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2010年8月29日日曜日

隠れた名所「仙琳寺」 井伊直興の子・本空の弟子(義空)時代に建立、直弼も茶室に通う

 佐和山近くの愛宕(あたご)山にある天台宗・仙琳寺(内田一明住職)=古沢町=は、歴史好きの市民でさえ詳細を知らない、知る人ぞ知る「隠れた名所」だ。
 佐和山城落城の直後を描いたという「彦根御山絵図」(江戸時代中期)では、現在の仙琳寺の場所に、「愛宕」という字と鳥居があるため、江戸時代以前には京都の愛宕社から分祀された社堂があったとされる。元禄8年(1695)に彦根藩四代目藩主・井伊直興がその愛宕社を修理。十一代・直中時代には諸堂や門なども整備され、文化3年(1806)までに現在の形に。
 古沢町のJRを挟んで西側(警察署側)から、寺へつながる専用の緑の鉄橋を渡り、階段を数段あがると、堂々とそびえる楼門が建つ。そこをくぐり、階段をあがると、平安時代末期から鎌倉時代に作られた阿弥陀如来坐像を本尊とする本堂(異なる堂を後に転用)があり、左側の中門を入ると、愛宕社、観音堂など諸堂が並んでいる。本堂には茶室や庭園跡があり、楼門の左側の斜面には領民が三成を慕って作ったとされる石田地蔵もある。
 寺と佐和山の間には竹やぶが生い茂っているが、市民有志が整備をしており、その作業中には井戸3つと石垣跡を確認(本紙25日付で既報)。三成時代に仙琳寺のあった場所に茶室が設けられて、そこで三成が茶の水をくんだとの伝承もあるが、市文化財課によると、三成時代、そこには何らかの「丸」があったらしいが、三成が過ごしていたかは不明だという。
直興の子・本空病死も
弟子・義空が托鉢し建立
 【仙琳寺の歴史】
 四代・井伊直興は、息子・千代之助(1711~70)の行く末を案じ、深く帰依していた松雲寺(旧愛東町)住職の南嶺慧詢(なんれいえじゅん)に託した。千代之介は出家後、弁慧(べんえ)と改名。南嶺の死後、直興の命により京都に上り、寺院・般舟三昧(はんじゅざんまい)院に入って、名を本空と改め、その後、同院十五代目の住職に。自らで寺の建立を決意するが、病死した。
 本空の弟子・義空は、預かった金が天明8年(1788)の大火で焼失するという災難にあうが、直興から本空への遺書を持って愛宕山の庵に移り、彦根の町で托鉢を行う。それを知った十一代・直中が寺院の普請を進め、寛政10年(1798)に本空を初代住職にする命を出し、そのころ「仙琳寺」となったとされる。
 直中の子で十三代・直弼の時代には、直弼が仙琳寺の五代目住職・慈空宛てに送った嘉永6年(1853)の書状で愛用の茶器を贈ったことが明記。嘉永5年から安政5年(1858)までの江戸・彦根での茶会記「懐石附(づけ)」では直弼が仙琳寺での茶会に4回出席。嘉永4年から安政4年までの16回の茶会を記した「彦根水屋帳」では直弼が亭主を務める茶会に慈空が3回参加しているなど、直弼との親密ぶりがうかがえる。 (文・写真=山田貴之)

2010年3月3日水曜日

江戸期の旧酒造店「中村商家」 酒蔵や文庫蔵、明治期の主屋

 彦根市旭町の旧酒造店「中村商家保存館」(国指定登録文化財)には、江戸末期に建てられた文庫蔵と酒蔵、明治44年建設の主屋が残っている。
 中村家は、本家(現・京町1)から分かれた分家の初代が町屋街(旧下瓦焼町)に移り住み、寛永11年(1634)ごろに酒造店を始めた。しかし、江戸末期から明治初期にかけて酒造業から酒販売店に変更。昭和25年まで商売を続けた。現在、館長の中村武三さん(84)で十二代目。
 建物全体は間口約25㍍、奥行き約28㍍。主屋は木造2階建て建築面積216平方㍍。表側に店と座敷の部屋があり、その南側には土間がある。2階は舟底天井で従業員の部屋になっていた。主屋の裏側には台所、納戸、かまど、風呂場などを設けている。建物は明治42年(1909)8月の地震で壊れ、翌年から大改修された。
 主屋座敷の北側に広がる内庭には江戸末期建設の土蔵造り2階建て建築面積28平方㍍の文庫蔵がある。主屋の背後には江戸末期建設で土蔵造り2階建て建築面積109平方㍍の酒蔵がある。酒造業を営んでいた時の蔵で、外部は改装されているが、内部は当時のまま。
 平成9年6月に中村商家保存館が設立され、同11年に国の登録文化財に選定。先月19日には彦根市の「景観重要建造物」と「歴史的風致形成建造物」に指定された。
 中村商家保存館の一般公開が今月16日から始まる。開館は6月15日までの火木土日曜と祝日。午後0時半~同4時。入館料は高校生以上200円、小中学生100円。10人以上の団体割引あり。問い合わせは同館0749(23)5297へ。

