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2022年2月2日水曜日

彦根城の世界遺産登録 7月に国内推薦か

2024年の彦根城の世界遺産登録に向けて、今年7月に国内推薦が決定する可能性があり、1992年の国の暫定一覧表に登録されて以降、ようやく現実味を帯びてきた。 
 暫定リストの掲載以降、しばらくは「放置」状態が続き、彦根市民の間でも世界遺産に対して反対の声が少なからずあり、盛り上がりも皆無に等しかった。十数年前から彦根市が登録に向けての模索を開始し、数年前から市職員を県に派遣するなど本腰を入れ始めた。並行する形で彦根商工会議所をはじめとした市内団体も機運醸成の取り組みを進め、昨年1117日には近江八幡市や東近江市、長浜市など湖東湖北5市5町の商工・観光団体で「世界遺産でつながるまちづくりコンソーシアム」を設立した。
 
幕藩体制の資産強調
 
 世界遺産に登録されるには、すでに登録済みの姫路城や、国内のほかの城郭、1000以上の世界遺産の文化財にはない「顕著な普遍的価値」を明確に示す必要がある。顕著な普遍的価値とは、どの国や地域の人でも、いつの時代のどの世代でも、性別や宗教、思想に関係なく、同じように素晴らしいと感じる価値のこと。
 彦根城は中堀から内側に外堀土塁を加えた場所が特別史跡に指定されている。そのうち中堀より内側には天守、城主の御殿、重臣屋敷、大名庭園、藩校の建物や遺構が残されている。
彦根市はこの5つの保存状態が国内のほかの城と比べて最も良いと判断。江戸幕府を主に各藩が城を政治拠点にして、近くに御殿や重臣屋敷、大名庭園、藩校などを配し、領民が安心して暮らせる仕組みの幕藩体制に着目。彦根城がこの仕組みを最もよく示す資産だと訴えている。
 登録を目指す範囲は中堀より内側の彦根城の天守、各櫓、藩主が住んでいた表御殿跡、旧藩校の弘道館跡、槻御殿、玄宮園、西郷家や木俣家など重臣屋敷、埋木舎。登録外だが、各遺産を守る範囲の緩衝地帯として、芹川、JR琵琶湖線、矢倉川、琵琶湖沖合500㍍内のエリアをあげている。
 
市民の機運醸成カギ
 
 登録のための重点事項はこれまで、「価値の証明」と「文化財の保存管理体制」だったが、近年は世界遺産を持続可能な社会を実現するための取り組みと考えるようになった。つまり文化財の保護だけでなく、「地域の発展」も重視する考え方に変わりつつあり、地域住民が世界遺産登録に向けてどれほど主体的に活動しているかも審査の対象になる。
 彦根市の街全体は保守的、排他的な市民性の「殿様文化」から脱却し始めつつあるが、彦根城の世界遺産登録に向けて、どれほどの市民が動き出すか、登録へのカギは表舞台に出ていない市民が握っていると言える。【山田貴之】

          【登録へのスケジュール】
 2022年3月 文化審議会の評価をもとに修正推薦書原案を提出
   22年7月 文化審議会が世界文化遺産候補に推薦決定
      7月 世界遺産条約関係省庁連絡会議で推薦決定
       秋 世界文化遺産への推薦を閣議決定
   23年1月 政府が推薦書をユネスコ世界遺産センターへ提出
   23年9月 ユネスコ諮問機関ICОMOS(イコモス)が現地調査
   24年5月 イコモスが世界文化遺産登録を勧告
   24年7月 世界遺産委員会で世界遺産リストへ登録決定

2017年1月17日火曜日

切通口から櫓門が建っていたことがわかる石垣や礎石を発見、地震で修理した跡も

 彦根市教委文化財課は、佐和町で発掘調査をしている切通(きりとおし)口から、櫓門が建っていたことがわかる石垣や礎石を発見したと発表。彦根城の外堀の7つの城門では初めての具体的な遺構の確認となる。22日午後1時半~現地説明会を行う。
 文化財課は昭和54年度から旧外堀に関する発掘調査を実施しており、市道の拡幅工事に伴って切通口を調査。本発掘となる第6次調査を昨年10月26日から今年3月下旬まで、松吉前の第1調査区60平方㍍と純正寺前の第2調査区約31平方㍍で行っており、そのうち第1調査区の36平方㍍の調査を終えた。
 試掘の第5次では切通口の石垣や雁木(石階段)、土塁の基底部などが見つかったが、より深く発掘した第6次では門の柱を支えていた礎石や、長さ約9㍍のL字型の石垣、栗石などが確認。これらの遺構や天保7年(1836)の御城下惣絵図から、櫓門形式だったことがわかった。櫓門の形状は重要文化財の太鼓門櫓に近いという。
 石垣は外堀が築かれた元和年間(1615~24)と、後の時代に築かれた加工した形跡がある石の2種類あり、後の時代の石垣は享和2年(1802)12月22日の彦根大地震で切通口の一部が壊れ、修理されたとみられる。最も大きい石は元和年間時代の1㍍×90㌢×高さ60㌢。
 切通口は藩主らが彦根と江戸を行き来する際に必ず通過する城門の1つで、格式高く見せるために櫓門にしたと考えられる。御城下惣絵図によると、外堀の7つの城門で櫓門は高宮口や池州口でもその可能性があるが、確定したのは切通口が初めて。
 文化財課では「近世城郭の外堀の城門跡が検出されるのは全国的に見ても希少なため、極めて貴重な遺構。江戸時代の彦根城の石垣修理の内容も確認でき、重要な発見だ」としている。
 今後発掘を行う第1調査区の残りや第2調査区では土橋や外堀、暗きょ、江戸期の上水道管の跡が検出される可能性がある。22日の現地説明会の集合場所は護国神社前の市道予定地。午後3時まで順次、全体説明を実施する予定。参加無料。雨天決行。問い合わせは文化財課☎(26)5833。