」を創刊した。
 式典で押谷社長は「読者やスポンサー、役所、企業の皆さまからの支援に対して、厚くお礼申し上げます」と感謝の意を示したうえで「(創刊時の)昭和34年は日本の経済復興の入り口で、この50年は激動の中を泳いできた」「新聞とは社会の木鐸であり、社会に向けてのリーダシップを示すという使命感に立って言論を展開するべきとの思いで続けてきた」と述べた。
 また押谷社長はあいさつの最後に「後継者を育てたいという思いから、50年を機に社長の座を譲りたい」とし、押谷洋司編集長を10月1日付けで新社長にする人事を発表した。
 続いて登壇した押谷編集長は「社長就任後は社員一同、全身全霊で新聞発行をしていきたい。皆さまには今後とも温かいご支援を頂きたい」とあいさつ。
 嘉田知事は「滋賀夕刊は湖東・湖北の話題をきめ細かく紹介しており、私も毎日読んでいる。隠れファンの一人」「これからも地域に根ざした話題と、正義感あふれる新聞作りを期待している」と語った。
 田島副大臣は「50年間のご労苦に敬意を表したい。現在では湖東、湖北になくてはならない地方紙になっており、今後とも更に発展されることを心よりお祈りします」と話した。
「自分を見つめる時間を」
延暦寺大阿闍梨の藤波源信さん
 滋賀夕刊新聞社創立50周年記念式典では、比叡山延暦寺大阿闍梨(だいあじゃり)の藤波源信さんが「人生、すべて修行中」と題して講演。千日回峰行(かいほうぎょう)でのエピソードや人生観を話した。
 藤波さんは、平成15年に戦後12人目となる千日回峰行の満行を達成。講演では、7年間にも及ぶ回峰行では「生命を支える水や岩、木をお参りした」「ただ歩くのではなく、人間とは何か、自然とは何かを常に考えていた」と解説。700日を終えた後に断食、断水、不眠、不臥を9日間続けた「堂入り」については、「寝ずに行こうとしても自然に寝てしまうため、特に不眠が難しかった」と述べた。
 また参拝者との会話の感想から「比叡山での7年間の修行よりも、結婚や子育て、仕事などで人生を全うすることが苦行のように思う」「皆さんにはその修行の中で、自分を見つめる時間をつくってほしい」とアドバイス。仏教用語の「止観」という言葉を使いながら「歩むばかりでなく、立ち止まって反省の時間をつくった後、次の段階に進んで頂きたい」と語った。
 【阿闍梨】700日の行と堂入りを終えると、阿闍梨と呼ばれる位が、千日回峰行を終えると最高位の大阿闍梨が与えられる。なお阿闍梨は、サンスクリット語で「軌範」を意味する。
 【千日回峰行】比叡山中の谷から谷を1000日かけて、歩き続ける。その距離は地球1周にあたる約4万㌔。1日約30㌔を最初3年は年間100日間歩き、4年目と5年目は200日間。700日を終えた後の「堂入り」では、9日間、断食、断水、不眠、不臥で不動明王の真言を繰り返す。堂入り後は、回峰行を6年目は100日間、7年目は200日間行い、満行となる。

吉田松陰の故郷を訪ねて 街づくりには市民の協力不可欠

 シルバーウィーク中、小生は井伊直弼主導による安政の大獄(1858~59)で処刑された吉田松陰の古里・山口県萩市を訪れた。訪問した場所は、松下村塾、松陰神社、松陰生誕の地、幽閉された跡地、松陰と門下生の高杉晋作・久坂玄瑞らの墓、伊藤博文の旧宅、萩城跡、城下町など。各場所に残る建物はほぼ当時のままで、約150年前の激動の世の一幕を感じることができた。
 さて、直弼の功績は開国を実現させたことだが、その過程で断行した安政の大獄は決して許される行いではない。現代の世で例えるなら、中国や北朝鮮など社会主義国や独裁国家の主導者が、反体制を唱える自国民に、国家転覆罪なる名目で処刑や拷問をするのと何ら相違ない。
 一方で松陰については、攘夷派かどうかは諸説あるため明断できないが、勅許を得ずに日米修好通商条約を締結した当時の幕府への批判を強めていたことから、尊皇だったことは間違いないだろう。また尊皇思想のほか、松下村塾で明治維新の指導的立場となる木戸孝允や伊藤博文、山縣有朋、前原一誠らを教えた功績も、松陰が現代で高く評価される所以である。
 萩においては、松陰ほか幕末志士のゆかりの地のほか、萩城内や城下町でも「歴史的な街づくり」を体感した。特に外堀より内側には武家屋敷や長屋門、敵の侵入を防ぐため道を迷路のようにした「鍵曲(かいまがり)」などが残り、通り沿いは石垣と土塀が整備されている。一般住宅も多く建ち並び、萩市民が歴史的な街づくりと観光客の受け入れに協力している姿勢がうかがえる。
 彦根でも、城内のほか、城下町や旧宿場で、萩に劣らぬ歴史的建造物が数多く残っている。しかし悲しいかな、道路拡幅や家主の世代交代などで取り壊しが進んでいるのも事実だ。
 彦根市民は、お上頼りの「殿様文化」から少しずつ脱却し始めたとされるが、街づくりや観光をはじめとする政(まつりごと)へ、更なる相携える姿勢が求められよう。 (山田貴之)

