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2018年4月4日水曜日

第90回センバツ彦根東高と近江高3回戦で10回サヨナラ負け

 選抜高校野球大会の3回戦が3月31日、甲子園球場で行われ、第2試合に登場した彦根東高は岩手の花巻東高と対戦。稲枝中学出身の増居翔太投手=3年生=が9回まで相手打線をノーヒットに抑える好投を見せたが、惜しくも0対1でサヨナラ負けした。第4試合に登場した近江高は石川県の星陵高と対戦し、こちらも延長10回にサヨナラ負けを喫した。
 彦根東高は6安打を放ち、4回、6回に好機があったが、得点できなかった。一方で、増居投手は9回まで無安打、14奪三振の好投。ノーヒットノーランのペースで迎えた延長10回裏、相手打線に初安打を許し、四球と安打でノーアウト満塁となり、犠牲フライを打たれて敗北した。
 アルプラス席は赤鬼魂のTシャツを着た約3000人の応援団で埋め尽くされていた。応援していた増居投手の母・利佳子さん(45)は、息子の好投に「良い投球で良かった。負けてしまいましたが、いい試合でした。(息子には)お疲れ様でしたと声をかけてやりたい」と話していた。
 応援団の中には彦根東高と滋賀学園高の女子生徒32人(うち東高23人)によるチアリーダーの姿があり、リーダーで東高3年の束田七瀬さん(17)は「野球部の勝利のためにとにかく声を出して応援したい」と意気込んだ。米原市の少年野球チーム・JBC山東の小学2年から6年生までの選手と保護者ら計35人も応援。主将で山東小6年生の三浦蒼一郎君(11)は「将来は僕も東高から甲子園に出たい」と述べていた。
 大久保貴市長も赤色のジャンパーの下に、近江高の青色のジャンパーを着て観戦していた。
 近江高は初回、相手投手の立ち上がりを攻め、連打で2点を先取し、試合の主導権を握った。6回にも加点し、3点差まで突き放したが、その裏に4連打を浴びて同点とされた。
 先発の林優樹投手は6回まで力投。7回から登板した金城登耶投手も9回まで無失点と好投した。しかし延長10回裏、6回途中から救援した星陵の奥川恭伸投手に試合を決める2塁打を打たれ、3対4で敗北。2003年以来の選抜ベスト8入りとはならなかった。
 近江のアルプス席ではバス22台、2000人でかけつけた生徒、保護者、OBらが青いメガホン、タオルを手に大きな声援を送った。
 チームが先制すると吹奏楽部の演奏に合わせ、応援団の選手やチアリーダーたちがパフォーマンスを展開し、選手やチームを鼓舞させた。しかし、サヨナラ負けを喫すると、スタンドは水を打ったように静まり返った。
 応援団長の加藤大地君(3年)は「ゲームはいい流れで勝ちムードだったが、いつの間にか、追いつかれ、逆転されてしまった。夏、甲子園に戻ってきて、ベスト8以上を目指したい」。
 新聞部局の丸山理音部長(2年)は「とてもいい試合で良かった。取材していて近江の良さ、素晴らしさを肌で感じた。これからも野球部を応援したい」。
 ベンチ入りした金田大聖選手(3年)の父・正広さん(46)=甲良町=は「悔しいに尽きる。ベンチやスタンドを含め、みんな頑張った。夏はやってくれると信じている」と話していた。

