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2015年9月4日金曜日

埋木舎にあった武道鍛錬場と楽焼の窯

 政治家として手腕を発揮したことで知られる井伊直弼公は、17歳から32歳まで過ごした埋木舎では、禅や和歌、国学、武道、陶芸、茶の湯などの精進に励んだ。そのうち、埋木舎には現存しない武道鍛錬場や楽焼の窯があったとされる。
 武道のうち、直弼公は幼少のころから藩士を相手に兵学、剣道、槍術、弓術、馬術、居合などに修練し、すべてにおいて達人の域にまで達していたという。
 武道の中で特に力を入れたのが居合で、後に居合の極意を得て「新心新流」という一派を創設。居合の極意を著書「七五三柔居相秘書」にもまとめている。
 一方で、直弼公は天保13年(1843)ごろから、埋木舎の奥の庭で楽焼造りを始めた。香合やふた置き、茶入などを制作し、現存している物も多くある。「楽焼覚書」には直弼公自作の84点の作品名と56点の譲り先が記されているという。
 武道鍛錬場や楽焼の窯があったとされる場所は、現存する埋木舎の建物の北側にある空き地。現在は竹林になっている。埋木舎からは奥の裏木戸から入ることができるが、一般公開はされていない。(参考文献「埋木舎と井伊直弼」)

2015年7月30日木曜日

井伊直弼公 槻御殿で幼少期過ごす

 井伊直弼公生誕200年祭に合わせて、滋賀彦根新聞は直弼公についてあまり知られていない歴史や逸話を「井伊直弼 考」と題して紹介していく。初回は直弼公誕生から槻(けやき)御殿での生活。
 直弼は父親で彦根藩井伊家の十一代当主・直中とお富の間に、文化12年(1815年)10月29日(西暦では11月29日)、彦根城内の槻御殿で生まれた。午前10時ごろの出生で、尾末町御屋敷(後の埋木舎)の付き人が記した日記では、母子共に健康だったとの記録が残っている。14男で20人兄弟の19番目だった。
 その3年前の文化9年、直中は47歳の若さで藩主の座を息子(直弼の兄)の直亮に譲り、彦根に戻って槻御殿の大規模な増改築を行った。その規模は現在の約10倍で、翌10年から江戸の町方出身のお富を彦根に招いて一緒に住み始めた。
 2年後に誕生した直弼は生後7日目の祝儀の時に鉄之介と名付けられ、文化14年ごろには鉄三郎に改名している。兄の直亮が藩主に就き、ほかの兄も他大名や藩重臣の養子になっている中、直弼は兄の直元、直与(とも)と、5歳年下の直恭(やす)と共に槻御殿で一緒に過ごした。当時は大名家で父親と一緒に暮らすことが珍しい時代で、直弼は家庭的な雰囲気の中で幼少期を過ごした。
 直弼は、芸道や趣味に時間を費やす直中の影響を強く受け、能や文芸に接し、愛好していた。文政7年(1824)の「大殿様附側役日記」には10歳の直弼が直中と一緒に鼓の稽古をしている様子が記されている。また直中は寺院の建立や再興を積極的に進めており、その影響を受け、直弼も井伊家の菩提寺・清凉寺で仏道を学んでいる。槻御殿には17歳まで過ごした。【山田貴之】