2009年7月17日金曜日

江戸期整備の七曲り通り 現在は彦根仏壇街に

 彦根市内の新町、芹中町、大橋町、元岡町、沼波町にかけた全長約1・5㌔の仏壇街は、「七曲り」通りと呼ばれている。江戸時代は中山道の高宮宿から彦根城下へ向かうための道だったが、現在は人通りが少なく、観光客の姿もほとんど目にすることはない。市は、七曲り通りを「歴史まちづくり法」に伴う開発拠点の一つにあげており、今後の整備の行方が注目される。(山田貴之)
                 
 七曲り通りは、彦根城が整備された後の江戸時代初めに、高宮宿から城下町までに築かれた道で、前方を見通せないように通りを何度も屈曲させたことから、七曲りと呼ばれるようになった。一般的に、道が幾つも曲がっていることを言うのだが、彦根の場合は偶然、7カ所の「曲がり」がある。
 正保元年(1644)に町割りが行われ、芹中、大橋、岡の各町が出き、その翌年に沼波町が誕生。通りには古鉄屋、塩屋、道具屋、桶屋などさまざまな店があった。江戸後期ごろからは、武具製造に携わっていた塗り師、指物師、錺金具師などの職人が集まり始め、現在の「仏壇街」になっている。
 県立大学の浜崎一志教授研究室の調査によると、七曲り通りで町屋形式の建物は74軒残っているという。そのうち江戸期の建物とされる旧村岸家は、高宮方面から通りに入った最初の曲がり角にあり、防火用に用いられる土戸が唯一、残っている。
 ほかに、文化財的に価値のある建物が多くあり、彦根市は今後、「歴史まちづくり法」を活用した街づくりを進める。数年以内に建物の調査をし、地元の住民と協議をした上で、歴史的景観が残る街づくりの整備を行うとしている。

2009年2月3日火曜日

埋木舎近くの旧池田家長屋門

 彦根市尾末町の埋木舎近くに旧池田家長屋門(市指定文化財)がある。
 池田家は彦根藩の中堅武士で、大坂の陣以前の慶長15年(1610)か同16年ごろに、彦根藩に「伊賀者」として召し出されたとされる。大坂の陣後、初代・安清は100石で京橋口櫓普請の下奉行を務め、正和2年(1645)には切通口門(現・キャッスルホテル近く)番頭に就いた。
 四代藩主・直興に重用された池田家三代・安富の時代には石高が250石になったが、その後、増減を繰り返し、七代・安重以降は180石で明治維新を迎えている。役職は納戸役などを務め、藩財政の管理に手腕を発揮した。屋敷は、寛永12年(1644)には御歩行町(京町2)にあったが、江戸中期に現在の尾末町に移った。
 旧池田家は、敷地面積が間口約31㍍、奥行き約18㍍で、主屋と長屋門が建っていた。主屋は明治以降に改造された後、昭和後期以降に取り壊され、現在はアパートになっている。長屋門は桁行約18㍍、梁間約3・6㍍の桟瓦葺きの入り母屋で、北側に縁がある。南側を門としており、その中央に板戸。門の右手は5区画に区切られている。
 5区画では、足軽より身分が低い仲間(ちゅうげん)部屋、厩(うまや)、居室などとして使われていたという。昭和48年4月28日に市文化財に指定。なお、市は歴史まちづくり法認定に基づき、来年度から旧池田家長屋門の整備に入る。

2008年11月26日水曜日

村山たか女 晩年の肖像画、脇家・宇津木家の菩提寺・高源寺

 井伊家家老の脇家や宇津木家の菩提寺・高源寺(多賀町)には、井伊直弼や長野義言の愛人とされる村山たか女の晩年の肖像画が残っている。彦根城博物館によると、たか女の晩年の肖像画は同寺でしか発見されていないという。
 高源寺は鎌倉時代に創建されたとされるが、戦国時代には廃寺となった。彦根藩の脇家と宇津木家は江戸時代初期の慶長年間(1596~1605)に、京都の高僧・禿翁禅師を招いて、両家の菩提寺として再興。脇五右衛門豊久と宇津木治部衛門久豊の院号にちなんで、天徳山高源寺と名付けられた。
 総門は佐和山城の裏門を移築されたものとされる。最盛期には書院、仏殿、禅堂などがあり、学僧50人以上が住んでいたというが、明治9年(1876)原因不明の火災で、総門以外が焼失。書院は昭和8年に新築、総門は昭和22年4月に改築された。
 昭和63年に、同寺の桂木庸道住職が押し入れを整理していた際、たか女の心情が書かれた「讃」入りの肖像画を見つけ、たか女の肖像画だと判明した。明治初期に京都で描かれたものとされる。平成18年7月に多賀町文化財に指定。
 たか女は多賀町出身とされ、直弼や義言の死後、京都・三条大橋でさらされた後も、生き残り、晩年は京都の金福寺(左京区)で、妙寿尼として過ごした。明治9年67歳で死去。明治14年に多賀大社にあった正覚院と般若院、不動院が移築された際、般若院と一緒にたか女の肖像画も同寺に移されたという。問い合わせは同寺℡(49)0821へ。