2018年3月30日金曜日

第90回記念選抜高校野球大会で彦根東高と近江高が初戦を突破、ビバシティ彦根ではパブリックビューイング

 第90回記念選抜高校野球大会の2回戦が28日に甲子園球場で行われ、滋賀県から出場している彦根東高と近江高が初戦を突破。ビバシティ彦根ではパブリックビューイング(PV)が実施された。3回戦は31日に行われる予定で、両校が登場する。
 第1試合に登場した彦根東高は神奈川の慶応高と対戦。稲枝中出身のエース・増居翔太投手が最速140㌔を投げるなど6回まで無失点に抑える好投。7回裏に2点を奪われ、1対2で迎えた8回表に捕手の高内希選手のスリーランで逆転し、4対3で勝利した。
 第3試合に登場した近江高は愛媛の松山聖陵高と対戦。序盤から打線がつながり、2回に5点の大量得点。先発した2年生左腕の林優樹投手は5回まで相手打線を2点に抑え、6回から登板した3年生左腕の金城登耶投手は3失点するも粘りのピッチングを見せて、8対5で勝利した。
 31日にある予定の3回戦は彦根東高が第2試合で岩手の花巻東高と、近江高が第4試合で石川の星稜高と対戦する。
 ビバシティ彦根の1階センタープラザでは28日、PVが実施。70㌅の大型テレビが設置され、彦根東高と近江高の選手が安打や得点、奪三振をするたびに来店客から拍手が沸き起こっていた。
 彦根東高が勝利した後、PVを見学していた甘呂町の辻真弥さん(37)は、おいが東高野球部2年生の中川素晴選手のため「自分の子どもではないけれど、めちゃくちゃうれしいです。子どもがまだ1歳なので次の試合も甲子園に行けませんが、テレビで必ず応援します」と話していた。
 ビバシティでは31日もイベント終了後の午後3時半からPVを実施。それ以降、平日または土日ならイベント終了後にPVを行う予定。

2017年8月19日土曜日

彦根東高 青森山田高に敗れるも、赤鬼の応援は満員の甲子園をどよめかせる

 第99回全国高校野球選手権大会7日目の14日、滋賀代表の彦根東高校は青森代表の青森山田高校と対戦したが、2対6で敗れ、2回戦突破は果たせなかった。アルプス席には「赤鬼」と記された赤色のシャツを着た応援団約5000人が詰めかけ、その応援は満員の甲子園をどよめかせていた。
 試合は5回終了時点で0対6となったが、6回から稲枝出身の増居翔太投手(2年)が登板して以降、青森山田打線を抑え、7回裏には彦根南中出身の吉本孝祐選手(3年)が三塁内野安打を放つなど攻勢。8回に1点を返し、9回も代打の仲川俊哉選手(3年)のホームラン、原晟也選手(3年)の三塁打などで反撃したが、そのまま敗北した。
 アルプス席では彦根東がチャンスを迎えるたびに、吹奏楽の演奏と応援団の声援が甲子園中に響き渡り、点が入るとアルプス席以外からも歓声と拍手が沸き起こっていた。
 彦根東のナインは翌15日に帰校し、セレモニーでは出迎えた生徒ら約100人に応援への感謝を示していた。
彦根東ナインと赤鬼応援に感動
 甲子園に取材のため訪れた14日は盆休み中だったこともあり、チケット売り場にはアルプス席をはじめ長蛇の列ができ、内野席が数時間待ち、外野席に至っては入場できない状態だった。また内野席でも試合ごとに行われるチケット販売が数十分で売り切れるほどだった。
 2回戦で彦根東は3塁側だったが、バックネット裏や外野席、1塁側の内野席にも赤鬼のTシャツ姿が見られ、「赤備え」の光景はほかの観客の目をひいていた。
 そして反撃に出た8回と9回の攻撃時の応援は甲子園中に鳴り響き、青森山田(1塁側)のアルプス席からどよめきが起こるほどだった。これまでに何度か甲子園へ足を運んだことがある小生も、彦根東ナインの勇姿や応援団の声援には感動させてもらった。
 今年の彦根東ナインは、1・2回戦で好投した増居投手、1回戦でホームランを放った吉本選手、伝令役を務めた清水選手、ランナーコーチとして貢献した山崎選手、ブルペン捕手として支えた嘉藤選手の彦根の5選手をはじめ、個の力があったかもしれぬが、それ以上に総合力で勝ち進んできたチームだといえよう。主力には増居投手ら2年生もおり、来年の更なるレベルアップを期待している。