2009年9月25日金曜日

彦根市、平成20年度決算 2年ぶり赤字に

 彦根市は、平成20年度決算を発表。一般会計の歳入は前年度比0・3%増の357億7239万円、歳出は同1・2%増の351億2661万円となり、単年度収支額は3億1394万円のマイナスで、2年ぶりに赤字に転落した。財政の健全化を示す指標も前年度同様、厳しい数値を示している。
 歳入は、景気悪化の影響で市税収入が減少し、地方交付税などが大幅減となった。前年度の繰越金の増加と地方特例交付金の増などで、全体では前年度比微増に。歳出は、病院事業会計費への負担増や、道路・街路事業による増などで全体として1・2%増に。
 歳入歳出差引額は5億9733万円で、翌年度への繰越額を差し引いた実質収支は5億0338万円となり、実質収支から前年度の実質収支を引いた単年度収支額は赤字となった。
 財政指標としては、75%程度が望ましいとされている経常収支比率(一般財源のうち人件費など固定経費に費やされる割合)は、前年度より6・1ポイント悪化し、99・8%と標準を大幅に上回っている。実質公債費比率(一般財源のうち借金の返済に充てている割合)は前年度と同じ20%で、地方債の借り入れに知事承認が必要な18%を依然、上回っている。
 市財政課では「新たな事業をする余裕がないほど、財政状況は厳しい」としている。
 市債は、建設事業に係わるものなどを大幅に減らしたことで、発行額は前年度比13・6%減の16億6077万円に。残高も前年度比7・1%減の347億9565万円となり、一人あたりでは31万8000円に。
 基金は、財政調整基金や、病院事業会計負担金の財源に充てるための福祉・保健・医療基金などを取り崩し、全体として基金残高は63億8266万円となった。

直政公演じる長森雅人さん来彦、銅像前に「イメージ通り」

 今秋の城まつりパレードで井伊直政公役を演じる俳優の長森雅人さんが24日、彦根市の獅山市長を表敬訪問した。
 長森さんは、NHKで放映中の大河ドラマ「天地人」で直政公役を演じている。長森さんは「ご縁で直政役を演じることになり感動しています。大役を全うし、お客さんに喜んでもらえるよう頑張ります」とあいさつ。市長は「直政公も喜んでいると思います」と答えた。
 市役所での歓談後、長森さんは彦根駅前の直政公の銅像前にも立ち寄り、「戦で戦陣を切っていたイメージ通りです」と話していた。

高宮の旧家を改装、滋賀県立大学生が喫茶・ギャラリー・ライブ場に

 彦根市高宮町で江戸時代に近江上布の店だった旧「布惣」を、県立大生らが改装し、19日にリニューアルオープンした。
 布惣は、高宮の商人・堤惣平が明治末期まで経営。大正時代からは、現在同店を管理する加藤義朗さんの父・儀太郎さん(故人)が、金物店「加藤儀太郎商店」を経営してきた。
 2年ほど前に店を閉め活用策を模索していた加藤さんが、県立大環境建築デザイン学科非常勤講師の中西茂行さん(51)に改装を依頼。昨年6月に学内でコンペが行われ、改装案が決定し、環境建築デザイン学科と生活デザイン学科の学生約20人が「おとくらプロジェクト」と題して、今年8月10日から改装してきた。
 店は約120平方㍍の敷地に、江戸時代の建物と見られる蔵と、ほかに2部屋あり、県大生らは各部屋の壁塗りと床張り、蔵への階段設置をしてきた。
 改装後、蔵はライブやミニシアターの会場として、ほかのスペースは喫茶「おとくら」とギャラリースペースとして使用される。
 ギャラリースペースでは10月18日まで、茗荷恭介さん(58)=芹橋1=の「鉄と和紙と光の造形」展も開かれている。開館は土日・祝日の午前10時~午後5時。
 学生代表の三橋恵さん(22)は「コンペの段階では空想でしかなかったが、実際に完成して感動した。多くの皆さんに見に来て欲しい」と話している。

2009年9月18日金曜日

石田三成生誕450年祭実行委を設立、第一弾は史跡マップ作成

 戦国武将の石田三成が来年で生誕450年を迎えるため、彦根市民有志らが「石田三成生誕450年祭実行委員会」(委員長・山崎一眞滋賀大教授)を設立。その第1弾として、三成や佐和山城に関する市内の名所14カ所を手書きの地図と写真入りで紹介したマップを作成した。
 彦根市内の花しょうぶ通り商店街や戦国ファンの有志が、三成を顕彰するために来年、生誕450年祭を企画。実行委は約15人で組織しているが、450円のバッチを購入すると入会できるため、今後は花しょうぶ通りのひこね街の駅「戦国丸」のファンクラブに所属する「歴女」ら約500人も加わる予定。
 また、市や彦根商議所による「ひこね集客戦略懇話会」でも、「戦国」をテーマにした観光イベントを展開していくことを決定。井伊直弼と開国150年祭が終了した来年度は、実行委や市、観光団体が連携し、「三成」に関する多彩なイベントが催されるとみられる。
 ※【石田三成】永禄3年(1560)に石田正継の次男(三男の説も)として、坂田郡石田村(現・長浜市石田町)で生まれる。秀吉に従事した後は、一家臣として働き、秀吉の信頼も厚く五奉行の一人として活躍。天正19年(1591)ごろに佐和山を代官し、文禄4年(1595)に19万4000石を得て佐和山城一帯を治めた。関ヶ原の戦い(1600年)で敗北し、家康の命により斬首された。