2017年8月13日日曜日

東高と滋賀学園高の生徒たちでチアリーダー結成

 彦根東高野球部を応援するため、東高の女子生徒たちによってチアリーダーが結成。7月31日から体育館で練習している。
 滋賀学園高校のチアリーディング部コーチの村井三幸さん(41)=甲賀市=に指導役を依頼し、滋賀学園のチアリーディング部の希望部員6人と、東高の募集に応じた1、2年生23人の計29人で結成。
 村井さんは東高のためにレギュラーメンバーごとの曲をはじめ、代打、応援歌、チャンスなど計17種類の振り付けを考案。「滋賀学園は彦根東に敗れたが、滋賀代表の出場校として一生懸命応援したい」と話していた。
 チアリーダーの代表で東高2年生の藤原穂香さん(16)=東近江市=は「しっかりと声を出して野球部の力になりたい。チアリーダーのみんなの力でアルプス席を引っ張っていくつもりで応援したい」と語っていた。

2017年8月10日木曜日

彦根東高校野球部の控えメンバー3年生の嘉藤修太選手=彦根東中、清水亮佑選手=中央中、山崎凜太朗選手=彦根東中

 彦根東高校野球部の控えメンバーのうち、彦犬地区出身の選手には、いずれも3年生の嘉藤修太選手=彦根東中、山崎凜太朗選手=彦根東中、清水亮佑選手=中央中=がいる。
 嘉藤選手は捕手として登録。県大会での出場はなかったが、「ブルペンの捕手として、増居はじめ投手がマウンドで良い投球ができるよう、(キャッチャーミットで)良い音を出してあげたい」と投手を陰で支える姿勢を見せた。また「進学校でも甲子園で活躍できる姿勢をチームとして見せたい」と意欲を語った。
 山崎選手は小学4年から中学3年の10月まで中国・大連で過ごし、現地でも「ウインディー」という野球チームに所属。内外野どこでも守れるユーティリティープレーヤーで、自他共に認める「守備の人」。「甲子園では守備で貢献したい」と話す。両打席で打てるスイッチヒッターでもある。
 清水選手は村中監督からの伝令が主な役目。練習でも内容をチームに伝える役割で、広報的なポジションも務める。村中監督は「清水は気配りができ、決して嘘をつかない。チームからの信頼が厚く、リーダーになれる素質がある」と絶大の信頼を寄せる。清水選手は「甲子園でもベンチワークに努めたい。チームみんなの状況を見て勝利に貢献したい」と、チームを最大限支えることに意欲を見せた。

2017年8月8日火曜日

彦根東高野球部で稲枝中学校出身の増居翔太投手にインタビュー

 彦根東高野球部のエースで稲枝中学校出身の増居翔太選手=2年生=に、自身の持ち味や甲子園での抱負などを聞いた。
 増居選手は135㌔前後のストレートを中心に、スライダー、カーブ、チェンジアップを投げる。身長171㌢と上背はないが、打者から「浮き上がる直球」と評される球と出所が見えにくいフォームで抑える投法が持ち味。
 1年生の秋に投球フォームを修正。足を踏み出すステップや上げる際のタメ、体重移動などを意識して直すことで、「自分なりの投球法をつかんだ」という。甲子園までの課題としては「ストレートを修正していきたい」とし、対戦したいチームとしては「春の近畿大会に負けた大阪桐蔭。悔しさを甲子園で晴らしたい」と語った。
 チーム全体の特徴としては「打撃面は勝負強く、切れ目がないため全国でも戦える」とし「練習時間が少ない中で、一人一人が色々工夫して努力することで、甲子園出場を果たすことができた。(公立校でも)甲子園で十分、戦えるところを全国に示したい」と抱負を述べた。

甲子園出場の彦根東高校野球部 ヨガでレベルアップ、原晟也選手と吉本孝祐選手明かす


 彦根東高校野球部のベンチ入りメンバーのうち長浜西中学校出身の原晟也(せいや)選手と彦根南中学校出身の吉本孝祐選手=いずれも3年生=に甲子園での意気込みなどを聞いた。
 原選手は内野の要の遊撃手を守り、投手がピンチになった時には誰よりも早く声をかけるなどチームのムードメーカー的な存在。一つ上の兄・健登さんも東高でエースとして戦い、原選手も遊撃手として後ろからバックアップしていた。原選手は「2年生の時、先輩から声をかけて助けてもらった経験から、後輩には声をかけるようにしている。昨夏、県大会で敗退した時の悔しさを後輩たちにさせないようにとの思いもあった」と県大会の優勝を振り返った。
 打順は1番のため、「何よりも出塁率にこだわっていて、甲子園でも何でも良いので塁に出たい。特にゲームの流れが大切になる初回の攻撃を重視したい」と抱負。今年のチームの特徴としては「昨年は先頭バッターが出ると、バントをして1点をとる野球だったが、今年はどこからでもチャンスが作れて点をとる打力が持ち味」と解説。打力アップの秘訣としてはベンチ入りメンバー全員が週に1回、1時間以上している「ヨガ」をあげ「呼吸をしっかりして自分自身を落ち着かせて、打者それぞれのルーティンを大切にして打席に入ることができている。僕たちはこれを『ヨガ打線』と呼んでいる」と笑顔で説明した。
 最後に、原選手は「県大会での優勝に満足せず、しっかりとした野球を見せたい。応援して下さる方の期待に応えられるよう、地域の人たちのために頑張りたい」と意気込みを語った。
打倒、大阪桐蔭
 吉本選手の持ち味は逆(ライト)方向への打撃センス。6番を打ち、県大会でも15打数7安打と活躍した。今年のチームの特徴としては「つながり」をあげ「内外野ともにつながりがあり、打撃でもただ打つだけでなく、一人一人が考えて野球をやっている」と解説。
 チームの持ち味でもある打撃力が向上した要因としては原選手同様に「ヨガ」をあげ「チャンスで消極的なバッティングだったのが、ヨガのお陰で心理面が変わり、自分自身を受け入れることで、どんな場面でも集中できるようになった。迷いがなくなり打撃が良くなり、『ヨガ打線』でチーム力もアップした」と語った。
 甲子園でのライバルとしては、春の近畿大会準決勝で惜敗した大阪桐蔭をあげ「同じチームに2度負けるわけにはいかないので、リベンジしたい。甲子園ではまだ1勝もしていないため、全国で戦える力を見せたい。彦根でも盛り上がるようにがんばりたい」と抱負を語った。

2009年4月3日金曜日

彦根東高応援団が最優秀受賞

 彦根東高校の応援団が、センバツの応援団賞の部で最優秀賞を受賞。野球部3年生で団長の永福剛史君(17)が4月2日の閉会式に出席し、楯を受け取った。
 応援団は、野球部や吹奏学部、チアリーダー、東・西中の吹奏楽部らのほか、同校生徒や保護者、OB組織・金亀会会員ら総勢約5000人で組織。そろいの赤いジャンパーを着てアルプス席を「赤一色」に染めた。
 青木靖夫教頭は「皆さんのお陰だと思います。感謝しています」と話している。

2009年3月19日木曜日

彦根東高応援団結成、永福団長「球場を東高色に」

 3月21日に開幕する第81回選抜高校野球大会(センバツ)に、21世紀枠で出場する彦根東高校野球部は、大会5日目の第3試合で千葉県の習志野高校と戦う。
 初戦に合わせて、学校に残った野球部員やブラスバンド部、チアリーダーで応援団を組織し、3月5月から練習を開始。在校生約600人と一緒に本番さながらの全体練習を行うなど、スタンド側の熱気も帯びてきた。

 応援団は期末試験後の3月5日に結成され、以降、ほぼ毎日練習に取り組んでおり、野球部、チアリーダー、ブラスバンド部の計約150人で組織。団長には野球部3年生の永福剛史君(17)が就き、応援団を仕切っている。永福君は「任命された時は複雑な気持ちだったが、与えられたからには役割をはたしたい」「甲子園ではスタンドを含めた球場全体を東高色に染めたい」と意気込みを語った。
 チアリーダーは、バスケット部、陸上部、そのほかの計39人の女子生徒で結成。滋賀学園高(東近江市)チアリーディング部コーチの村井三幸さんを招き、練習している。代表の加見恵里子さん(17)は、「チアリーダーは思っていた以上にしんどくて大変だけど、野球部を応援したいという気持ちで頑張っている。ベンチの部員が安心してプレーできるように大きな声で応援したい」と話している。
 ブラスバンド部はセンバツ出場の報告後の2月半ばからすでに練習しており、レギュラー部員用や、チャンスの時、応援歌、校歌などを演奏する。本番には彦根東中や彦根西中のブラスバンド部も加わる。部長の加藤充穂子さん(17)は「いい感じできている」と手応えをつかんでいる。
 

2009年3月13日金曜日

スパルタ式練習で初のセンバツ出場果たした藤居栄三さん

 昭和25年に彦根東高が初めてセンバツへ出場した時の野球部員だった藤居栄三さん(76)=中央町=に当時の思い出を聞いた。
 ―当時の東高の校風を教えてください
 ◇このころは漕艇(ボート)部が全国制覇するほど全国的にも知られていた。その練習は蒸気船と競争したりするスパルタ式で、野球部内の意識改革にもつながり、甲子園出場を果たせたのではないかと思います。
 ―甲子園にはレギュラーとして出場されたのですか
 ◇私は新2年生で、ショートを守っていましたが、先輩の高岡利彦さん(東高アルプス席で紹介)がレギュラーだったため、控えでした。最終の選考までベンチ入りできると思っていたのですが、センバツ開幕の2、3日前に当時ベンチ入りできた13人から外れることになり、甲子園ではアルプス席で応援していました。東高の勝利を願いながらの応援でしたが、何とも言えない複雑な気持ちもありました。
 ―センバツから帰ってからは待遇面も変わりましたか
 ◇専任の監督として早稲田大OBの方が監督となり、これまでは部内でバットが2本だったのが、部員1人に2本になったり、県営彦根球場が使用できるようになったり、財政的、練習環境面で改善しました。
 ―センバツへ出場する現在の部員に激励の言葉をお願いします
 ◇プレッシャーはかかると思いますが、結果を恐れずに精一杯がんばってきてください。

2009年3月6日金曜日

監督、部長を22年間歴任の杉野直さん

 昭和37年から同58年まで、彦根東高野球部の監督や顧問を務めた杉野直(すなお)さん(69)。当時の皇太子殿下(現・天皇陛下)に似ていたことから、「皇太子さん」の愛称で、いまも卒業生や野球部OBとの付き合いがある。
 ―もともとは東高出身ではないとのことですが
 ◇私は山口県出身で、昭和37年に新任の英語教員として東高に赴任してきました。そしてその年に部長になり、以降、野球部との付き合いが始まりました。
 ―当時の様子を聞かせてください
 ◇昭和37年は新校舎(現校舎)が以前のグラウンドに建設されたため、練習の場は現在の彦根城博物館のある広場でした。しかし、同じようにグラウンドの確保に苦しんでいた近江高校と交互に利用していため、満足した練習はできませんでした。この状況は校内にグラウンドが整備される1年間ほど続いたと思います。
 ―監督や部長を務められた22年間で強かった時期は
 ◇昭和40年の秋の大会で準優勝し、近畿大会でもベスト4に進出しました。しかし、1回しか戦っていなかったためセンバツ出場は果たせませんでした。翌41年の夏の大会でも準優勝し、気運の高まりに伴ってその年の10月に野球部の後援会が結成されました。
 ―平成17年には日本高野連から「イヤー オブ ザ コーチ」を受章されたとのことですが
 ◇これは私の功績ではなく、これまでの野球部員の代表として頂いた賞だと思います。(現在の監督の)今井義尚君や(部長の)江竜康成君も私の教え子でした。監督や部長をしていたお陰で、人間関係も密になりましたし、豊かな今があるように思います。野球部さまさまで、野球への感謝の気持ちでいっぱいです。
 ―現在の部員へ激励の言葉をお願いします
 ◇しっかりと練習をして、練習をしたんだという気持ちを持てば、バタバタしないしっかりとした野球ができると思います。

2009年3月3日火曜日

昭和28年に応援団長務めた正村公一さん

 彦根東高校野球部が2度目のセンバツ出場を果たした昭和28年に、彦根市芹川町の正村公一さん(73)は同志たちと応援団を結成し、団長として野球部を支えた。
 ―当時の東高はどのような学校でしたか
 ◇県第1中学校としてのプライドを持ち、運動で名を知らしめようという思いがあったように思います。野球部のほか、ハンドボールやバスケットボール、相撲部なども全国で活躍していました。
―応援団結成に至った経緯を教えてください
 ◇全校生徒全員でエールを送ろうと呼びかけ、約300人が集まりました。悔い無き青春を送ろうという思いと、愛校心の情熱が私たちを動かしたと思います。その中で私は、いい意味でおっちょこちょいで、お人好しだったため、団長になりました。
 ―甲子園ではどのような応援をされましたか
 ◇生徒、教員、保護者の数百人がSLに乗り、朝4時から3時間かけて甲子園に向かいました。私は応援団で作った一畳ほどの旗を精一杯振った記憶があります。アルプス席では校歌や応援歌、拍手が繰り返されていました。
 ―現在の部員へ激励の言葉をお願いします
 ◇学生らしく、潔い、凛とした態度で、さわやかさを忘れずに戦ってきてほしい。私も陰の応援団長として、アルプス席で応援したいと思います。

2009年2月27日金曜日

「強い世代」率いた元監督・北村雅敏さん

 昭和53年に右腕・大辻民樹、平成2年に左腕・平松啓亮を擁した彦根東は秋、春、夏の県大会でいずれも決勝戦に進出、近畿大会でも強豪高と競り合うなど、近年では最も甲子園に近かった。監督を務めたのは現在、県高野連副会長のOB北村雅敏さん(58)=小泉町=で、当時を含め約16年間チームを率いた。
 ―監督時代の野球部の様子や練習風景を聞かせてください
◇昭和51年から平成4年ごろまで監督を務め、その間の部員は30人前後で推移していました。私も運動のできる生徒を見つけては積極的に野球部に勧誘していました。
 今でもそうだと思いますが、学校の狭いグラウンドにはいろんな運動部がひしめきあっていました。セカンドの後ろでアメフト、ショートの後方ではサッカー、という具合です。校庭での守備練習やノックは内野のみに限られ、外野の守備や打撃練習は週に1、2回彦根球場を借りていました。ですから練習試合はすべて相手校のグラウンドなどでやっていたため、校外慣れし、公式戦には気楽に臨めました。
 ―昭和53年と平成2年のチームはとくに強かったと言われていますが
 ◇昭和53年は比叡山が強くて秋、春とも県大会の決勝で対戦しましたが、共に競り負けました。近畿大会では、初戦で元阪神・木戸捕手を擁するPL学園に、夏の県予選決勝では膳所に惜敗しました。
 平成2年は左の本格派投手・平松を主戦に、新チーム発足後の秋大会決勝で近江兄弟社を破り、優勝することができました。近畿大会では1回戦で神戸弘陵と対戦。平松は13奪三振の力投でしたが、延長13回の末に5-2で敗れました。夏の県大会の決勝戦は、甲子園常連校になりつつあった八幡商で、1点を追う9回表二死2、3塁で一打逆転のところまでいきましたが、、6-5の1点差で負け甲子園には届きませんでした。
 ―甲子園に出場する現在の選手たちに一言お願いします
 ◇みんな勉強も部活も一生懸命努力を続けてきたのでチャンスをつかめたのだと思います。甲子園では悔いのないよう戦ってきてほしいです。総合的に力があると思うので、周囲の高校との比較にとらわれることなく、持てる力を出すことだけを考えて臨んでください。

滋賀県高野連審判部長の野村勝彦さん

 彦根東高の野球部OBで、県高等学校野球連盟審判部長を務める野村勝彦さん(71)=松原町=に、当時の思い出と、審判から見る現役の部員への思いを聞いた。
 ―東高が2度目のセンバツへ出場した昭和28年(1953)に入学されたとのことですが―
 ◇センバツ出場時は彦根東中の3年生で、ラジオにくぎ付けになって聞いていました。その時にはすでに東高への入学が決まっていて、憧れの野球部に早く入りたい思いでいっぱいでした。
 ―1年生の夏の大会では、当時の部員が審判の判定に抗議するため、2時間グラウンドに座り込んで、結局、没収試合になったらしいですね―
 ◇その時は私もベンチにいて、先輩方が抗議のため座り込んでいた時は、ベンチから茶碗とやかんを持って、お茶くみをしました。その後、1年生も座り込んだ記憶があります。結局、抗議は認められず、東高野球部は1年間の活動停止処分になりました。
 その後、部員は同期の7人だけとなり、走り込みやうさぎ跳びなどほそぼそとした活動を続けました。2年生になってからはボールとバットを持つことが許され、野球ができる喜びを実感していました。
 ―卒業後は、審判として活躍されているそうですが―
 ◇卒業後も野球部の手伝いや草野球など、野球の世界から離れることができず、30歳を過ぎた昭和45年ごろから県野球審判協会に所属し、県内の野球大会で審判をするようになりました。県高野連に審判部が新設された昭和62年からは審判部の専属審判となり、平成12年からは審判部長を務めています。
 ―今年のセンバツからストライクゾーンが変わるため、東高野球部の練習にも指導に出かけられているとのことですが―
 ◇公認の野球規則に合わせて、今年からストライクゾーンがボール半分ほど低くなります。練習にも何度かうかがい、新しいストライクゾーンを教えています。
 ―甲子園でも審判をされておられるとのことですが、これから甲子園で戦う現役の部員たちに激励の言葉をお願いします―
 ◇甲子園では、審判の掛け声による整列と同時に、内野から外野にかけて観客の拍手が起こり、独特の雰囲気に包まれます。その雰囲気に飲まれるのではなく、逆にプラス材料にしてほしいと思います。
 高校野球の原点は、フェアプレーとスピードです。本番で攻守交代をスピィーディーにしようとすると、肝心なプレーでミスをするように思います。日ごろの練習からスピーディーに動くことを意識づけて、本番ではプレーだけに集中できるような状態に持っていってほしいと思います。

2009年2月24日火曜日

10年以上トレーナー務める山根寛治さん

 彦根東高野球部を身体面から支えているのは同部のトレーナーを務める山根寛治さん(45)=山根接骨院長(米原市野一色)。十数年前に、着任して間もなかった今井義尚監督から依頼されて以来、部員たちと付き合っている。
 ―どういういきさつで依頼があったのですか―
 ◇大津であったケガ防止をテーマにしたストレッチ講習会の講師を務めた際、東高・剣道部の顧問をされていた先生が参加しておられ、その先生の話を聞いた今井監督から翌日に電話で依頼をいただいたのがきっかけです。
 ―どういったサポートをしているのですか―
 ◇毎週火曜と木曜の夕方以降に部に顔を出して、選手たちのマッサージをしています。筋肉がほぐれやすかったり、そうでなかったり、一人ひとり筋肉の癖が違います。ですから、マッサージ中は身体の管理上の注意した方がいいことも話しています。
 ―マッサージ以外にも色々とされているとのことですが―
 ◇ほかにも、テーピングの巻き方や、給水の方法など体調管理面でのアドバイスをしています。東高野球部は、ほぼ毎週末遠征しており、私もポータブル(折り畳み式)ベッドを持って同行しています。
 ―サポートする上で気にかけていることは―
 ◇マッサージや指導は、私から能動的にはやらないようにしています。選手の求めに応じて行っており、押し付けにならないよう待ちの姿勢に努めています。その理由は、ケガに気をつけるという自己管理の意識が高まっていけばいいかなという思いからで、選手たちの自主性に任せています。
 ―センバツへ出場する選手たちに激励の言葉をお願いします―
 ◇今のチームは例年に増して、ハートが強い部員が多いと感じており、相手が強豪校でも萎縮しないと思います。甲子園では1つひとつのプレーや、攻守交代で、とにかく全力疾走を心がけてほしいと思います。

2009年2月17日火曜日

センバツ初出場時の高岡利彦さん、戦後占領下で

 彦根東高校が初めてセンバツに出場した昭和25年(1950)時のレギュラーだった高岡利彦さん(77)=西今町に、当時の思い出を聞いた。
 ―戦後まもない混乱の時期ですが、当時、野球部はあったのですか―
 ◇前身の彦根中学校に昭和20年に入学した時、野球部はなく、近所で仲間たちと遊ぶ程度でした。その後、22年に野球部に入り、翌年の秋の県大会からレギュラーになり、ショートを守りました。その年の秋の県大会で優勝し、24年には県大会を勝ち進み、近畿大会でも決勝で洛陽(京都)を下し優勝し、初のセンバツ出場を決めました。
 ―甲子園の雰囲気とセンバツでは戦いの様子は―
 ◇観客の多さには驚き、全員が落ち着いた様子ではなかったと思います。初戦は開幕日の第2試合で、明治(東京)と戦いましたが、完封負けでした。当時はまだ米国の占領下だったため、入場行進の音楽は米国海軍のマーチが流されていたことを記憶しています。
 ―そのほかにも米国色が表われていたのではないですか―
 ◇開幕日の始球式は、マッカーサーの夫人が始球式を務めました。現在のマウンドからではなく、スタンドからの始球式だったと思います。
 また第2試合の始まる前には、米国から初めて輸入されたというバッティングマシーンが披露されました。私は1番バッターだったため、日本で最初にバッティングマシーンの球を打ったことになるのかもしれません。しかし、バンドしか許されず、バンドをしようと思いましたが、いままでに見たことがないスピードで、かするのがやっとでした。
 ―センバツ出場する現在の部員たちに激励の言葉をお願いします―
 ◇勝敗よりも赤鬼魂の精神で堂々と戦ってきてほしい。頑張ってください。


昭和28年センバツ出場の中村善一郎さん


 第81回選抜高等学校野球大会(センバツ)に出場を決めた彦根東高校野球部―。これまでに昭和25年と同28年にもセンバツ出場を果たしている。滋賀彦根新聞では、当時の野球部OBの皆さんや現在の野球部に関連する方々の、思い出話しや激励の言葉を連載する。第1回目は、昭和28年のセンバツにキャッチャーとして出場した中村善一郎さん(73)=高宮町=。
 ―元々は野球部ではなかったとのことですが―
◇高宮中学校の時は野球部でしたが、16歳の時に父親が亡くなったため、東高に入ってからは野球部には入っていませんでした。しかし、校内の野球大会での活躍が目に留まったのか、野球に熱心な先生が授業の度に野球部に入部するよう言われ、2年生の秋ごろにスコアラーとして入部しました。
 ―入部後、いつレギュラーになったのですか―
 ◇入部してすぐの2年生の冬にレギュラーになりました。中学時代はサードだったのですが、監督の指示でキャッチャーになりました。
 ―センバツ出場までとセンバツでの思い出を聞かせてください―
 ◇この当時の野球部は強かったと思います。前年の秋と次の年の春の大会を優勝し、近畿大会では京都のチームを破って、昭和25年以来のセンバツ出場を決めました。センバツでは、熊本の済々廣と戦い、1安打の0対4で完敗しました。私は8番キャッチャーで出場し、バックネット近くのファールフライを飛び込んでキャッチし、審判から「ナイスキャッチ」と褒められたことを覚えています。
 ―その年の夏の大会では、審判の判定を巡って混乱し、放棄試合になったとのことですが
 ◇初戦にライバルだった大津東高(膳所高)とあたり、2対3でリードされていた9回表の攻撃で、見方の走者がホームに突っ込んだ際、相手のキャッチャーが落球しセーフで同点だと思いましたが、審判はアウトのコール。私たちは抗議の意味で三本間に約2時間座り込みました。球場内は審判席にラムネのビンが投げ込まれたり、熱狂的なファンが役員席に殺到したり、彦根市警(当時)の警察官が動員されるなど混乱しましたが、結局認められず、アウトの宣告後も座り込んでいたため、0没収試合となり対9で敗退しました。
 いまから思えば、センバツに出場したことによる「おごり」があったのかもしれませんが、強烈な思い出として、私たちの心の底に焼きついています。
 ―甲子園の雰囲気は、やはりほかの球場と違うと思いますが、センバツへ出場する現在の部員たちに激励の言葉をお願いします
 ◇甲子園の観衆の多さはケタ違いです。平常心で、日ごろの練習の成果を発揮することが大切ですが、緊張してあがると思います。1勝すれば、リラックスして力を発揮できると思うので、まず1勝を目標に頑張ってください。